ひどいひと


水彩絵具を塗りたくったような、馬鹿みたいに青い空が、雲を纏わず地中海の白い太陽を輝かせている。
そんな天気に背いて、湿り気を帯びた淀んだ空気の満ちる部屋に綱吉はいた。
蛍光灯の人工照明が照らすそこは、打ちっ放しのコンクリートの壁も相まって、露骨な寒々しさをむき出しにしている。
―――そこにはただ、血生臭い沈黙だけがあった。

パイプ椅子に縛られたまま、不意に、綱吉は顔を上げる。

「・・・Ciao, ボス」
「Ciao, リボーン」

血溜まりに伏した、元は人間であっただろう死体の先に、闇色の少年が静かに立っていた。

「なぁ、ツナ」
「うん」
「俺はマフィアのボスを育てた憶えはあっても、御伽噺のヒロインを育てた憶えはねーんだが」
「奇遇だな、俺もだよ」

地を這うような少年の声音に、マフィアのドンの、役柄に相応しくない穏やかな返事が返る。

「・・・帰るぞ」

猫のように静かに綱吉の背後に回って、少年はトリガーを引いた。




「おーボス、帰ったのか。怪我は?」
「ないよ、ごめんね。手間かけさせた」

ボンゴレの本城に戻ると、玄関ホールで帰還してきた抗争の前線部隊と鉢合わせた。
山本はさっさと部下達を屋敷内へ追いやって、幼い死神を従えた主の無事を喜びながら出迎える。

「いーや、気にすんな。最近平和だったから、良い気晴らしになったぜ?」
「はは」
「それに、ボスが拉致られてる間に部隊が分散できたから、むしろ手間が省けた」
「そう言って貰えるとありがたいよ」
「本当だって。―――っと、後で報告しに行くから、先に戻っててくれるか?」
「え?あぁ、うん。じゃあまた後で」

十年来の親友の言葉に、ボンゴレ10世は親しみの篭った極上の笑顔を返して玄関ホールを後にする。
その後姿を見送ってから、山本の視線が死神と呼ばれる少年へと向けられた。

「アイツはそっちに行ったみたいだな」
「あぁ、みたいだな。俺が着いた時には死んでたぞ」
「へぇ、アイツも相変わらず素直じゃねーな。さっさと諦めればいいのに」
「さぁな」

抗争の後始末で慌しい本城の廊下を、中央深部へ向かって歩きながら、死神と守護者は漠然とした内容の会話を交わす。

「テメーは余裕だな」

人気のない中央棟に足を踏み入れたとことで、リボーンはピタリと歩みを止めた。

「俺と獄寺は開き直ってるからな」

山本は、歩みを止めないまま背後にひらりと手を振って、自分の補佐官が待っているであろう執務室へ消えた。

俺達はツナがいないと生きていけない、それを事実として認識している。

「―――はっ、とんでもねえ」

飄々とした男の、暗く純粋な執着に満ちた内心を読み取って、リボーンは肩をすくめると再び静かな廊下を歩き始めた。
茜色に変わり始めた陽射しが、白を基調とした廊下を暖かく染め上げている。




さて、その頃、一足早く中央棟最奥部の執務室に戻っていたボンゴレ10世は、支配者としてあるまじき格好で、仁王立ちをしている主席秘書を見上げていた。
毛足の長い絨毯は、正座の負担を僅かながらに和らげているが、徐々に、しかし確実に綱吉の足の血流は滞っている。
うずうずと足を動かしていると、背後に不機嫌な殺気を纏って立っていた麗人がおもむろに口を開いた。

「さて、綱吉」
「は、はぃ!?」
「今回の反省を述べてみて」
「え、えぇっと・・・拉致。されてマ、シタ?」

ひゅんっ
空気を切る音がして、首を傾げた綱吉の首杉に冷たい金属の棒が当てられた。

「うーわー!恭弥さん!おち、落ち着いてください!!」
「僕は非常に落ち着いているんだけど、君があまりにお馬鹿な回答をすると、動揺のあまり手元が狂うかもね。はい、反省を述べて」
「だって、あの場合は拉致られた方が作戦的にもが!?」

