子どもの我が儘 毛足の長い絨毯の上に統一感のある家具が無造作に置かれた、ボンゴレの本城の最奥部。 そこは、マフィアの中でも、歴史と伝統と格式に裏付けられたファミリーを統べる、ボンゴレ10世の私室である。 城の中でも有数の広さをもつその部屋には、価値のあるものが置かれていても、機能性にかける物は一つとしてない。 それはそのまま、部屋の主の生活スペースにしか物が置かれていない、ということでもあって、広い部屋の60%は完全なデッドスペースと化していた。 当たり前だが、家具がキングサイズのベッドを中心として、部屋の一部に偏在して配置されているのは、決して見栄えのいいものではない。 だが部屋の主は、自分の右腕がインテリアにこだわるのを一笑に付して、自室を小さく有意義に活用していた。 寝るためだけの部屋ならば、周囲の物をできるだけ眠りやすい庶民的な間隔で配置したい、と、小庶民的感覚から恐らく一生抜け出せぬであろうマフィアの帝王は思っているのである。 大事なものは、自分の手の届く近くにおいておきたい。 自分の見たくないものは、どんな手を使ってでも遠ざける。 そんな風に、極めて自分に正直に生活しようとした結果、彼の部屋はこうなった。 さて、そんなボスの広く小さな安息の地に、北極のごとき極寒のブリザードが吹き荒れたのは、日も暮れたある秋の日だった。 最近終結したそれなりに大きな抗争のために、ボンゴレ全体がデスクワークに追われており、大きな窓から見えるどの部屋からも煌々と明かりが漏れているのが見える。 書類の山に追われているのは、ファミリーを統べるドン・ボンゴレも例外ではなく、綱吉は執務室の床を覆い隠さんばかりの書類の山に一時休戦を告げて、へろへろと戻ってベッドにもぐりこんだところだった。 だが、スーツのジャケットを脱いだだけの格好で、ぬくぬくと毛布に包まっていた彼は、扉を開けて優雅に姿を現した人物を見て―――正確にはその人物の凍えそうな雰囲気に、蓑虫の格好のまま固まった。 ボンゴレ10世の、年齢の割りに幼い印象を与える瞳は、自分の斜め前のテーブルに悠然と腰掛けている人物に固定されたまま微動だにしない。 ―――いやむしろ、ここで目を逸らせば、そのまま生命の危機に直面しかねないことを、彼の超直感が告げている。 その視線の先にあるのは、最近まで別の任務で長期出張していた、ドン・ボンゴレの守護者であり、首席秘書官でもある雲雀恭弥の端麗な顔。 なまじ顔が整っているだけに、凍れるような怒りのオーラを纏った彼は相当に恐ろしい。 「あのー・・・恭弥さん・・・?」 「何?綱吉」 「えぇっと、お帰りなさい・・・お早いお帰りで・・・」 「うん、ただいま。あまりにも不快で、すぐにケリをつけて帰ってきたからね」 「はぁ・・・その、それで・・・いかがなさいましたのでございましょうか」 ビクビクと、猛禽類に睨まれた小動物のように綱吉が自分の部下にお伺いを立てれば、雲雀はそれはそれは美しい笑顔で応えた。 その滅多に見られないパーフェクトな笑みが、醸し出されている雰囲気とあまりにも正反対で、更に部屋の温度を低下させる。 不意に雲雀が、腰を下ろしていたテーブルから立ち上がり、白い手をついっとベッドの上の綱吉の髪に絡めた。 「分かってるくせにね・・・弁明は聞くけど?」 「―――長期任務だったからですか」 「さぁ?」 「しかもそれが目茶目茶遠くだったからですか」 「さぁ?」 「さらに、取引交渉の相手が変態で有名なおっさんだったからですか」 「どうだろうね?」 「さらにさらに、恭弥さんがそのおっさんの好みにクリティカルだったからですか」 「へぇ?」 「抗争とは別任務にして、前線から外したからですか」 「うん、全部」 ぶちり、と音を立てて、雲雀の長い指に絡まっていた色素の薄い髪が抜けた。 はらりと白いシーツの上に散った幾本かの髪を見て、綱吉は涙目のまま恭弥を見上げて口を開く。 「い゛っ痛いですよ恭弥さん!!貴重な髪に何してくれちゃったんですか!?」 「大丈夫、家光は禿げてないから、君も禿げる可能性は低いよ」 「いや、門外顧問が禿げてるか否かは問題じゃないですよ!俺の精神衛生上の問題ですよ!!」 「君は、僕への精神衛生上の配慮を怠ったようだけど?」 