Oh, My Dear !


『マフィアなんか大っ嫌いだ!!』

雨の中、血溜まりの中で少年が上げた絶叫は、今もボンゴレ10世の守護者達の耳に残っている。
ざぁざぁと降り続く、雨音と一緒に。




世界でも最大規模を誇る、イタリアンマフィア ボンゴレ・ファミリーを統べる若き帝王が、無類のマフィア嫌いであることは有名な話である。

ボンゴレ10世が、22歳でイタリアでも指折りのボンゴレ・ファミリーの長となってから10年、ボンゴレは破竹の勢いでイタリア、ヨーロッパ、アメリカのマフィアやギャング達を制圧し、その傘下に治めていった。
今や国境を越えて広がった一大勢力を、大きくなりすぎては危険だと進言した者に、ボンゴレ10世は底冷えする笑顔で

「その時は、その部分を切除してしまえばいい。別にあってもなくても一緒だからな」

と言い切ったという。

ボンゴレが数々のファミリーを併呑して勢力を拡大したのは、利益を得るためではなく、マフィア同士の諍いを極力無くすためだったと知っているのは、彼の傍に付き従う5人の守護者や呪われた虹達ぐらいだった。

だからボンゴレ10世が、些細ながら要らぬ争いを起こした構成員を眉一つ動かすことなく粛清することに、多くのファミリアが肝を冷やし、いつしか彼を“マフィア嫌いのマフィアの帝王”と呼ぶようになった。

彼の前では、些細な諍いさえ粛清の対象になる。

そんな恐怖政治により、ボンゴレ傘下のファミリー同士の抗争は格段に少なくなり、マフィアの揉め事に民間人が巻き込まれることも、最近ではほとんど起こりえない事象になっていた。

ほとんどの人間には、万に一つもボンゴレ10世の守護者に勝つ術はない。
その彼らに勝てずして、守護者を凌ぐアルコバレーノ、呪われた異能の7人に勝てるわけもなく。

つまり、そんな彼らに守られるボンゴレ10世に手出しするなど夢のまた夢に等しいことなのである。

だから、誰もがボンゴレ10世の支配化の下、逆らえる牙なぞ持たないままに生きていた。




「ボス、先ほど華僑の李家から同盟の申し入れが」

明かりのない部屋に一礼して入った獄寺は、闇に浮かぶソファに座る人影に声をかけた。
彼の唯一絶対の主は、その言葉に身動きをすることもなくただ肘掛に肘をついて、面白くなさそうに星の輝く外へと視線を飛ばしている。
それに動じることなく、獄寺はただ待った。
それだけが、彼が彼の主に出来ることだったから。

「―――そう、シンガポールを差し出す気になったんだ」
「あくまでルートの所有権は主張するとのことでした」
「別にいいよ、彼らの財力やら財源が必要なんじゃないし。好きにさせるといい」
「はい」

ほとんど感情の篭らぬ声に返事をして、下がれと手で示されてそれに従う。
いつから、こんなやり取りが普通になってしまったのだろう、と獄寺は眩しいくらいの廊下に出てから考えた。
歩いていると、向こう側の角を曲がって見慣れた同僚が、嗅ぎ慣れた匂いを纏ってこちらへと向かってくる。

「山本」
「お、獄寺、よーっす」
「・・・また殺ったのか」

飄々とした笑顔を浮かべて片手を上げた同僚に眉を顰めて、獄寺は足を止めた。
山本も、獄寺の前まで来てその歩みを止める。

「んー、まぁ、ボンゴレに弓引いた挙げ句、民間人を巻き込もうとしてたからなー」

そういうの、ツナは“大っ嫌い”だしな。
約20年前から少しも変わらない、明るく爽やかな笑みを浮かべて、山本はそう言った。

「つーことで、今からツナんトコに行くんだが、あいつ起きてるか?」
「あぁ」
「そっか、そりゃ良かった」

あの全身全霊を込めた拒絶の絶叫を聞いて、獄寺が彼の意に従い彼の言葉を待つという選択したように、彼の意に従い彼の意のままに行動するという選択をした同僚は、そのまますたすたと先ほど獄寺の出てきた扉を開けて、その奥へと消えた。
山本と話すときの上司の姿を見たことのない獄寺は、一瞬だけ彼らのやり取りを想像しようとしたが、少し不快だったのですぐさま打ち消して歩みを再開する。




獄寺の唯一無二の主人にして、今や裏世界の最大派閥の王たる沢田綱吉は、初めからあれほど無感情で、冷淡で、酷薄な人間ではなかった。
むしろ、気弱で、情に脆くて、敵味方を問わず優しい人間だった。
彼の周りに集まる人間は皆、彼のそんなところを馬鹿にしながらも、何より愛し、慕っていた。

けれど。

あの雨の日。
身も凍えるばかりの冬の日に。

二人の少女の命とともに、綱吉の心も失われてしまった。

残されたのは、マフィアを心底憎むばかりの―――。

それでも、彼の守護者達も、彼を慕う虹達も、彼の傍から離れようとはしなかった。
ぱっくりと開いて、ダラダラと血を流し続けるだけの心を抱いて、ただ前を見据える姿が痛ましくて。
何より、彼に与えられた温もりや恩情が、彼らの足を綱吉の周囲に縫いつけた。

だから誰もが己の役目を選んだ。
獄寺が、綱吉の傍で彼の言葉を、彼の発する全てを待つように。
山本が、綱吉の傍で彼の願いを、彼の意思を叶えるように。

それが、綱吉に届かなくとも構わない。

彼らが傍にいることで、彼が与えた全ての優しいものが、彼から全て失われようとも、確かに彼の周囲の者に残っている、という証になるのなら。
その証が、確かに“あの”沢田綱吉がこの世に存在していたと示すのなら。




Oh, My Dear !

貴方から失われた全てのものが。
貴方から与えられた全てのものが。

こんなにも愛しいのです。

例えそれが貴方に届かなくとも。


fin.


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