甘いもの


ドン・ボンゴレが執務机に向かってから、かれこれ3時間が経とうとしているが、その重厚な机の上に積まれた書類の山は殆ど形を変えていない。

だからと言って、綱吉の執務の手が止まっているかと思えば、決してそういうわけでもなく、その手に握られた万年筆の尻は虚空に向かって微かに揺れている。

それを、斜め前に据えられた秘書用の執務机から見ていた雲雀は、自身の腕時計が4時を指したところで立ち上がった。



ちなみに今日は、唯一ボスの背後という特等席に座ることを許されている漆黒の死神は、久々の休暇を与えられて不在である。
そのため、いつもの窓が多く日の当たる執務室ではなく、雲雀の前方一箇所にしか窓のない部屋が執務室となっていた。

広さとしては、いつも使っている部屋と大差ないが、窓がない圧迫感からか、部屋は狭く見える。


「で、綱吉。さっきから書類が減ってないみたいなんだけど、そんなに噛み殺されたいの?」

そう言えば、随分とご無沙汰だったしね。
ジャキンッと、どこに仕舞われていたのか不明な、雲雀愛用の黒光りするトンファーを眼前に突きつけられたところで、綱吉はやっと雲雀に―――というか、自分の生命の危機に気付いた。
慌てて身を引いて、腕で顔面をガードしながら、机に片膝を乗せて臨戦態勢に入った秘書を見る。

「きょ、恭弥さん!?」
「君の机に積まれてる分は今日中だからって、朝、言ったよね?」
「は、はい、確か聞いたような気が・・・」
「わぉ、じゃあ、君は後3時間でこれを全部片付けられるんだ?まさか、20時からの晩餐会に出席しなきゃいけないことを忘れてないよね」
「え、あと三時間・・・っぅわぁ!?なんでもう4時なんですか!?」
「むしろ、なんでそんなに書類が片づいてないのかを知りたいよ」

どうやら綱吉は、執務そしている間、時間感覚さえなくなっていたらしい。
どれだけボンヤリと仕事をしていたのか、逆に気になるところである。

怒りを通り越して呆れた雲雀は、手にしたトンファーを音もなく戻して、静かに肩をすくめた。

「今日は徹夜して貰うから。―――それで?そんなにボンヤリするなんて、何を考えていたのさ。事と次第によっては―――」

全力で噛み殺す。

そう雄弁に語る鋭い眼光に睨まれて、ヨーロピアンマフィアを額ずかせるドン・ボンゴレは諸手を挙げて降参の姿勢を取りながら、視線をあたふたと彷徨わせた。
そのマフィアの帝王らしからぬ挙動の不審さに、雲雀の漆黒の瞳が眇められる。

「綱吉?」

机に乗り上げたまま、細く長い指を綱吉の首筋に絡めれば、観念したように綱吉が口を割った。

「―――俺の、昨日とって置いたシュークリームが・・・今日の昼に食べようと思って部屋の冷蔵庫開けたら・・・無かったんですぅぅ!!・・・ぐえっぎょう、ぎょうやざんっぐるじぃぃ!!!」

上司の、この世の終わりのような声音で語られた下らない内容に、ボンゴレきっての有能な秘書は遠慮無く首を絞める手に全力を傾けることにした。
雲雀の指の力は、ジタバタと暴れていた綱吉が動かなくなり、その顔色が、紫色から緑に変色する寸前まで抜かれることはなかったという。





さて、その綱吉のシュークリームの所在については、昨夜まで遡ることになる。

午後から開かれていた、ボンゴレファミリーの所有する表社会での会社の役員会に出席した綱吉は、夕方から始まった食事会で羽目を外して飲み過ぎた。
もちろん、食事会の会場でそんな素振りは一切見せなかったが、自身の居城に帰ってからが酷かったのである。


とにかく絡む。
人、物、問わずに。


玄関ポーチに飾られている調度品を皮切りに、すれ違った通りすがりのファミリーや、幹部執務室前に立つ護衛に、城のメイドまで、手当たり次第に絡みまくっていた。


しかも始末が悪いことに、綱吉はまったく表面上酔ったように見えないのである。


それなのに、言動だけがいやに扇情的なので、尊敬と崇拝の対象であるボスから絡まれた人間の多くが感極まってしまい、一時、城内はちょっとした騒ぎになった。

間の悪いことに、獄寺を除く守護者や、ボンゴレの主要幹部、専属ヒットマンさえも城から離れていたため、その騒ぎを沈められる人間が不在で。
ちなみに、唯一城にいた幹部である獄寺は、綱吉から舌を絡める濃厚なキスをかまされ、一番始めに床に沈められていた。



そして結局、城を離れていた幹部の中で一番に城に帰還した雲雀が、適役と認定されて綱吉を宥める役に回されたのである。

詳しく言えば、適役と認定されたのは、帰還した順位にかかわらず、雲雀がボスの“恋人”であることを周囲が認識していたからだ。

雲雀としては、その周囲の認識には満足していたが、疲労の上乗せにしかならないであろう酔っぱらいの相手は御免被りたいもので。
だから、トンファーで殴って、さっさと昏倒させてしまうつもりで、ファミリー達が必死になってボスを押し込めたという寝室に足を踏み入れた。