「―――ぅ・・・」 不意に鼻先が触れ合うほどに寄せられた美貌と、よく通る声が淡々と告げた内容に、綱吉は言葉を詰まらせた。 「それは・・・その・・・」 ちゅっとそのまま口付けられて、綱吉の言葉は意味を成さない音の羅列になる。 雲雀は、わたわたと初心な反応を返す上司の様子を、ベッドに手を付いた格好のまま眺めながら嘆息した。 ボンゴレ10世 沢田綱吉が、今回の大きな抗争の前線から、自身の最強の守護者を外したのにはワケがある。 それを、雲雀も熟知していたけれど、知っているのと納得するのとの間には、残念ながら深くて大きな溝があった。 「ちょっと、今回の我が儘はやり過ぎじゃない?綱吉」 「・・・」 今回ボンゴレが相手にしたファミリーは、以前キャバッローネと肩を並べるほどの大きなファミリーで、同盟こそ組んではいないもののそれなりに交流のあるファミリーだった。 ―――このファミリーとの抗争が始まる1年ほど前、このファミリーのボスの孫娘と雲雀が婚約する程度には、親しい間柄のファミリーだった。 ちなみに、その孫娘はボンゴレとの抗争が始まる前夜に服毒自殺を図っている。 何者かの計略か、それとも果たされぬ夢と化した結婚を嘆いてなのか、彼女の自殺の真意など綱吉の知ったことではない。 問題は、彼女が雲雀恭弥の婚約者であったこと。 もちろん、ドン・ボンゴレとしては、二十歳にも満たない女性の自殺など気にかけるどころか関知する必要さえないのだが、沢田綱吉個人としてはそれを看過するつもりがなかった。 「うーん、恭弥さんって一度懐に入れた人間とか、それなりに認めた人間が自殺とかするの嫌いでしょう?」 「まぁ、気分はよくないだろうね」 「そしてそして、恭弥さんの気分がよくないって、そのまま暴力の形で発散されるでしょう?」 「君が言うなら、そうかもしれないね」 毛布をぐるりと体に巻いた、毛布の蓑虫の格好で雲雀の膝に頭を預けた綱吉は、ゆるゆると頭を撫でる手にほんわりと微笑んだ。 「恭弥さんが、俺のため以外に怒るのも嫌なんですけど、俺のため以外に怒って戦うのなんて見たくないです。そんなの史上最悪の光景です。太陽が西から昇る日が来てもありえません。絶対阻止して見せます」 だって、貴方は俺だけの守護者でしょう? 無邪気でどこかあどけなささえ含んだ満面の笑みとともに告げられた、どこまでも利己的な台詞が、雲雀の視覚と聴覚をじわじわと侵食して、やがて脳に染み渡って不可思議な愉悦に変換された。 「僕が、彼女が自ら死んだことに怒ると?」 「怒っていたでしょう、さっきまで」 先ほどまでの凍えるオーラが、綱吉の行動に対するものだけでないことくらい、超直感に頼らずとも察せられる。 それはつまり、雲雀が名ばかりの婚約者をそれなりに気に入っていたということ。 確かにアントーニアはいい子だったけど。 内心の哀れな女性を惜しむ呟きはおくびにも出さず、綱吉はじっと自身の守護者の濡れ羽色の瞳を見上げた。 深い色の瞳は、何かを思案するような、そして何かを堪えるような、微かな揺らぎを暫く浮かべた後、ふっと静かに伏せられた。 綱吉の思考の片隅が、それを残念だと感じる間もなく、再び開かれる。 そこには既に先ほどまでの揺らめきは微塵も見当たらず、その変わりに幼子のわがままを許容する兄のような苦笑が浮かんでいるばかり。 「仕方のない子だね、綱吉は」 そうして降りてきた静かな口付けに、琥珀の瞳が驚いたようにひらかれたが、やがて嬉しそうな笑みに変わった。 「そうですよ。だって、そんな恭弥さんは絶対に見たくなかったんですもん」 「自分の知らないところで君に何かあったら、と気が気じゃなかった僕の身にもなって欲しいね」 「それでさっき怒ってたんですか」 「今更気付いたの?」 「だって、てっきり、アントーニアの弔い合戦に参加できなかったからだとばかり」 「弔い合戦も何も、彼女は自殺でしょ」 呆れた、と言わんばかりに嘆息して、雲雀は思考回路が変な風に捻じ曲がってしまった綱吉の頭を軽くはたいた。 「それはそうなんですけど・・・」 「それはそうでしかないんだよ。どうせ上役の長老に言われて婚約しただけだし」 「でも、気に入ってはいたでしょう」 「まぁね。じゃなきゃさすがに婚約はしないさ」 「・・・」 お気に入りの玩具をとられた子どものような表情で、綱吉はころりと体を転がして雲雀の腰に腕を回す。 