6.Last Smile(2)



昼の日光を拒絶するように固く締められたカーテン、真っ暗な部屋の中央に置かれた豪奢なベッド、そこには感情の欠落した様相を呈するマフィアの帝王が腰掛けていた。

「おい、ダメツナ、何してるんだてめぇ。京子の葬式以来、仕事もしねぇで、そこで何やってやがる」
「・・・」

茫洋とした綱吉の瞳は、ただまばたきを繰り返すだけで、何も映そうとしない。
それでも、リボーンは声をかけ続ける。



ボンゴレ幹部やキャバッローネのディーノが、どれだけ綱吉と強い信頼関係で結ばれていようと、彼等はドン・ボンゴレの部下でしかない。

それはつまり、綱吉を叱責できる立場にいないということ。
だから、彼らに出来ることといえば、慰めの言葉をかけることぐらいだ。

しかし、今の綱吉には慰めの言葉など届かない。

そんな状況だったから、リボーンが来た。
唯一、綱吉を対等の立場で叱咤出来る、元家庭教師だからこそ。




リボーンが部屋を訪れて、もうすでに2時間が経過している。
扉を閉ざしているために、部屋には全く光源が無く、辛うじて人影がベッドに腰掛けているのと、もう一つの人影が扉の前に佇んでいるのが見える程度だった。

「てめぇは、ボスの座を捨てるのか」
「・・・」
「・・・確かに、お前の後釜はもう決まっている」
「・・・」
「使えないボスは、組織のお荷物だ」
「・・・」
「このダメツナがっ」

どこか追いつめられたような少年の声が、闇に響く。
同時にジャキっと銃器が構えられる音も。

「役に立たないヤツは、組織の邪魔になるヤツは、排除する。それが、俺がてめぇに教えた最初のことだったはずだ」
「・・・てよ・・・」
「聞いてんのか、ダメツナっ」
「撃てよ、リボーン」
「っ」

全く迷いのない、虚無を音にしたような綱吉の声。
それを聞いて、リボーンの心に動揺が走る。


きっと、綱吉は死ぬことを恐がりはしない。
昔のように、死んでも死にきれないとは、微塵も思っていない。
今自分が引き金を引けば、まず間違いなく綱吉は死ぬだろう。


死ぬ。

綱吉が。


今まで、死に瀕するような危険な状況には何度でも陥ってきた。
けれど、まったく綱吉の死が現実化するような気はしなかった。

なぜなら、どのような凶弾も、白刃も、自分が綱吉には届けさせないという自信があったから。

自分が守る限り、決して綱吉が誰かの攻撃で死ぬことはないという絶対の自信。


だが、綱吉が、綱吉自身が望む死は、リボーンの護衛では回避出来ない。

リボーンの力が及ぶ範囲ではない。

それを突きつけられた気がした。


綱吉が死ぬ。

消える。

居なくなる。



世界最強のヒットマン、オールマイティの天才。

そう言われたとて、人間的な面で言えば14歳の少年。

いや、物事の理解能力をずば抜けて有していたからこそ、未熟なままのリボーンの情緒的人間性。

それを理解し、包容してくれた綱吉。

リボーンにとって、認めたくはないが、綱吉はある意味では父であり、母であり、兄弟のような存在で。
精神的な部分での依存を、プライドの高いリボーンでさえ認めずには居られないほどの存在。


それが消える?

リボーンの並はずれた能力が活かせない状況で?

手も足も出せないような状況で?


そんなことは、許せない。



「・・・なに、泣きそうな顔をして居るんだ?」

暗闇から、同化しそうなほどに闇にまみれた綱吉の声がする。
微かに、本当に微かに、その声には驚きが含まれていた。

「・・・っうるさい」
「・・・珍しいな」
「・・・」
「・・・昔みたいに、撃てばいいだろ?」
「っ」
「昔から、容赦なく撃ってただろ」
「・・・うるせぇっ」


パンッ


静寂が満ちる部屋に、乾いた銃声がした。
そして同時に、青年の微かに呻く声も。

悪夢のような静けさが、部屋を支配する。




















「・・・ははっ・・・リボーン・・・外してるよ、俺の心臓は、もっと下だ・・・」
「・・・っ」

どこか苦笑めいたその声を合図に、扉近くの人影がベッドの人影に駆け寄って縋り付くように抱きついた。
それをベッドに腰掛けた姿勢で受け止めた人影の手が、ゆっくりと、肩口に擦りつけられた頭を撫でる。

いつもの仕草と同じように。

「リボーン」
「うるさいっ」
「・・・」
「許さない、俺の力が及ばねぇだと?俺の許可もなくてめぇが死ぬだと?そんなの認めるかっお前が死にてぇんだとか、そんなことは関係ねぇっ俺はお前のヒットマンだっ!お前が死ぬなんて許さねぇぞっ誰がお前を殺すのも許さねぇっ例え、お前が死にたがったとしても!」


逝かないで。
独りにしないで。
消えてしまわないで。


世界最強のヒットマンの、傲慢な言葉の裏に、死という別離に怯える少年の声があったような気がした。

少年の手に顔を押さえつけられ、降ってくる縋るような幼い口づけを受け止めながら、綱吉は視線を空へと飛ばす。
自分の虚ろな心に、リボーンの直向きな声が反響していた。



おかしいな、世界最強と、誰もが恐れるお前なのに。

こんな俺に依存したのか?

