脳内アラート、S級アラート。


ああ、コイツは、

ダメだ。

ダメだダメだダメだ。

脳内アラート、S級アラート。

危険危険危険危険危険危険危険危険!






昔から、綱吉という男は、逃げることに関しては掛け値なしの天才だった。
たとえ物理的には逃げ出せない状況であっても、いつだって精神はばっちり現実逃避をしていた。

そんな男の脳内セキュリティ機構が発する、最高ランクの警鐘は、彼がまだ15歳にもならないある日、オッドアイの男を前に突如として高らかに鳴り響いた。

何がダメとか、そういった議論を全てすっ飛ばして、脳内アラートは危険を告げる。

その時は、状況が状況だっただけに、単に敵対していたからだと思っていた。
けれど、それはある意味楽観的な勘違いだったのだと、それから先の10数年間の歳月は冷酷に綱吉を諭した。


あの男に近づいてはいけない。

あの男はダメだ。

あの男は、お前に必要不可欠すぎる。


それを悟った綱吉は、逃げをうった。
必要以上に接触しない、会わなければならない時はあの瞳を見ない、あの瞳に沈められた飢えに気付かないフリをする。
そして、自分の胸の中の欲求に蓋をして。
ボンゴレ10世と、守護者とはいえかつての敵であった男は、そうしておけば完全な平行線の上を歩むことができた。
当初は、それで良かった。

しかし、霧の守護者が、ある日を境に開き直ってしまった。

10年以上平行だった直線は、唐突に、折れた。

逃げることにかけてはどこまでも卑怯な綱吉が、自身の兄弟子とも言える男に手をのばそうとしたがために。





「ねぇ、君」

廊下から差し込む光以外、照らすものが存在しない暗い部屋。
骸が、開けたときと同じように静かに扉を閉めれば、部屋は指先さえ見えない闇に閉ざされる。
けれど、小さな、本当に微かな彼の囁きは、確かに部屋の主の鼓膜を揺るがしていたらしい。
部屋の中央、大きなベッドのある辺りで、何かが怯えたように震えたのを、霧の守護者の鋭敏な感覚はきちんと捉えていた。
自然と口元に性質の悪い笑みが浮かぶが、幸いなことに部屋は相変わらず暗闇の中だ。

「そんなに怯えて―――可哀想に」

絨毯に足音を完全に吸収されながら、スーツに包まれた足が滑るように部屋の中央へと進んでいった。
気配が近づいてくるのを知覚すればするほど、シーツに包まれて丸くなっていた綱吉の表情が恐怖に彩られていく。
文字通り、歯の根がかみ合わないほど、彼の体は震えていた。
これほどの恐怖は、これまで周囲を敵に囲まれたときにさえ感じることはなかっただろう。

それほどまでに、本能的な、恐怖だった。

綱吉がそうしている間にも、男の歩みは止まらない。
やがて、長身の影がベッドサイドへと至った。

「馬鹿ですねぇ、いい加減、認めてしまえばいいんですよ」

そんな囁きとともに、骸の長い腕がシーツごと華奢な体を抱きしめる。
その、日頃からは考えられないほど優しい抱擁は、抱きしめられた綱吉にとっては脅威以外の何ものでもないのだが。


脳内アラート、

S級アラート。

危険危険危険危険危険危険危険危険!


「やめ、ろ!」

綱吉は、研ぎ澄まされた直感が告げる警鐘のままに、耳元で紡がれる甘い囁きを悲鳴に近い言葉で遮った。
カタカタと震える体を腕に、骸は聞き分けのない子どもを見るような目をして溜息をつく。
そして祈るように、額を腕の中の綱吉に押し当てた。
その仕草が何よりも雄弁に骸の胸中を伝えてきて、綱吉は絶望の淵に立たされた気分を味わいながらフルフルと頭を振る。
すると、それを咎めるように腕の力が強まり、身を隠していたシーツが穏やかな力で有無を言わせずに取り払われた。

闇に慣れた目は、否応なく、自分を見つめてくるオッドアイを―――その奥に燻る暗い業火を捉えて。

ゾクリ、と、綱吉の背中を恐怖とも悦楽ともつかぬ感覚が貫いた。

ああ、何て―――なんて。
見も背もなく、自分だけを求める、直向な瞳に逆らえる人間なんているのか、本当に?

きっと、比喩でなく、骸は狂うだろう。

綱吉が死んだなら。

嘆くでも、怒るでも、後を追うでもなく、骸というアイデンティティの全てを放棄して、狂うのだろう。

そんなことは、考えなくても、知っていた。

なぜなら。

―――ダメだダメだダメだ!

