戻れない場所、帰りたい場所。 動くなら、今をおいて他にねぇ。 いつの間にか、ボンゴレ専属のヒットマンに納まっていた家庭教師の言葉に、即答できなかった。 それが、何故なのか。 何に迷っているのか、判然としなかった。 基本的に、直接手元に手紙が届くことは無い。 宛先に何と書かれていようと、送り主が誰であろうと、常に第三者の介在を経て、手元に届けられる。 その日も、安全性を確認された郵便物だけが、朝食の終わった食卓に並べられていた。 食後のコーヒーを飲みながらそれらを眺めていた視線が、殆どが流麗な筆記体で書かれた宛名の中に、まったく趣きを異にするものを見つけて動きを止める。 上質な紙に埋もれた、宛名だけでなく紙質さえも違う、飾り気の無い一枚のはがき。 「・・・へぇ、よく届いた。母さんもやるな」 他の手紙には興味を示さず、その一枚だけを抜き取って、久しく帰っていない母国の文字を懐かしく辿った。 その様子を横で見ていた筆頭秘書官は、無言で今後のスケジュールを組み立て直し始める。 次に、彼の主が何を望むのかを予想して。 「再来月の24日、行くから」 「スケジュールに問題は無いよ」 「そう。行く?」 「別に、僕はどっちでも」 「じゃあ、行こう」 「好きにしたら」 ちっとも素直じゃない。 クスクスと、はがきを手にしたまま笑って、横に立つ秘書官の胸ポケットから手触りの良いペンを拝借する。 そして、濃紺のインクでクルリとはがきに小さな縦長の楕円を描いた。 「出しておいて」 それは、離れて10年以上経つ故郷への案内状。 久しぶりに耳にした、母国語の平坦なイントネーションに不思議な感傷を抱きながら、機内の眠気を引き摺った瞼を瞬かせた。 直行便でさえ12時間かかる故郷は、イタリアよりも8時間早い世界を生きている。 ちょっとした未来だ、なんて内心で笑って、久しく使うことの無かったパスポートを背後に続く秘書に渡した。 荷物は、すでにこちらのエージェントがホテルへ運んでいるだろう。 そう考えながら、朝日の差し込む早朝の国際空港のエスカレーターに足を乗せた。 「こういうの、良いね」 「警備に手がかかってるからね」 「そう」 「乗客、乗員、空港職員、鉄道職員、少なくとも200人はウチの警備関係者だよ」 「そりゃ大変だ」 少し古いエスカレーターで地下に向かって下降しながら、秘書の言葉に肩をすくめる。 マルペンサから成田まで、民間航空会社と交通機関を利用したいと言ったのは自分だ。 今まで我が儘を言わなかったからか、その要求は割とすんなり認められ、その代わり一般客や職員に紛れ込んだ警備の人間達に囲まれて海を渡った。 今も、エスカレーターに面したフロア全てに、ボンゴレの警護部の人間が配置されている。 「朝も早いのに」 「本当にね」 「恭弥は別だろ」 「機内で爆睡してた人間にはわからない苦労があるんだよ」 「へぇ」 トン、とエスカレーターを降りて、天井から吊るされている表示を見上げた。 「日本の案内板は親切だ」 「そう」 カートや大きなスーツケースを手にした人々の間を、早くも遅くもない速度で歩きながら、何故昔の自分はこの案内板を見て道に迷うことができたのかと不思議に思う。 背が低くて上の方まで意識がいかなかった、という不名誉にはこの際気付かなかったことにして。 そう言えば、随分と周りが見えるようになった。 周りを見回しても、自分より高い人間のほうが少ない。 ―――いつも自分より長身の人間達に囲まれていたからか、背が伸びたという感覚はなかったのだけれども。 ICカードの入った財布で改札に触れて、流れるように駅の構内に入る。 イタリアではありえない、正確な時間に滑り込んできた車両に乗り込んで、ここが日本であることを身体全体が理解した気がした。 変な話だが。 しばらく揺られていると列車は地上へと出て、建物の少ない田畑や山々にちらほらと花を咲かせている桜が見えた。 「見ごろは、まだ先か」 幾人かは姓も変わっただろうし、正直な話、クラスメイトの顔なぞ殆ど覚えていないに等しい。 