トンファーを持つ手とは逆の手が、綱吉の片頬を勢いよく引き伸ばす。

「君って本当に・・・馬鹿だねぇ」

思ったよりもよく伸びる頬に半ば感心しながら、雲雀はしみじみと呟いた。

「はにがでふかぁ(何がですかぁ)」
「あの変態色情魔がわざわざ君を拉致したのは、手を出す気だったからでしょ。アレが会談のたびにどんな目で君を見てたと思うの」

雲雀は摘んでいた指を離して、至極不快そうに言いながら屈めていた上体を起こす。

「・・・はぁ!?俺、男ですよ!?」

微かに赤くなった頬を押さえて、しばらく雲雀の言葉の意味を考えてから、綱吉はぽかんとした表情で頓狂な声を上げた。
それを聞いて、主席秘書の眉が嫌そうに跳ね上がり、彼の機嫌を表現するように重い溜息が唇から零れる。

「本当に・・・馬鹿だねぇ」

綱吉は、呆れたような、けれどどこか苦しそうなその言葉に、しびれ始めた足でふらつきながら立ち上がって、雲雀の頬に手を伸ばした。

「恭弥さん?」
「・・・何でもないよ」

心配そうな顔に見上げられて、雲雀は苦笑しながら顔を背けて一歩下がる。
そして、一度綱吉の頭をぐしゃりと撫でると、気を取り直すように執務机へ視線を投げた。

「さて、仕事を始めて貰うよ、ボス?」


扉を開けて部屋を出ようとしていた雲雀は、正面の窓ガラスに凭れて立っている死神を認めて僅かに眉を引き上げた。
けれど、特に何かしらの反応をすることもなく、そのまま後ろ手で扉を閉めて秘書室へと歩き出す。

「察しの悪いヤツだ」
「君の教え子だよ」
「・・・ふん」
「でも、まぁ、それが綱吉だからね」

それで良いんだよ。
歩みを止めず、振り返りもしない男の言葉に、どこか愉快そうな音を聞き取って少年は眉を顰めた。

「難儀なことだな」
「別に、あの果物頭や・・・君よりマシだよ」

何をそんなに怯えているの。
失うことに比べれば、得られない苦痛なんて。

「・・・」
「難儀なことだね」

ふっと、未発達な情緒を内包する死神の白い顔を視界の端に見て、その幼さを惜しみながらも哀れんだ。

同病、相哀れむってね。



「―――チッ」

少年は、誰もいなくなった廊下で、床の一点を親の仇のように睨んだまま、数秒の間動かなかった。

知っている。
わかっている。
報われない。
疲れるだけだ。

少年の明晰な頭は、明白な事実として結論を提示する。

“沢田綱吉の特別には、誰もなれない”
それは沢田綱吉が誰も愛さないということではない。
全てを愛するが故に、誰も彼の特別にはなり得ないのだ。
彼の回りの人間が、どれほど彼を特別に思うことがあっても、その逆はありえない。
彼は、人の、彼自身へ向けられる感情に疎すぎる。
それが彼の処世術だ。
そうしていれば、沢田綱吉は誰からも傷つけられないから。

彼は平等な愛情しか注がない、それが口惜しい。
その平等な愛情が、彼の命に裏打ちされた大きなものだと理解していても。
いや、理解しているからこそ。

獄寺も。
山本も。
あの雲雀も。
己の欲求と折り合いをつけて、沢田綱吉の傍にいることの方を選んだ。

自分はどうだろう?
世界最強の名を冠するヒットマンは答える。
“これ以上の深入りは避けるべきだ。”
死神の仮面を被った少年は考える。
“俺は―――”

「あれ?リボーン、どこ行ってたんだよお前?」

唐突に開いた扉から、幾枚かの書類を手にした綱吉がひょこりと顔を出した。

「・・・」
「何、変な顔して?」

複雑そうな表情を、無表情の仮面の下に読み取って、綱吉は訝しみながらリボーンの正面に立つ。
まだギリギリ抜かされていない高さにある漆黒の瞳を見下ろせば、ふいっと逸らされた。

「・・・リボーン?」

触れられることを嫌う元 家庭教師を慮って、表情だけで労わりを表現するように暖かな笑みを浮かべながら問いかける。

何があったの?
どうしたの?
何か、悲しいことがあったの?

