君、死にたまうことなかれ カッカッカ・・・ 広い廊下に、軍靴の無機質で規則的な足音が響く。 黒と銀を基調とした軍服を身に纏った青年が、感情の読めないまったくの無表情で歩いていた。 軍服の色彩に青年の端正な美貌が映えて、常日頃以上に城の衆目を集めていたが、そんなものは視界にも入らない様子である。 やがて、青年の淀みのない歩みが、ピタリと一際大きく重厚な扉の前で止まった。 その扉を任されている衛兵達は、静かに頭を垂れて彼らの遙か高位身分である青年に礼儀を払うと、恭しく扉を開いた。 扉の向こうには、贅を尽くした部屋の、大きなフランス窓から外を眺めている少年が一人。 金糸で細かい刺繍が施された赤地の礼服―――皇太子の正装をした彼は、このボンゴレ王国の第一王位継承者である。 そして、青年を初め、全ての民が己の命と不変の忠誠を捧げる相手。 青年は、張り詰めた表情の主の名を、敬愛と覚悟をもって静かに口にした。 「綱吉」 「―――リボーン・・・」 「出征前のご挨拶に参りました、殿下」 「・・・―――っ」 いつもとは違うリボーンの口調に、まだ幼さの残る綱吉の顔が微かに歪められた。 それを努めて気付かないふりをして、リボーンは少年の傍へと歩み寄る。 そのまま綱吉の傍らに立ち、滑らかな動きで膝を折ると、ゆっくりとその手の甲に口づけた。 「皇太子直属師団長の名にかけて―――あなたに、血と勝利と栄光を」 そう、誓約の言葉を紡ぎながら。 ボンゴレ王国は、気候と土壌に恵まれた豊かな国である。 国の背後には穏やかな海が広がり、他の3方を深い森林に囲まれた、自然の防壁に守られた国。 それほど交易は盛んではないけれど、酪農と農業が盛んな、朴訥とした国。 ―――この素晴らしい環境と立地条件から大陸の宝石とまで評されるこの国は、そのために昔から他国に虎視眈々と領土を狙われてきた。 だからこそボンゴレ王国は、農業大国でありながら大陸でも屈指の軍隊をも有するに至ったのである。 その中でも、当代の皇太子の直属師団は大陸最強の呼び声も高い精鋭部隊だった。 なにしろ、師団長を務めるリボーンを始め、副師団長のコロネロ、スカルまでもが大陸騎士の最高位である arcobaleno の銘を所持しているのだから、桁外れも良いところだ。 大陸で7名の騎士にしか与えられない最高の称号の所持者が、師団内に3人もいるのだ。 自ずとその師団の実力も知れようというもの。 もともと、リボーン達はどこの国にも属さない流れ者の傭兵だった。 ―――誰かの元で働くことを、彼らの天にまで届かんばかりの自尊心が許さなかったのだ。 そんな彼らが綱吉の元に留まる切っ掛けは、皇太子を産んで生家から城のある首都へと戻る王妃 奈々の護衛を引き受けたことに遡る。 ちなみに、この留まった動機に関して、騎士の故郷と呼ばれるボンゴレ王国の血筋の力に興味がわいた、という彼らの言は嘘ではないが、100%本音というわけでもない。 確かに、刺客に襲われた時にまだ首も据わらぬ赤子が発動させた炎は、騎士の源流“ブラッド・オブ・ボンゴレ”に相違なかったけれど―――。 大陸最強の名をほしいままにする騎士3人は、護衛の道中、奈々の突き抜けたほのぼのっぷりと、皇太子のあまりの無邪気さに骨抜きにされてしまったのだ。 そして気付けば、皇太子の護衛兼家庭教師兼遊び相手に任命されてしまっていた。 それから時は流れて。 来月に皇太子の元服という慶事を控え、王国全土が沸き立っていた矢先に、ことは起きた。 綱吉が王国を継ぐことを不服とする一部の王族や貴族が、皇太子の従兄にあたるザンザスを皇太子に擁立するために起こしたクーデター。 それは、牧歌的な国内を一気に緊迫したものに変えた。 そして結局、クーデターは血で血を洗う武力衝突に発展してしまった。 穏健派で、民からの信頼も厚い第一王位継承者である綱吉。 武闘派で、宮廷内で確固たる地位を持つ題に王位継承者ザンザス。 