『―――………』 穏やかな声が、呼んでいる。 すぅっと頬を撫でられて、思わずはにかむ。 すると彼は、なぜか寂しげに微笑んだ。 それは、夢。けれど現にと願う。 此処は、何処だろう? 辺りには建物が何もなく、道さえも無い。人っ子一人いない、無人の世界。 上を見上げれば、大空が広がっている。だが、その空は褪せていた。まるで薄い布を被せたようなその空は、ぼんやりとしていて寂しげで。 地面を見下ろすと、緑の絨毯が何処までも続いていた。空と違って鮮やかさを持つ植物たちは、己の美しさを誇示するわけでもなく、ただそこに在って。 純粋にきれいだなあと思い淡く笑うと、突然世界が変わった。 「……っ…」 無人の世界は、確かに寂寥感があったけれど。でも、それでも世界は暖かだった。 けれど、此処は違う。 黒く塗り潰された世界。 光など一切届かない、灰色の濁った視界。 漆黒ならば、いつも見ていた。 だから恐怖など抱かない。 黒は本当は優しさを持っていることを知っているから。 だが、この灰色は。 清らかなものなど欠片も無い、他者を呑み込もうとする巨大な力。 自分では太刀打ちできない種類の力。 恐怖を感じずにはいられない、生気を吸い取っていく力。 思わず肩を震わせ、一歩下がる。 すると灰色も此方に近づいてきて、視界に大きく広がった。 ああ、駄目だ。呑み込まれる。 逃げることも出来ぬまま立ち尽くしていると、不意に後ろから腕を掴まれた。 途端に灰色の靄が薄くなり、ぱりんと砕け散る。 「………やっと、見つけた」 耳元に落ちてきた涼やかな声。 それにどうしようもなく安堵して、力が抜ける。 ふらりと傾いだ身体を、彼はいとも容易く抱きとめた。 「――――本当に、いつまで経っても手が掛かりますね」 そこで、世界は切り替わった。 突き抜けるような青空の下で、彼は笑った。 「お久しぶりです」 「――――……むく、ろ?」 ふるえる手をそろそろと伸ばすと、冷たい手に掬い取られた。 骸は肯定するかのように綱吉の指先にくちづけて、口の端で笑う。 「君が夢遊病だとは知りませんでした」 「なっ…?!」 「冗談です」 冗談でもなんでもない顔で笑っている骸を、どうしようもない目で見つめる。 なまじ顔が整っているだけあって、本気なのか冗談なのかイマイチ掴めないのだ。 不意に骸が口元から笑みを消す。 穏やかな風が二人の傍を通り過ぎる中、骸は穏やかに言った。 「―――綱吉君」 名前を、呼ばれる。 琥珀の瞳で見上げると、うつくしい双眸と視線が交差した。 色違いの双眸は一瞬だけやわらかく細められ、すいと優美な手が伸ばされる。 大きな手は綱吉の頬を包み込み、そして名残惜しむかのように指先でやさしく撫でられる。 頬に触れる冷たい感触に、思わず心が和む。 そして無意識に、淡い唇があどけない笑みを浮かべた。 骸は瞠目し、そして自身も穏やかな微笑を端整な唇に浮かべる。 「……骸?」 不思議そうに瞬く、琥珀の瞳。 そこに映るのは、自分ただ一人。 愉悦にも似た感情に心を染め上げながらも、骸は囁いた。 「そろそろ帰ったほうがいい。あまり長時間此処に居ると、君の身体に支障が出ますよ」 突如、ぐにゃりと視界が歪む。 危機感はなく、この世界を去るのだという確信が頭を過ぎった。 「………また、いつか会える日まで」 呟かれた言葉。 そこに秘められた切ない感情に、思わず胸が締め付けられる。 こんな、寂しい世界で。誰もいない、独りぼっちの世界で。 「―――俺、いつか絶対お前を取り戻すから……!」 無意識に口から零れ出た言葉。 こんなに寂しい世界に、骸を置いておくわけにはいかない。 こんな哀しい世界では、傷ついた心は癒えない。 これが何の感情かなんて、知らない。 でも、――――瞳から、涙が零れる。 「俺は、これ以上お前を独りぼっちになんか、させたくないんだ―――」 そこで、意識は暗転した。 だが、知っている。 骸は、確かに笑ったのだ。 泣きそうな顔で、きれいに、きれいに。 ――――こんなに不器用で哀しい人を、自分は知らない。 がんっと頭を強く強打する音が部屋に響いた。 「いで……っ!」 床に強か頭をぶつけた後、綱吉は痛む頭に手を当てて周りを見回した。 そこは、見慣れた応接室で。 「なにやってんの」 呆れを含んだ声が、上から降ってきた。 「ひ、雲雀さん……」 「寝ながら落ちるなんて、まったく器用だね」 「……ふつうに寝相が悪いねって言ってください」 「なんで?」 「そっちのほうが精神上、ダメージが少ないんです」 ふぅん、と聞いているのかいないのか曖昧な返答をよこした雲雀は、いきなり綱吉の腕をぐいっと引っ張る。 わわっと慌ててふんばろうとするが、それが出来るはずもなく。 必然的に、ひっぱられた綱吉の身体はぽすんと雲雀の胸に収まってしまった。 「………あの、」 「なに?」 「この体勢は、ちょっと、その、」 「うるさいね、君。