そんなに、俺の死に怯えるほどに。
何よりも高い、自尊心を折ってまで、そんなことを言うほどに。

本当に馬鹿みたいだ。

俺も、お前も。

世界最強。
世界最高。

世界で最も、なんて代名詞なんて、本当に、カスみたいなもんだ。

最強の名を冠したお前は、俺みたいなちっぽけな存在に依存して、その存在の消滅に怯えてる。
最高の名の座に就いた俺は、自分の家族さえ守れない挙げ句に、守るべき組織さえも放棄して。

嗚呼、この世はなんて馬鹿げた世界なんだろう。



そこで、綱吉の意識は途切れた。
微かに震えている、いつもより体温の高い愛しい死神を抱きしめたまま。


おかしいな、リボーン。

お前、涙腺なんてあったのか。





リボーンに肩を撃たれて、出血多量で昏倒した綱吉が再び目を開けたのは、それから3日後のことだった。

その時には、まるで憑き物が落ちたように、穏やかな雰囲気になっていて。

もちろん、瞳には拭いきれない翳りがあるし、ふとした瞬間物憂げな表情を覗かせることもあったが、
一時期纏っていた、世界の果てのような虚無の幻影は消え失せたようだった。


だって、俺が死んだら、キョウの面倒は誰が見るんだよ。
それに、こんな馬鹿げた世界に負けるなんて、癪じゃない?
だから、俺は生きるよ。


穏やかな微笑みを浮かべてそう言った綱吉を見て、ディーノは心の中で快哉を叫んだ。

ほら見ろ、ドン・ボンゴレは、俺の自慢の弟弟子は、こんなくだらない世界には屈しなかった!

それでこそ、世界のゴッドファーザーだ。

世界が試練を与えるなら、それをも凌駕する力でそれらを覆す、最高のゴッドファーザー。

どんな事態に陥ろうと、どんな苦渋を味わおうと、最後に笑うのは、彼だ。





ディーノの滞在する部屋を辞して、自室へと向かっていたルースは、寝起きのぼんやりとした声に呼び止められて振り返った。
そこには、やや寝癖のついた髪のキョウが立っていて。

「おはよー兄様」
「あ、ああ、おはよう」
「ディーノさん、来てたんだ?」
「ああ、今はドン・ボンゴレと話している」
「ふうん・・・」

キョウは、暫く視線をルースの瞳に合わせていたが、やがて溜め息と共に瞳を閉じた。

「なんだ、聞いたんだ?」
「ああ、まあな」
「そっか」

人気のないだだっ広い廊下に、特に感情のこもっていないキョウの言葉がポツンと響いた。

「別にね、パパが私の所為でマンマが死んだとか思っているワケじゃないんだよ。
たぶん、他の人たちだってそうだと思う。当たり前だよね、だって、私、まだ3歳だったんだから」
「そう、だな」

「でもね、私は、私自身は違うの。私は、あそこにいた奴らを殺すだけの力があった。なのに、マンマが死んだショックでしか、その力を発揮出来なかった。だから、私にとっては、私がマンマを見殺しにしたように思えるの」
「そんなっそんな力、発揮しなくて良いに決まってるじゃねぇか!」
「うん、だって、これはボンゴレの、ある意味では呪われた力らしいからね。でも、発揮しなきゃいけなかったの、だって、あの力があれば、マンマは私を庇って死ぬ必要なんて無かったんだから」
「・・・」

キョウの表情は、相変わらず、いつも通りのどこかのんびりとしたもので。
それがなおさら痛かった。

「マンマは私を庇って死んだ。これからも、私を庇おうとする人は、たくさんいると思う。獄寺さんとかね。私はそれが嫌だった。私を庇って人が死ぬのも、それによってパパが悲しむのも。だから、だからね、私は、私を守ろうとする人の少ない所に行きたかったんだ」
「・・・守ろうとする人の少ないところ」
「あ、当たり前だけど、護衛の人たちは居るよ?でもね、私の学校、学校自体の警備が厳しいから、そう簡単に手を出せる所じゃないの」
「・・・」

そう言えば、キョウは、この実家であるボンゴレに帰ってきてから様々な人間達とじゃれていたが、ある一定時間以上一緒に居ようとはしなかった。
無意識のうちかは知らないが、境界線のような物を引いていて、それより踏み込ませることをしなかった。

それは、そういうことだったのか?
じゃあ、俺の側にまとわりついていたのは。

「ルース兄様は好きだよ?本当にね」
「・・・」
「基本的に良い人だし。気遣い上手で優しいし」
「・・・」
「でもね、私が、ルース兄様が好きな、一番の理由はね?」

ドン・ボンゴレと同じ色をした瞳が、じっとこちらを見据えてきた。


「兄様は、私を庇って死んだりしないでしょ?」


その通りだった。

おそらく自分は、キョウが死に瀕した状況にあっても、身を挺して彼女を庇ったりしない。
それは、彼女が嫌いとか、自分の命が大事だから、といった理由ではなく。
ルースは、行動を起こす前に諦めるところがあったから。

それをキョウは見抜いていたようだ。

「もちろん、それが、ルース兄様が私を嫌いだからとか、自分が可愛いからとかいう理由じゃないのは知ってる。ルース兄様と、兄様のおじいちゃまは、そういうところが似ていたんだね、たぶん」

周囲の状況に逆らう必要性を、きっと、根本的なところで理解していない。
だからこそ、祖父は、自分の理解し得ないそれを実行しているドン・ボンゴレに憧れた。

すっと、その結論がルースの中に染み込んでいく。


「だから、私は兄様が大好きなんだよ」


キョウは、相変わらず、無邪気でのほほんとした口調でそう言った。



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