心からの慈しみに満ちた問いかけが、琥珀色の瞳を介して少年の脳髄に柔らかくも確実に突き刺さった。
そしてじわじわと、少年の未発達な情緒を真綿で締め上げていく。

ああ。

死神の仮面の下で、幼い少年は瞑目した。
それは、彼の誇りを葬り去ったことへの追悼か、果て無き渇望の地獄に身を投じる覚悟か。

「なぁ、ツナ」

リボーンの伸ばされた腕が綱吉の背中に回されて、ぎゅう、と神に縋りつく殉教者のように強く力が込められた。
唐突な、元 家庭教師からの接触に、綱吉は一瞬何が起こったのか理解できなかったが、すぐにそのまだ幼さを残す体を抱きしめる。
―――それがどれだけ残酷な抱擁となるか、無自覚なまま。

「よしよし、どうした?」
「―――ダメツナ」
「え、何?」
「別に」
「そう?」

変なヤツ。
そう言ってクスクスと無邪気に笑う残酷な支配者を腕に抱き、死神は内心で溜息をついた。

酷いヤツだ。
全てを差し出すふりをして、本当に欲しいものは、誰にも渡すつもりがない。





綱吉が目を覚ましたとき、まだ夜の闇が深く見える景色はおぼろげだった。
事後処理に終われ、限界まで疲れ果ててベッドにもぐりこんだのだから、誰かに起こされるまで起きるはずがなかったはずなのに。
そう思いながら視線を彷徨わせれば、何が綱吉を眠りの極楽から引き戻したのかが容易に察せられた。
しっかりと閉められているべき窓が開かれ、カーテンが微かに揺れている。
そのカーテンの波に紛れるようにして立つ、特徴的な髪型の影を見出して、綱吉は寝惚け眼で微笑んだ。

「骸、どこ行ってたの」

お前ってば、向こうのボス殺ったらすぐどっか消えちゃってさ。

そう言いながら、緩慢な動きで身体を起こせば、いつの間にか人影はベッドの横に立っていて。
どんな表情をしているのかまでは、闇に紛れてわからなかったが、綱吉はごく自然な動きで腕を広げて笑う。

「おかえり」
「―――っ」

一瞬何かを堪えるような間が空いた後、長身の影がゆっくりと綱吉の腕の中へ納まった。
しばらく、指どおりの良い髪を撫でながら、特に何を言うでもなく自分よりも一回りほど広い背中に手を回す。

「―――突然、いなくならないでください」
「うん、ごめん」
「君は、いつか僕が殺すんです。それまでは、勝手に消えるなんて許さない」
「うん、そうだね」
「聞いてるんですか」
「聞いてるよ」

綱吉は、骸のくぐもった小さな声に耳を傾け、わりと繊細な精神構造の男を安心させるように何度も背中を撫でてやる。
やがてとろとろと眠気が再びやってきたので、綱吉はゆっくりと体を倒した。

「骸―寝るぞ、もう遅いし」
「・・・は?」
「お前返ってきたばっかだし、疲れてるだろうし、俺が眠いし」
「確実に最後のが理由でしょう」
「まぁなー・・・ほら」

ずりずりと身体を動かしてベッドの端によると、隣の空いたスペースを軽く叩いて、呆然としたまま膝立ちでいる男を手招きする。

「・・・―――はぁ」
「なんだよ」
「君ときたら、本当に」

酷い人ですねぇ。
綱吉は、しみじみと呟きながら隣に転がり込んできた男の言葉を気にすることもなく、目を閉じた。




Fin.


天然属性の乏しい嘉月には、これが限界だった模様ですorz
むしろ、天然と言うか、ただのニブニブなツナになった気がしてなりません・・・!!!
たらし込んでないYO!!ツっくん全然たらし込んでないYO!!

使わせていただきましたリクエストは [天然タラシツナ]、[10代目ツナ]でございます。
リクエストありがとうございました!!!


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