ちょっと黙ってなよ」 「―――はい」 鋭い眼光にびくりと肩を震わせ、抵抗をすっぱりと諦める。 そんな綱吉を雲雀は子供に接するように抱き上げた。 え、と固まる綱吉の腰にはがっちり腕を巻きつけられていて、逃げようにも逃げられない。 ひえーっと内心で絶叫しながらも抵抗すると殺されるため、じっと耐える。 雲雀は何故か機嫌良さそうに目を細め、手近のソファに腰を下ろした。 ―――勿論、綱吉を抱きかかえたまま。 「…………え?」 頭が真っ白になった。 とりあえず、自分の状況を整理してみる。 自分は雲雀の膝に座っており、雲雀の腕の中に居る。 膝だっこ、という体勢、なのだろうか。 最早叫ぶことも出来ずに固まってしまった綱吉にちっとも気づかない雲雀は、亜麻色の髪を指先で撫でている。 どうやら、先ほどぶつけた箇所を探っているらしい。 「……うん。そんなに強くは打ってないみたいだね」 「……う、あ、はい」 「――――それで」 え?と目を見開く綱吉の前に、すいっとしなやかな手が伸ばされた。 様々な人間を屠ってきたその指は、しかし美しくて。見惚れていると、雲雀の手が目元に触れた。 「なんで泣いてたの?」 わずかに濡れた指先。 その雫が自分の涙だと気づくのに、約五秒かかった。 「えっと、その……」 どうやって話せば、良いのだろう。 雲雀は、骸のことを毛嫌いしているのだ。 話題にしただけで機嫌は最悪になる。 しかし、話さないと機嫌は下がるわけで。 どんな言葉がいいか悩んでいる姿を眺めながら、雲雀の表情は険しくなる。 どうやら、彼の目には話したくないように映ったらしい。 「――――寝言で、『骸』って言ってたけど?」 部屋の温度が、五度ほど下がった気がする。 「苦しそうに顔をゆがめて、何度も何度も、あいつの名前を呼んでたね?」 気づけば、耳元で囁かれていた。 艶やかな黒い髪が、首筋をかすめてくすぐったい。 雲雀の腕が首の後ろと腰に絡んできて、幾分か強い力で抱きしめられた。 「………ねぇ。あいつと何かあったの?」 僕に話してみなよ。 それは催促しているようだったが、実は違う。 話せ、と強要しているのだ。ぐっと絡まった腕に力が篭る。 「―――ひ、ばりさん」 ふるえた声。怯えた声。 切れ長の双眸に暗い笑みがこぼれる。 ああ、なんと愛しい、きれいな声だろう。 「俺は、居なくなったりは、しません」 雲雀の双眸が、見開かれる。 怯えの声は、甘くやさしい声に変わって。 おずおずと伸ばされた腕が、雲雀の頭を抱きしめた。 ふわりと、綱吉の香りが仄かに香る。 やがて、強すぎる力で華奢な身体を抱きしめていた腕から力が抜ける。 そのことに安堵した吐息を零して、綱吉は小さく笑った。 強く抱きしめられた腕。 まるで、それは消えてしまう存在に縋るようで。 置いていかないでと叫ぶ、子供のようだと思ったのだ。 「雲雀さん」 「………うん」 「夢をね、見たんです」 骸と、出会う夢を。 雲雀の肩口に凭れかかりながら、歌うように囁いた。 「でも、――――そこは、誰も居なくて。さびしくて、さびしくて、かなしくて。そんな所に、骸が、居て………」 「綱吉」 「………独りは、寂しいんです」 ぽたりと、雫が伝う。 耐え切れないように自分にしがみつく綱吉の身体を抱きなおして、次々とこぼれ落ちる涙を舌で舐め取る。 しょっぱい、と眉をわずかに顰めながらも、宥めるように雲雀は目元に舌を這わせた。 「綱吉」 ようやく涙が止まり、赤くなった瞳を覗き込む。 綱吉は何処か恥ずかしそうに視線を泳がしている。 そんな様子にかすかに笑って、瞼に唇を降らせる。 ちゅっと何度も何度もくちづけて、放心している綱吉の身体をゆるく抱きしめる。 「僕はね、あいつが大嫌いだよ。殺したいと願うほどに」 それは、同属嫌悪のようなものも混じっている。 似ているのだ。あいつと自分は。 絶対に認めないが、心の片隅では分かっている。 ―――だからこそ、憎い。 「………でも。君のそんな顔を見るくらいなら、君の望みを叶えてあげるよ」 助けたいのなら、助ければいい。 暗にそう言ってくれている雲雀を、何処か呆然とした様子で見詰め。 そして嬉しそうに、あどけなく笑った。 「――――まぁ、それも君次第だけどね」 ひんやりとした声に、身体がぴしりと固まった。 そんな綱吉を満足そうに眺めながら、雲雀はぎゅぅっと思う存分やわらかな存在を抱きしめた。 fin. 茉莉さまより、9万Hitのお祝いとしていただきました! うきゃーww皆様見ました!?見ましたよね!!? なんですか、このカッコいい骸様(と呼べます、この作品の骸は!!)と雲雀さんは!! あのようなモノを差し上げてしまったと言うのに、こんなに素晴らしいものが頂けるなんて!! なんか、詐欺行為を行ったような気分です(笑) まーさーにー瓢箪から駒!海老で鯛を釣る!!最高ですww(おいおい) 茉莉さま、本当にありがとうございました!! Back |