最後の邂逅


蕭雨が、降っては止み、降っては止みを繰り返している。
綱吉は傘を差した手を摩り、息を吐き出した。
どうやら、大分冬に近づき、暖かい家に帰りたいと思い、小さく溜息を吐いた。

 中学を卒業して、もう五年になる。
あの、慌しくも素晴らしい日々は、今はセピアの思い出を伴って、綱吉の心の奥に鎮座している。
その記憶も、もう遠い。
来年には、もう成人式があるほど年を重ね、覚えているわけがなかった。
激しいショックに見舞われた筈の出来事も、何故か記憶に薄く、綱吉は時折焦る。
中学の時好きだった京子とは、結局付き合わずにそれぞれ高校へと上がった。
ふと気が付いてみれば、綱吉は京子を初恋の君だと思えず、だから京子に告白された時も、胸に鋭い痛みを感じつつ首を振った。
例え涙を流されても、綱吉はごめんとしか言えなかった。
中学三年の、卒業前の話だ。
やはり、あれから五年の月日が経っている。

「・・・・成人かぁ」

重苦しい溜息が、口をついて出た。
思わず空を仰ぎ見れば、傘の骨が見える。
それにも気分を害し、綱吉は傘を回した。子供っぽい仕草だったが、本人は気にしない。
名前を呼ばれた気がして、綱吉はパッと振り返った。
雨の所為か、いまいち視界がはっきりせず、綱吉は目を細める。
向こうに下る坂にも、そこから綱吉の元へと続くコンクリートには、人の姿が見当たらない。
しかし、名前を呼ばれたという感覚がはっきりとある。
これもあの、超直感とかいうものだろうか。そう考えて、綱吉は尚目を細くした。
次第に、黒い点が見え始め、綱吉は目を開ける。傘の色が見えた。紺のチェックで、明らかな男物である。そのまま綱吉は立ち止まり、その人物を待った。坂から走ってくるような、速いスピードで来る人物は、三十秒もしないうちに綱吉の近くへと来る。その顔を確かめようと目を細くし、そして驚きに見開いた。

「お兄さん!」

呼ばれたからか、その男は足を速め、綱吉に辿り着く。
驚いた所為で塞がらない口が、よっぽど間抜けに見える綱吉に、男は笑った。

「久しぶりだな、沢田」




道を歩きながら、了平は綱吉にひっきりなしに喋りかけた。綱吉は聞く役に徹し、時折笑い声を立てる。
綱吉は、了平が外の大学に行ったのだと、去年噂で聞いた。
飽くまで噂でしかなかったため、やはり県外に出ていた綱吉のまかり知るところではなかったが、どうやら本当だったらしい。
了平の話の端々から、綱吉とはまた違う、県外の様子を窺い知ることが出来た。
そういえば、京子ちゃんはどうだっただろう、と綱吉は考え、苦笑して頭を振った。
今更だ、京子にしてみても、綱吉にしてみても。会いに行きたいものでもないし、会ったところでどうしようもない。

「沢田も、帰ってきていたんだな」
「はい。まさか、お兄さんに会うなんて、思ってもみなかったですけど」

綱吉が傘の影から了平を見上げると、了平は軽やかな笑い声を立てた。昔と変わらない、屈託のない笑声に、綱吉は憧れる。
大人になっても、そんな笑い方を出来るのは、きっと了平と、京子だけなのだろう。
この兄妹の、特徴なのだ。兄弟のない綱吉にとって、羨ましいものに映る。
蕭雨は、雨脚を強くする気配はない。
しかし、だからと言って弱くもならず、静かに降り続く。
どこか、陰鬱とさせる雨で、だが綱吉は気分が下降する事もなかった。きっと、了平と話をしているからだろう。それか、了平がいるからかもしれない。了平には、周りを明るくする、独特の雰囲気があった。

「丁度休みになってな、親にも顔を見せろと言われていたところだったから、これは好都合と思って帰ってきた」
「俺も一緒ですよ。本来は休みでも何でもないですけど。まぁ普段まじめに単位取ってるし、いっかな、なんて思っちゃって」

思わず、中学生に戻ったような話し方をしてしまう。だが、それもいいかと思った。
了平相手に気取ったところで仕方ないし、それが自然ならば尚更だ。
初恋の人の肉親に、態々余所行きの態度をとる必要もない。

振り返ってみれば、了平という男は、綱吉の中で特別な人だった。
初恋の人の兄だから、というだけでなく、唯一の先輩と言える先輩だったからだろう。勿論、京子の兄という理由が一番だ。何故だか、京子の兄というだけで、綱吉は特別視してしまう。
しかし、先輩だったというのも強い。
綱吉は行動がスローで、大概の上級生には嫌われていたから、あれだけ親身になってくれる、所謂先輩というものは、了平一人しかいなかった。
その特別な人と、何年ぶりかに話をするのは、新鮮だ。
時折見上げて了平の輪郭を視線でなぞっては、昔の面影を重ねて、感嘆する。
年上の男に思うのも可笑しいことかもしれないが、成長しているのだ、と。

