Oh, My Dear !


『マフィアなんか大っ嫌いだ!!』

雨の中、血溜まりの中で少年が上げた絶叫は、今もボンゴレ10世の守護者達の耳に残っている。
ざぁざぁと降り続く、雨音と一緒に。




日本の梅雨時の雨とこちらの雨とでは何が違うのだろうと、雲雀は朝方から降り続いている雨を眺めながら考えた。
けれど手入れの行き届いた庭園に、見間違えるはずのない彼の唯一の主人の姿を見つけて、思考が一気に切り替わる。

「ホントに、手のかかる子」

そう呟いて、雲雀は足早に庭へ降りるための階段へと歩み寄った。
そして、足音もなく階段を下りながら、今日の上司のスケジュールを思い返して、内心で舌打ちをした。
雨の日は、何かを考える暇もないほどのスケジュールを組まなければ、雲雀の主人の不安定な精神は独り歩きを始めてしまう。

「まったく、連れて行くなら心だけじゃなく、その命ごと連れて行けばよかったのに」

二十年前に故人になった相手にぼやきながら、あの時、あの状況で、守護者達は誰を犠牲にしても綱吉だけは死なせなかったであろうことも、雲雀はよく理解していた。

だからこそ、雲雀は綱吉のある意味で崩壊した精神に対して責任を負って、現在に至っているのである。
―――本当なら、人の群れである組織になぞに関わるつもりはなかったというのに。

獄寺が、恐らくは還らぬ心を待つように。
山本が、抜け殻となった心に従うように。
雲雀は、失われた心に対して責任を負った。

そう決めた。
それだけのことだ。

階段を降り中庭へと続くテラスへと出て、自分の着ていたスーツの上着を、ぼんやりと虚空を見上げたまま微動だにしない綱吉へと無言で被せた。
いつもなら、それは、他者との接触を厭うようになった綱吉の手によって邪険に振り払われたであろう。
けれど、彼は雲雀が傍にいることさえ気付かぬ様子で、雨を降らせ続ける雲を見上げていた。

「ボス、風邪をひく。雲なら部屋からでも見れるでしょ」

今度はそう声をかけながら、だらんと力なく垂れている綱吉の腕を取る。
そうまでしてやっと、綱吉の虚ろな琥珀が雲雀の姿を映し出した。

「―――日本の雨は、もっと生々しかった」

唐突に紡がれた言葉の意味を素早く咀嚼して、雲雀は綱吉の真意を分析し把握しながら、そう、と短く返す。
綱吉の言葉を受けて、雲雀は先ほど自分が考えていたことへの答えを見つけた気がした。

日本の雨は、濃い。
まるで感情があるかのように複雑で、見る人間に、降り注ぐ木々に、何かしらの陰影を残す。
けれど、地中海性気候の雨は、例えるならば裏表なくあっさりとしている―――日本とは違って、夏に降らないからだろうか。
―――それは、見る側の主観によって左右されてしまうような、印象に過ぎないけれど。

「―――そうだね」

綱吉の言葉が、こちらの返答を期待して紡がれたものではないことを知りながら、雲雀は静かに同意して、すっかり濡れてしまった主人の体を屋敷の中へと促した。




「水も滴るいい男、というか、どちらかと言うと濡れ鼠ですかね。もう眠られたんですか」

びしょ濡れになった上司を風呂に放り込み、さらに寝台に放り込んで部屋を後にした雲雀は、そう背後から呼びかけられてあからさまに不機嫌な表情になった。
振り返れば、彼の予想通り、人当たりの良い薄っぺらな笑顔を浮かべた青年が立っている。

「何、いたの、果物頭」
「えぇ、鳥が濡れ鼠を助けに行くあたりから。―――仕事の方は?」
「終わってから庭に出てたみたいだよ」
「それでは、僕が提出した書類も決裁されてますね」
「―――あぁ、あの南米シンジケートの」
「はい」

書類を渡せと、無言で差し出された手に、雲雀は持っていたファイルから示されたものを引き抜いた。

「“薬とタバコを買うのは馬鹿と貧乏人だけ”か。言い得て妙だね」
「貧民街では仕方のないことでしょう。娯楽をそれ以外に求められないわけですし」
「バイヤーが馬鹿だったのは、ボンゴレのテリトリーに横流ししたことかな。―――で、やるの?」

書類に“許可”の捺印がされていることを確認して、丁寧に折りたたんで胸元に仕舞ってから、骸は雲雀の言葉に返事をした。

「シンジケート封鎖の許可が下りました。作戦を実行に移します」
「そう、それじゃ、明日までに必要なら連れてくファミリアを届け出ておいて」

届け出があるわけがないことを知りながら、雲雀は形式上そう言って、クルリと踵を返す。

「それでは行ってきます」

背中で、もう何度目かカウントさえしていない出立の挨拶を聞きながら。

ボンゴレは、同盟ファミリーや傘下ファミリーを増やしていく一方で、それと同じくらいのファミリーを壊滅させて、現在に至っている。

それ故に、ボンゴレ10世はマフィア嫌いだと言われるのだが。

  その壊滅作戦の立案と指揮の殆どを骸が執っていた。

“元々、ボスの体を乗っ取るつもりだったんですし、それに比べれば、彼の意思どおりに動いている今のほうが、何かと都合がいいでしょう、お互いに”

僕は、憎いマフィアが一人でも多く屠れるなら何だって良いわけです。

利害関係の一致と言うやつですね、と、眠る綱吉の額に恭しく口付けておきながら、骸は易々と自身の心を虚言で覆い隠してしまった。

「まったく、どいつもこいつも」

手のかかるヤツばっかりだ。

雲雀は誰にともなくそう呟いて、手にした決済済みの書類を廊下のゴミ箱に放り込んだ。




Oh, My Dear !

貴方が呼吸をしているだけで。
貴方が瞬きをするだけで。

私の目は、耳は、心は、貴方だけに注がれる。

それほどに、貴方のことが気懸かりでしょうがないのです。

たとえ此処に本当の貴方はいなくても。


fin.


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