こっちを向いて


日本は、イギリスの家の寝台が嫌いだった。
随分と西洋化の進んだ日本ではベッドも当たり前になっていたが、イギリスの家のベッドだけはどうしても好きになれなかった。
もちろん、日本の家の客間にも、スウェーデンから贈答された、素朴ながら寝心地の良いキングサイズのベッドが鎮座しているが。

それはともかく、日本はイギリスの家のベッドが嫌いだった。

あのベッドは、広すぎる。

二人で寝ても、広すぎるのだ。

―――そんなこと、口が裂けても言える日本ではなかったが。




この世で唯一と決めた相手に存分に愛されて眠る夜というのは、翌日に確実に持ち越される疲労について考えを及ばせなければ、間違いなく至福のひと時の一つである。
それが1年振りともなれば、むしろ幸せになれない方がどうかしている。

どうかしている、と、日本も思うのだ。

思いはするのだ。

しかし、では、何故、今、自分は幸せでないのだろう。

まだまだ夜明けが遠いことを教える深い夜の片隅で、近年まれに見る潔さで目を覚ましてしまった日本は、ほどよく弾力があるベッドマットに肘をついて、隣に眠るイギリスを恨めしげに眺めていた。
ホットマットがベッドシーツの下に敷かれているため、まだまだ寒いこの国の夜に特に苦痛は感じない。
たとえ、まったく服を着ていない、生まれたままの姿でいたとしても、羽毛の掛布団が熱を逃がさずにいてくれる。
むしろ若干暑いくらいだ。

だから、寒さは問題ではないのだ、この場合。

日本の目を覚まさせ、幸せな気分を下降させた原因、それは、日本にとっては口にするのも恥ずかしいものだった。

イギリスが、日本に背を向けて寝ている。

それだけだ。

しかし、いつもは暑苦しいほどに日本を抱きしめて離さないイギリスなので、日本としてはなんだか物足りない上に、寂しささえ覚えてしまう。

イギリスの家で眠るときは、5回に2回くらいの割合で、こういうことがあった。
自分の家であるというイギリスの無意識の安堵と、ベッドの広さが原因だと日本は睨んでいる。
イギリスは、日本が自分の家にいる限り、安心していられるらしい。
ここにいるならば、日本はどこにも行かないし、誰にも会わない、と確信できるから。

日本も、それは別に構わない。

いつもいつも、日本がどこかに行ってしまわないかと、不安と嫉妬と独占欲でぐちゃぐちゃになっていては、いくらイギリスと雖も疲れてしまうに違いないのだから。
―――どちらかと言うと、偶にそういった一面を見せてくれるからこそのイギリスであると、日本は思っていた。

そうだから問題は。

この、無駄なスペースだらけのベッドなのだ。

別に、一晩中抱きしめていてもらわないと眠れないわけではないが、久方ぶりの逢瀬で離れて眠るのも侘しいものがある。

さて、どうしようか。

肘を突いて手に顎を乗せた格好で、すやすやと安眠を独占している背の君を観察しながら日本は思案した。

そもそも、なぜこちらに背を向けて寝ているのだ、イギリスは。

夜の闇の中では見えないが、あの白く広い背中に細かい傷がたくさんついていることを知っている。
長く生きれば、それぐらい当たり前のことだ。
さて、その背中をこちらに向けて眠っているのは、日本を信用していることの現われととるべきか、薄情者ととるべきか。
―――そもそも、信用してない相手をベッドに引きずりこんで、挙げ句、その相手を放って熟睡する人間はただの馬鹿だ。

ということは。

「薄情者」

いつもなら繋がらない思考回路の連鎖が、1年ぶりの逢瀬でそれなりに幸福状態だった日本脳内で起こり、日頃は決して口にしないであろう不満に満ちた呟きが漏れた。
その拗ねた様子をイギリスが見れば、まず間違いなく慌てふためきつつも内心で躍り上がっていただろう。

可愛い、とかなんとか絶叫しながら。

けれど惜しむらくは、当人はそんなことに全く気付いていなかった上に、イギリスは相変わらず眠ったままであることだ。

イギリスが自分の方へ向くのを待つべきか、それとも自分がイギリスの向いている方へ移動するべきか。

そんな瑣末なことに思考を持っていかれるなんて、随分と平和ボケしたものだと苦笑しながら、日本はすいっと指を伸ばしてイギリスの金色の髪に絡めた。
日本のものよりも、少しだけ乾燥した手触りのそれは、持ち主よりも遥かに従順に日本の指に絡まる。
悪戯心に促されるままに引っ張ってみれば、小さな不満の声とともに白い背中がピクリと動いた。

「・・・にほ、ん?」

寝惚けた声がして、イギリスの腕が何かを探すようにさまよった後、がばりとバネ仕掛けのような勢いで上体が起き上がる。

「日本っ?」
「はい、おはようございます」
「え、あ、おはよう」

イギリスが、よく状況を把握しないまま反射的に返事を返した方向が、自分が寝ていた方向とは逆だったと気付いて、イギリスの片から力が抜けた。
そして、くすくすと笑う日本に腕を伸ばして、ベッドの上に脱力する。

「驚いた、帰ったのかと」
「イギリスさんに何も言わず?」
「―――」

寝起きでも素直になれないイギリスに愛しさを覚えながら、やっと落ち着ける場所を確保した日本はふぅと体の力を抜いた。

「イギリスさん」
「ん?」

日本を抱き込んで安心したのか、また眠りに差し掛かっていたイギリスが、吐息のようにささやかな呟きに、眠そうな返事を返す。

「ずっとこうしててくださいね」
「?―――当たり前だろ」

寝惚けた思考回路のままにそう言って、イギリスは日本の頭にキスをして瞳を閉じた。
イギリスが、その日本の稀にみる素直さをもっと堪能すべきだったと気付いたのは、翌日の朝食の席だったけれども。

それはともかく、再びやってきた安息の場所に身を任せながら、日本は馬鹿正直に近づいてくる眠気に苦笑した。
なんて単純な構造をしているのだろう。
これではまるで、母親に構ってもらえて嬉しい幼子のよう。

―――2000歳の幼児なんて、笑い話にさえならない。

「でも仕方がないですよね」

ほとんど吐息に近い囁きを、瞳を閉ざしながら紡ぐ。
その囁きは、本人の耳にさえ届くことなく優しい夜の一部になった。




Fin.


甘い・・・?コーヒーをブラックで飲めない割りに甘さに耐性のない嘉月です。
これが甘いなんて、英日界に数多存在する甘くて幸せな英日に申し訳が・・・・!!!
しょ、精進いたします・・・orz



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