下腹部にぐりぐりと無言で押し付けられる頭を撫でてやりながら、雲雀は本日何度目かの溜息をこぼした。 綱吉は、ごく稀に子どものようなことを言う。 それは、誰かの生き死にに関わるようなことであったり、近所のパンケーキ屋のシュークリームについてであったりと、内容の深刻性は様々な、子どもの我が儘。 雲雀を独占したがるのだって、それの延長に過ぎない。 もちろん、その我が儘は日本からともに来た幹部に向けられることさえ稀で、たいていの場合、筆頭書記である雲雀がすべて処理していた。 あんなにも学生時代に自分を恐れていたくせに、いつの間にこれほど懐いたのか。 それは雲雀の知るところではないが、とにかく、雲雀に対しての綱吉の我が儘は今回のように少々行き過ぎることもさえもあって。 ふわふわと指触りの良い髪に手を置いて、雲雀はくるりと綱吉の部屋を見回した。 十分な広さがありながら、徹底的に無駄なもの、邪魔なもの、気に入らないものの廃絶された部屋。 よく使われる、気に入られたものだけが、綱吉を取り囲む小さな世界。 なんていびつで子どもじみた場所なのだろう。 この部屋を見てあの忠犬が眉を顰める理由は、けして見栄えだけではなく、この部屋に漂う独特の閉塞感を感じ取るからかもしれない。 困ったもんだと言っていたのは、あの虹の名を持つ闇の世界の申し子だったか。 まぁ別に、仕事の方にまでその“困った”性格が現れていないのだから、家庭教師は特に口を挟むつもりはないらしい。 結果的に、一番の被害を受けて、そして恐らく一番甘えたな綱吉の相手をするのは雲雀だけになる。 被害者なのか役得なのか、非常に悩むところだ。 「ねぇ恭弥さん」 「なに?」 「呆れました?嫌いになりました?」 嫌われるように仕向けているのかと言いたくなるような我が儘なのに、雲雀に嫌われることを心から恐れる矛盾した様子は、この暗い世界に順応するために歪んだ綱吉の心の代償だろうか。 上目遣いで見上げてくる琥珀色の瞳をしばらく見つめてから、雲雀はゆるゆると首を振った。 そして、長い指でぴんっと額をはじく。 「君の我が儘はね、時々本当に殺してやりたいくらい腹立たしいものがあるけれど―――まぁ、それでも君だからね、仕方がないよ」 確かに、自分の婚約者としてそれなりに認めた人間が死んだことも、その後の抗争に参加できなかったことも腹立たしくは思うが、その怒りと綱吉とでは比べる価値すらない。 雲雀にとって綱吉はそういう存在だった。 好きか嫌いかではない、そこに沢田綱吉というものが“在って”いることが重要だと思える存在。 ―――むしろ、好きか嫌いかとだけ問われたら、雲雀は綱吉が嫌いだと解答してしまうだろう。 綱吉ほどに、雲雀恭弥と言う人間を振り回し、屈服させ、必要とする人間を、雲雀は他に知らない。 そんな風に自分を扱う人間を、誇り高い雲雀の理性は拒絶する。 けれどそれと同じくらい、そんな綱吉を甘えさせてやる自分の存在も否定できない。 今こうして膝の上で子どものように甘えている青年は、日が昇れば―――いや、この家具に囲まれた領域から一歩でも出れば、一瞬にして辣腕を振るう冷酷非情なマフィアのボスになるのだろう。 部下からの熱狂的な支持と、敵からの最大限の畏怖を一身に向けられる、マフィアを統べる帝王に。 そう思うと、雲雀の背中を優越感がすり抜けていく。 こんな姿を見れるのが自分だけだというのは、確かに役得といえば役得なのだろう。 綱吉の行動が、決して雲雀に対する愛情によるものではなく、闇の世界で正気を保つために、藁にも縋る思いで伸ばされた幼子の手のようなものだったとしても。 「いつまでも子どもだね、君は」 「でも、そんな俺が可愛いんでしょう?」 「―――否定はしないよ」 だって、子どもは我が儘を言う生き物だろう? fin. 茉莉さま、3万Hitおめでとうございます!! 粗品ではございますが、リクエストを頂きましたヒバツナを贈らせていただきます!! どの辺りがヒバツナ何だとか、そもそも意味が分からんなどの突っ込みは、どうぞマリアナ海溝よりも深い茉莉さまの胸のうちにお秘めくださいませ・・・!!!(土下座) 久々にリボーンを書くと、こういうことになるんだという見本ですね!!(ひぃ) もはや、煮るなり焼くなりお好きにしてくださいませ!! Back |