一瞬自分の思考を埋め尽くそうとした、馬鹿みたいに甘い誘いを振り払うように、琥珀の瞳がぎゅぅと閉じられた。
始めから闇の全てを見通していたオッドアイが、そんな頑是無い逃避に呆れと愛しさを含んだ笑みを湛えて―――形のよい唇が、色素の薄い髪に落とされる。
骸は、立てた足の間に宝物のように綱吉の体を抱きこんで、彼のあちこちはねている髪に頬を寄せたまま囁いた。

「君は、脆弱だから」

だから、敏感なんでしょう

「怖いんですか、認めるのが」

静かに、けれど確実に、退路を絶っていく骸を、彼の腕の中に捕らわれたままの綱吉は泣きたい気分で詰った。

「なんで!お前だって、今までは―――」
見逃して、くれたじゃないか。

その言葉に、骸の口元が苦々しい笑みの形になる。

「ええ、そうですね。君は歯痒いほどに臆病者ですし―――僕は、君が何に怯え、何を拒んでいるのかを、知っていましたから。」

でも

「あれはいただけない」

すっと、長い指が綱吉の頤を撫で上げた。

「だって、そうでしょう。君は、僕のものです。・・・僕はね、君がそれから目を背けるのはかまわない、逃げようと足掻くのだって見逃して差し上げましょう」

不意に綱吉の頸を骸の両手が締め上げ始める。

「けれどね、君が僕から逃げるために誰かを口実にするのは許さない。誰かのものになろうとするのは見逃せない。―――君は僕のために生きて、僕のために死ねばいいんです」

僕が、そうであるように。

「ねぇ、結局逃げられないんですよ。そんなの、始めから分かっていたでしょうに」

それは、数万人の頂点に立つ綱吉とっては呪いの言葉。

「君は、僕がいないと生きられない」

「―――っ!!!」

ぱんっ。

乾いた音が、静まり返った闇色の部屋に響いた。

頬を手加減なく打たれた骸は、それでも、美しく微笑んで綱吉の頬や額にこれ以上ないほどに優しくキスをしていく。
綱吉は、口惜しそうに唇を噛み締め、目じりには涙さえ浮かべながら、その残酷なほどに優しい愛撫から逃れようと身をよじったが、柔らかな腕の拘束は、いつの間にか堅牢な檻となってそれを許さない。

「口惜しいですか?」
「離せ、離せよっ!」

骸は、無茶苦茶に暴れる綱吉を軽々と押さえつけて、胸の中に宿る獰猛な欲求のままに抱きしめる。

そう、これは、愛ではない。
もっと原始的な、もっと本来的な、例えるならば命あるものが空気を求めるような、必要性に裏打ちされた純粋な欲求だった。

綱吉が、欲しい。
この存在がないと、生きていけない。

それだけだ。

「始めから、愛なんて美しいものは、僕らの間に存在していなかったでしょう」

あるのは。

「死ぬか生きるか、それだけだった」

堪りかねたという風に綱吉の両手が耳を塞ごうと持ち上げられるが、その手は伸びてきた大きな手に指を絡められて役目を果たせない。

ひたりと、紅と蒼の双眸に見据えられ、綱吉の動きが止まった。

ああ、嫌だ嫌だ、聞きたくない。

「僕が、欲しいんでしょう?」

ダメだ、ダメだ、ダメだダメだダメだダメだ。

認めたら、死んでしまう。
誇り高いマフィアの帝王 ボンゴレ10世が。
ただの人間に成り下がってしまう。

ただ一人の人間に命をかけて依存する、愚かな人間に。

致死的な病を告知されたかのごとき、血の気の引いた悲壮な表情の綱吉を、骸は心の底から哀れんだ。
けれど、腕の力を抜くことはない。

「すみません、もう見逃してあげられません」

今まで、どれほど接触しても、どれほど接近しても、決して触れられなかった場所に、ゆっくりと口付けが落とされた。

「ん―――っぅ、ふっ」

相手を根こそぎ奪い取ってしまおうとする口付けは、貪る側にとっても貪られる側にとっても、悪夢のように永い。
その口付けによって絶え間なく流れ込んでくる骸の膨大な感情は、綱吉の頭の芯を獰猛に侵していった。
けれどその感覚は、恐怖をあっさりと凌駕するほどに度し難い喜悦を綱吉の中に植えつけて。

唇が離れても二人を繋いでいた銀色の糸に気付いたときの綱吉の表情は、絶望以外の何ものでもなかった。

「可哀想に」

悦かったのでしょう。

静かに涙が滑り落ちる頬をするりとなで上げて、男は微笑んだ。




嗚呼。

今更、何故出会ってしまったのか、なんて無意味な問いかけはしないけれど。

「お前なんか大っ嫌いだ」

投げ遣りに呟いて、綱吉は噛み付くように骸へ口付けながら、退路が閉ざされる音を聞いた。





fin.


ひぃ、べ、別人過ぎてなんと申し開きをしたものか・・・!!!
と、とにもかくにも!8万Hit&EA一周年おめでとうございます!!!
その素晴らしき記念に、嘉月ときたらなんてもの贈りつけているのでしょうか・・・!!!
うぅ、日頃お世話になっている茉莉さまに差し上げるものとして、これはどうかと思うのですが、どうやらこの辺りが嘉月的ムクツナの依存関係の限界の模様ですorz
なんだか本当にサイバーテロめいたssに仕上がってしまいましたが、茉莉様への愛だけは無駄に篭っております(何てこった)!!
はわわわ、どうぞマリアナ海溝よりも深いお心でお納めくださいませ!!(土下座)


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