「あ、恭弥さん!お帰りなさい〜」

扉の開く音がするまでベッドに転がっていたらしい綱吉が、上半身を起こしてへらりと笑いながら手を振った。

雲雀とて、そのどこか幼い仕草が可愛くないわけは勿論無いのだけれど、今は言動の全てが酔っぱらいのものなのである。
見れば、いつもより、微かにではあるが頬が赤みを増していた。

その様子に軽く溜め息をついてベッドに近寄れば、端まで転がってきた綱吉に腕を引かれて、そのまま覆い被さるような形で倒れ込む。

「・・・綱吉、何食べたの」

上から覗き込めば、綱吉の口の周りには白い粉やクリームが付いていて、雲雀を更に呆れさせた。

「シュークリームですよ〜当たり前じゃないですか〜」

確かに、微かにバニラビーンズの香りがする。

だがそのシュークリームは、明日食べるからと言って、綱吉自らが取っておいたものではなかったか。

まあ、酔っぱらったとは言え、自分で食べたのだから問題は無かろうと判断して、雲雀は駄々っ子を寝かしつけることにした。
けらけらと楽しそうな酔っぱらいに、噛み付くように口づける。

「ん・・・ぅふぅっ、はっ」
「・・・甘い」
「えへへへ〜美味しいでしょ、俺」

口づけの甘さに雲雀が眉を顰めるのを、綱吉は無邪気に笑いながら見上げて、そうのたまった。
そして、するりと雲雀の首にしなやかな腕を回して、もっと食べてと言わんばかりに口づけてくる。

「随分と可愛いこと言うね。そんなに僕に食べて欲しいの?」

味見をするように鼻先を舐めながらの、雲雀のからかい混じりの問いに、意外なほど従順に綱吉は応えた。

「当たり前じゃないですか〜恭弥さんに食べて貰うの大好きですもん。だって、俺は恭弥さんのだから」

だから、食べて。
余すところ無く、全部。
あなたのお気の召すままに。


そこまで言われて、据え膳を食べないほど雲雀は非常識ではない。

秀麗な相貌に釣り合わぬ、欲に濡れた獰猛な光を瞳に宿して、雲雀は綱吉のシャツの前を引き裂いた。





というわけで、綱吉の楽しみにしていたシュークリームは、誰の手に渡ることもなくしっかり本人の腹の中に収まっているのである。

ただ、綱吉がそれを覚えていないだけで。

まあ、シュークリームを食べた綱吉を食べたのは雲雀なので、大きく言えばシュークリームを食べたのは雲雀であるのかも知れないけれど。


だから。


「―――君が食べてって言ったからね」
「・・・へ!?」

酸欠で机に突っ伏していた綱吉は、雲雀の愉悦の浮かんだ声に、勢いよく顔を上げた。
その大きく開かれた琥珀色の瞳を見据えて、雲雀はなおも言葉を続ける。

「忘れたの?美味しいって、君、自分で言ったじゃない」
「・・・え?・・・あ、あぁぁぁあ!!!?あれってぇ!!!??」

雲雀の言葉に、綱吉は一瞬で顔を赤く染め上げた。
そして、口元を手で押さえて、酔っぱらって見た夢かと思ったと呟く。

どうやら、酔っていた時の言動は、朧気ながらではあるが記憶していたらしい。
―――自分がシュークリームを食べたと言う事実を除いて。

未だに机に乗り上げたままだった雲雀は、少し高い位置からそんな様子を見て、意地悪そうに口元をつり上げた。

「へえ。あれだけ喘いでおいて、夢も何もないと思うけどね」
「だ、だって!」

あんなに優しい恭弥さんなんて、初めてだったんですよ!

叫んでから、自分の発言が相当恥ずかしいものだったと気付いたらしく、綱吉はプシューと音を立てて再び机に突っ伏した。
高い位置に視線のある雲雀からは、真っ赤に染まった首筋までよく見える。

そんな様子にくすりと笑って、色素の薄い髪を撫でてやりながら返事を返した。

「そう?僕はいつも優しいつもりだけどね」

昨日の君は、特別可愛かったから。

「―――っ」

初めて見る、雲雀のとろけるほどに蠱惑的な微笑みに、今度こそ綱吉の思考回路は完全にショートする。

ショートさせた本人は、飄々とした表情で、今日の執務はこれで打ち止めにするしかないと判断しながら、真っ赤になった恋人の顎に指をかけて上向かせた。
そしてそのまま、脆い砂糖菓子を取り扱うかのような繊細な手つきで抱き寄せ、優しく口づけた。






恐らく、甘さで一番胃もたれを起こしそうになっていたのは、綱吉でも雲雀でもなく、甘い雰囲気垂れ流しの執務室の前の廊下で護衛にあたっていたファミリーであろうことを追記しておく。



fin.


お酒の入った綱吉は見境がなくなると共に、むやみやたらに積極的だとキュンときます。
誘い受け万歳(何。


Back