「そういえば京子だが、」

その名前を出された時、綱吉は体を跳ねさせた。きょうこ、という響きを聞くだけで、綱吉は過剰に反応する。
その言葉が、了平から発せられたのだから、当然とも言えた。
傘まで動いた筈だったが、了平は気付いて黙っているのか、ただ単に気付かなかっただけか、話を続けた。

「結婚を前提に付き合っている男がいるらしくてな。今回呼ばれたのも、多分それだと思っているんだ」
「・・・・そう、ですか」

綱吉は、動揺をうまく隠せたか不安になり、了平の顔を見上げる。
しかし、その顔は前を見据えているばかりで、綱吉を見下ろすこともない。見下ろすと言っても、傘越しの視線を感じるだけだが、それでも綱吉にとっては好都合だった。

「少し、沢田似だった気も、する」
「、え、それは、」

さらに戸惑い、見上げる。了平の潔く素直な瞳と、綱吉の瞳があった。
背筋に何かが走った気がし、綱吉は体を震え上がらせた。怖いのではなく、心地よいものでもなく、それでは一体何なのか。
了平は、その言葉を悔やむように、すっ、と視線を外した。
安堵して、綱吉はひっそりと溜息をつく。それほどまでに、了平の視線は無遠慮で、綱吉を暴こうとするものだった。

「すまん、気にするな。忘れてくれ」

そんな簡単に忘れられるものではないだろう。そう思いつつ、頷くことしかできなかった。
二人の間が、先ほどまでの賑々しい空気と一変して、冷めたものになる。どこか、重苦しいものだった。
二人が共犯者になって、秘密を抱えているような、重苦しい空気に、綱吉は苦しさを感じた。
不意に了平が立ち止まり、綱吉も驚き足を止める。
道中で止まる二人は、傍からはどう見えるものだろう。けれど、そんなこともすぐに掻き消えた。

「どうしたんですか、おにいさ」
「お前の事が、」

了平が傘を下ろす。硬く、引き締まった体に、物淋しい雨が降りかかる。
了平が羽織っているパーカーを、雨がしとどに濡らした。

「好きだった」

体が硬くなり、綱吉は傘を取り落とした。
カタン、と音を立てて落ちた傘は天を向き、その中に雨が降る。次第に、溜まっていくだろうと思わせた。
了平は、その傘を取り、綱吉に渡した。それと一緒に、昔の話だがな、と付け加える。

「今は違うぞ。俺には好きな奴もいる」
「そうですか・・・・」

どのような顔をすればいいのだろう、と綱吉は戸惑う。
傘を差しながら、下方に視線を彷徨わせると、重く水を含んだスニーカーが見えた。
気付けば、靴下も冷たく湿っている。俺はどうだった、自身に問いかけた。

ずっと憧れていた。

「俺、お兄さんの事、憧れでした。今もですけど」

そうだ、憧れて、了平を目で追って。それで、それで?

  憧れというには、あまりにも重過ぎなかったか、綱吉の思いは。
強く強く、了平を希求し、京子を通して誰を見ていた。了平ではなかったか。
愕然として、綱吉は歩みを止めた。
ゆっくりゆっくりと歩くのを止め、先を歩く了平の背が遠くなっていく。
了平は一メートル先に行き、そして振り返り、綱吉が止まっているのを見ると止まった。

「沢田」
「あれ、憧れじゃなかったかな、俺、お兄さんの事憧れで、」

喋っているとボロボロと涙が零れてくる。後からとめどなく溢れ、しかし了平は何もしなかった。
するべきではないのだ、と了平も気付いたのだ。

「もう、会うこともないだろうな。次に会う時は、お互いの結婚式と、京子の結婚式と、」

要らない、と叫びたかった。明るく言った了平に、綱吉は衝撃を覚え、嗚咽を止めることが出来なくなる。
了平は綱吉に近づき、頭を撫でた。その重みと温かさが、辛い。

蕭雨は止む事もなく、二人の姿を霧で覆い隠して、それが最後だ。


fin.


おわっΣなんですかこの格好良すぎる了ツナは・・・!!!!!!!
くしさまー!!格好良すぎますよ!!了平さんが!風景というか、情景の描写が!!!
良いですね、雨の中のサヨナラって・・・(何か違わないか、それ)
ということで、くしさまより10万Hitのお祝い品を頂戴いたしました!!
ありがとうございました!!!!!
いやーしかし、格好良いですね・・・こういう告白というか、さらりとしたお別れというか・・・(嘉月のボキャブラリーが限界です)


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