アルバムが手元にあれば、思い出すこともできたかもしれないが、自分を特定できる個人情報など手元に残っているはずもなく。 結局、南半球と大西洋を挟んだ向こう側に、それぞれ出張していた同窓の部下達に電話で尋ねてしまった。 そのおかげで、虫食い痕が多々あるにせよ中学時代の記憶が蘇っては来た。 ―――ほとんど碌なものではなかった。 しかし、行かなければならないと、思う。 階段を降りた地下にある、雰囲気の良い扉の前に立ちながら一瞬逡巡した後、ドアノブに手をかける。 重い感触がして、扉は適度に照明の落とされた室内へと開かれた。 「―――?・・・あ、お前・・・沢田?」 「うん、久しぶり」 扉近くに座っていた幹事らしきスーツの男が、手にした名簿とこちらの顔を幾度か見比べてから口を開いた。 それに笑って返せば、すぐに緊張の色が消えて、無邪気というか子どもっぽい笑みが男の顔に浮かぶ。 「久しぶりじゃん、お前!何だっけ、何かヨーロッパの方に引っ越したんだよな、確か」 「ああ」 「じゃあ就職もあっちなのか?」 「そうだよ」 「おぉ〜あのダメツナがねぇ」 楽しそうに名簿にチェックを入れて、男はこちらをしげしげと眺めて再び笑った。 「誰がどうなるなんて分かんねーな、俺なんて気付けば宮仕えだよ」 「へぇ、でも前野は昔から面倒見良かったから」 「いや、何でも押し付けられた結果断れなかった感が否めない」 「ははっそう言うわりに同窓会の幹事なんだろ?」 「まぁな、性分ってヤツかもな。―――お前で最後だから、行こうぜ、向こうでみんなもう飲み始めてる」 名簿を生真面目に折りたたんで胸ポケットに仕舞い、前野が意気揚々と歩き始めたので、それに続いて歩く。 カウンターのバーテンの一人に顔見知りがいて、一体この店内に自分の身内が何人潜り込んでいるのだろうと仕様もないことを考えた。 店の奥の部屋には20人ほどの男女が集まっていて、それぞれが思い思いにソファに座ったりテーブルで談笑していたりしている。 そこに入っていた前野が、今日の参加者の全員が揃ったことを告げて、後ろを振り返った。 その視線に促されるように、部屋の人間達の視線が一斉にこちらに向けられて、微かなざわめきが起こる。 ・・・人の顔がそんなに珍しいか。 「沢田―!?嘘だろ、お前、なんでそんなにデカくなってんだよ!?」 「ヨーロッパの水か!食いモンか!」 一瞬の間を空けて、悪意の感じられない茶化しが入ると、部屋の雰囲気が再び和む。 記憶の中では、散々な目にしか遭わされなかったクラスメイト達も大人になったらしい。 そんなことを思いながら見回せば、参加者の殆どが着慣れた様子でスーツを着ていて、今日が平日だということを思い出した。 しばらく感慨深く立っていると、既にテーブルに座っていた前野から手招きを受けて、開いているらしい隣の席に座る。 「何飲む?」 「ビール、エビスが良いけど―――アサヒしかないのか」 「うわーあの沢田が初っ端からビール」 「あれ、黒川?久しぶりってか、俺がビールを飲んで何か問題が?」 「いえいえ」 笑いながら冗談交じりで返せば、緩く波打つ髪を軽く結った黒川も笑う。 昔から大人っぽかった雰囲気は、完全に少女の危うさを失って、代わりに落ち着いた包容力を感じさせるものになっていた。 昔の癖で、その隣に視線を彷徨わせて亜麻色の髪を探す。 その視線の動きを見て、黒川の艶やかな唇が悪戯っぽく釣りあがった。 「ざーんねん、京子はこのテーブルじゃないわ。ほら、向こうにいるでしょ?」 綺麗に整えられた爪の指し示した方向を見れば、隣のテーブルのグレイのスーツを纏った―――笹川京子がこちらに気付いて、にっこりと笑いながらひらひらと手を振ってくる。 思わずそれに返しつつ、そう言えば、彼女はもう“笹川”ではないのだったと、ぼんやり思った。 「そういや、沢田も笹川ファンだったよなー。笹川の結婚式行って来たけど、同僚の男共から哀愁が漂ってて面白かったぜ」 「ああ、なんか想像つくなソレ」 「アンタも来ればよかったのに、凄い美人だったわよー」 「うーん、都合がつかなくって」 「へぇ、そう言えば就職はこっちじゃないの?」 