正反対の皇子の擁立を巡って、宮廷も、軍も、民をも二分する不毛な争いが、すでに2週間も続いている。 それはつまり、それだけ自国の民の生活に影響を与え、苦しめていると言うことに他ならない。 だから王国の中央評議会は、この争いに終止符を打つ打開案を提示した。 ―――両皇子の直属師団の戦闘の勝敗をもって、正当な王位継承者を決する、と。 中央評議会の決定は、時に国王以上の権限を持って施行される。 誰も、それを拒否することは出来ない―――いかに理不尽な決定であろうとも。 王国の軍の編成は、5名で1小隊、5小隊で1中隊、4中隊で1大隊、5大隊で1師団となっている。 そして特例として、王位継承者直属師団は、3師団を統合されて編成されていた。 つまり中央評議会は、総動員戦力3000名規模の戦争で、正当な王国の跡継ぎを決めよと命じたのである。 師団の実力は拮抗している。 どちらが勝っても不思議はない。 そして、この争いに負けるということは確実に「死」を意味した。 「―――第二直属師団(ヴァリアー)所属の3中隊・・・おそらく重火器専任部隊が、平原の東にて展開中とのことです」 「平原の東・・・ああ、あの岩場になってる崖か」 皇太子を表す紅の旗が掲げられた会議室には、緊迫した空気が満ちていた。 伝令からの報告を受け取った、白と銀を基調とした軍服を纏う茶色い瞳に同色の髪をした青年が、机に広げられた地図を見ながら呟く。 「重火器、ねぇ。カノン砲でも持ち出してくる気かな」 「馬鹿か。カノン砲をあんな脆い足場で撃ったら、反動で岩場が崩れるぞコラ」 スカルと同じ制服をかなり着崩している金髪碧眼の青年が、白いスラックスに包まれた長い足を机の上に置きながらそう言った。 「それもそうですね。とすると、ブローニングM2とかかなぁ」 真剣に考えている風だが、スカルの口調はどこかゲームをする子どものようなはしゃぎがあって、コロネロの秀麗な眉を顰めさせる。 「相変わらず戦争オタクだなコラ」 「嫌だなぁ、ただ単に作戦を立案して完遂するのが好きなだけですよ」 それを戦争好きと評して何が悪い。 一瞬そんなことを考えたが、昔からの付き合いで、その悪癖が自分たちに害を及ぼすことがないことを知っているので、コロネロはそれ以上言葉を紡がなかった。 「師団長、戻ってきませんねぇ・・・」 「はん、どーせツナと何だかんだ言いながらいちゃついてんだろコラ」 「うーん、僕たちだけ真面目に作戦会議するのって不公平じゃないですか?」 「まぁな。んじゃ、行くかコラ」 「えぇ、えぇ、行きましょう」 「ふ、副師団長閣下!?どちらに・・・」 「「皇子の所に」」 ガタガタと席を立ち上がって部屋を出て行く副師団長2名は、いっそ爽やかなほどの満面の笑みで焦る自分たちの副官に声を揃えて返事を返した。 「ああ・・・まったく、あのお方達ときたら・・・」 自由奔放な上司に泣かされる部下の嘆きだけが、会議室に残る。 それでも、彼らは自分たちの上司がいかに戦場で頼もしい存在になるかを知っているので、嘆きの中に今回の戦闘に関する不安は含まれていない。 死ぬことを恐れない、などと言う馬鹿げた妄言は、皇太子直属師団には存在しない。 皇子の許可無く死ぬな。 それが、師団長や副師団長達の口癖だった。 だから生きて還る。 何よりも優先すべき皇子の命に背くことなど考えられない。 皇太子直属師団の戦死者が少ない最大の理由は、師団長達の有能さ以上に、師団員達の皇子への忠誠心が厚いところにある。 誰もが、命懸けの忠誠を皇太子に誓うが故に、生きて還ろうとするのだ。 ―――それを解さない皇太子は、命懸けの忠誠を重荷に感じてはいるけれど。 いつか、命懸けの忠誠の本当の意味を理解してくれればいい。 それが軍に属する者達のささやかな願いであった。 「今回も頑張りましょう、殿下が笑って下さるように」 どんなに逼迫した状況であっても、皇太子の存在が軍人達の心を支えていた。 Next Back |