「ああ。向こうで就職した」 「あのダメツナがねぇ〜」 「さっき前野にも言われたよ」 同じテーブルの人間全員に異口同音で言われて、自分の中学時代がどんなものだったのかを見せつけられ、苦笑を浮かべる。 それから、たくさん話をした。 くだらない、明日には忘れてしまっていそうな、取り留めのない話を。 くだらないことに笑って、突っ込んで、まぜっかえして。 時計の針が、これほど早く進んだ3時間はなかっただろう。 名前も思い出せないような旧友も、そんなことはどうでも良い、と思うほどに大切な友人のような気がした。 やがて、終電の時刻が近づくにつれて、一人、また一人と席を立っていく。 「それじゃ、そろそろ締めますか」 酒で顔を赤くしながら、人の良さそうな笑みを浮かべて前野が立ち上がると、酒豪グループから二次会を求めるコールが起こった。 それに応じるように場所を移す提案がなされ、参加者の多くがそれに乗っていく。 出欠を集めていた前野が、テーブルに座って談笑している人間達にも声をかけていった。 「水谷参加、小島参加、黒川参加、沢田はどうする?」 「俺はちょっと厳しい。明日には向こうに帰んなきゃ行けないから」 「うげ、ハードだな。そっか・・・またやるから、絶対来いよ!」 「ありがとな」 “帰る” 驚くほど自然に口から滑り出た言葉に、自分のことながら軽く衝撃を受けた。 もう自分にとって、向こうの世界が帰る場所になってしまったのか。 今更なことを思いながら、席を立つ。 まるで卒業式の時のように、旧友達と別れることが寂しかった。 しかし、それと同じくらい、自分がもうこちらへ戻ってくることがないことを知った。 生きている世界が、見ているものが、違いすぎる。 当たり前といえば当たり前な事実に、背中を押された。 これが、けじめだ。 もう、生きているうちにこの国の土を踏むことはない。 結局、笹川京子とそれほど会話をすることなく、店を出た。 終わってしまえば、あまりに呆気のない時間―――しかし、世の中なんてそんなものかとも思う。 薄暗い照明が照らす階段を昇りきれば、黒塗りの車が待っていた。 「お待ちしておりました、ボス」 「ああ」 夜の闇の中に立つ雲の守護者に向かって、ボンゴレ10世は堂々とした笑みを浮かべながら応える。 戻れない場所があるということを喪失と言うのなら、確かに彼は何かを失ったかもしれない。 だが、それが彼の選択だった。 「帰ろう」 戻れない場所と、帰りたい場所は、違う。 その年を境に、長い間ぐずぐずと小競り合いの続いていたイタリアンマフィアの勢力図が、怒涛の勢いで塗り替えられていった。 初代の再来といわれるボンゴレ10世が、本格的な実権の掌握に向けて動き出したためである。 この過程で、ボンゴレ・ファミリーは数多のファミリーを併呑し、抗うファミリーを壊滅させ―――7年という短期間で、ボンゴレ10世はイタリアンマフィアの帝王の名を戴くことになる。 結果として、イタリア国内でのテロや抗争の回数は激減し、市民が被害を受けるマフィアがらみの事件もそれに比例した。 「やりゃあ出来んだよ、テメーは」 執務机の後ろ、支配者の背後という指定席に座って、元 家庭教師が満足そうに笑う。 報告書に目を通しながらそれを受けたボンゴレ10世の口元にも、不遜な笑みが浮かんだ。 「まぁ、俺も、自分のためには頑張るってことだ」 「そうかよ」 「ああ」 だって、自分が生きていくと決めた場所の住み心地は大事だろう。 Fin. 男前、男前・・・??男前って、難しいですね。(敗北宣言) あああぁああぁあぁ、素敵なリクエストをいただいたのに、それを活かせないヘタレ嘉月でございます・・・!!!!orz 申し訳ありませぬ、これはもはや、山にこもって熊と闘うしか・・・!! 使わせていただきましたリクエストは [男前ツナ]、[並盛中学校同窓会]でございます。 リクエストありがとうございました!!! Back |