『兄上』 少年が、甘い砂糖菓子のような笑顔を浮かべて、彼自身よりもかなり背の高い厳めしい顔立ちをした青年へ駆け寄った。 青年は仏頂面を少しだけ優しいものにして、華奢な弟を抱き上げると、その頬に柔らかく口づける。 『お帰りなさい、兄上!!』 『ああ。変わりはないか』 『はい!今月は、まだ寝込んでいないんですよ!』 『そうか』 同世代から比べれば、格段に軽いであろう弟の体を抱き上げたまま、兄は弟の寝台へと歩を進め、静かに腰を下ろした。 敬愛して止まない兄の膝の上で、弟は兄がいなかった間に起きた出来事を楽しげに話していく。 『ツナヨシ』 『はい?』 不意に名を呼ばれ、弟はキョトンと首を傾げて兄を見上げた。 大きな傷のある兄の顔には、滅多に見られない暖かな表情が浮かんでいる。 『今、楽しいか?』 『―――はい!とっても!!』 『そうか』 弟の浮かべた満面の笑みに、兄は満足げに笑った。 Fiaba − Determinazione − 豪華な調度品が並べられた、大きな執務室。 分厚い机に向かって書類を見ていたザンザス将軍は、扉を叩く音に顔を上げました。 ―――まあ、返事をする前に扉は乱暴な音を立てて開いたのですが。 「うお゛ぉい、入るぞぉ―――ぉお゛!?」 長い銀髪を揺らしながら入ってきたスクアーロは、顔目がけて飛んできた万年筆を間一髪で避けて、投げた張本人を睨み付けました。 「何しやがる!」 「カスが、ノックもまともに出来ねぇのか。かっ消すぞ」 「したじゃねーかぁ!!」 「返事を待たずに入ったら意味ねぇだろーが。死ね」 「お゛ぉう!!あぶねーだろぉ!!!」 びゅんびゅん飛んでくる、殺傷能力を十分に持った筆記用具を避けたり、手で掴んだりしながら、スクアーロはなんとか将軍の机の前まで辿り着きます。 「だいだいお前が呼んだんだろーがよぉ!」 「ふん」 スクアーロの抗議を全く無視して。将軍は鼻を鳴らして書類に目を戻しました。 「うお゛ぉい!!」 「―――ツナヨシは」 「・・・逃げた」 「逃がしたの間違いだろう、カスが」 「・・・―――あ゛ぁ」 きまりが悪そうに視線を逸らしたスクアーロを見て、将軍はもう一度鼻で笑いました。 将軍は、スクアーロをかなり散々に扱いますが、自分の副官にするくらいには彼の実力を買っています。 スクアーロが本気でお父さんと子ども達を捕まえるために動けば、いくらアルコバレーノとは言え、そうそう逃げられるはずがないのです。 でも、スクアーロはそうしません。 その理由を、将軍は何となく知っていました。 「ツナヨシはやらねぇ」 「あ゛ぁ!?」 「アイツに相応しいヤツかどうかは俺が決める」 「な、なに言ってやがるんだぁ?」 「ふん」 昔、友達がいなくて寂しがる弟君に、将軍は自分の副官をお世話役として貸し与えたことがあります。 そして、人見知りの激しかった弟君は、珍しくそのお世話役―――つまりスクアーロに良く懐きました。 ―――将来結婚したいと言い出すほどに。 ちなみにそれを耳にした兄君である将軍は、たまたまその日、将軍の護衛をしていたスクアーロを散々苛めて、鬱憤を晴らしました。 その後、それを誰かから聞いた弟君に“兄上なんてだいきっらい”と言われて、将軍のお仕事を放り出して一週間ほど傷心の旅に出たこともあります。 結局、弟君に泣きながら帰ってきてと言われて、大陸の反対側から光の速さで戻ってきましたが。 簡単に言えば、将軍は弟君が大好きなのです。 目の中に入れても痛くないどころか、目の中に仕舞っておきたいと本気で考えるくらい、危険な度合いで。 国で一番偉い王様の命令に背いてしまうくらいに、大切なのです。 弟君がアルコバレーノ達を連れて姿を消した時、本当は、弟君の抹殺命令が出るはずだったのです。 けれど、将軍や、弟君の実家の力で、抹殺命令は捕縛命令に変えられました。 “アルコバレーノは、将軍家の次男坊を人質に警備兵を脅し、脱走した” それが、大陸全土に配布された命令書に記載されている、アルコバレーノ逃走の筋書きでした。 本当は、弟君がアルコバレーノ達を逃がしたのですが、今、それを知る人は将軍や副官といったごくごく限られた人たちだけです。 ―――他に、そのことを知る人間は、もう、生きていないのですから。 「しかしよぉ、いい加減にしねぇと上がうるせぇんだろぉ?それに―――」 弟君は体がそれほど丈夫ではありません。 それなのに、王家の血筋をひく人間だけに使える不思議な力で、追っ手から逃げるために空間を跳躍するのです。 あの能力が、深刻な影響を弟君の体に及ぼしているのは疑いようのないことでした。 しかも、かなり悪い影響のはずです。 「あぁ。これ以上、アイツにあの力を使わせるわけにはいかねぇ。何が何でも次回で決着をつけろ。―――そのために、お前にその“国宝”を携帯する許可を与えたんだからな」 「あ゛ぁ、わかってるぜぇ」 将軍は、厳しい表情を浮かべて副官を一瞥すると、手を振って退室するように促しました。 それに従って、スクアーロは音もなく部屋を―――というよりも宮殿を後にして、弟君が身を隠している場所を探り始めました。 「もう鬼ごっこは終わりだツナヨシぃ。お前の居場所はここなんだぜぇ」 将軍にとって、弟君が宝物であったのと同じように、スクアーロにとっても、弟君は大切な大切な宝物でした。 それを、ひょっこり出てきたアルコバレーノなどに譲る気はさらさらありません。 自分が弟君に相応しいかは別として、スクアーロは、大切な弟君に平穏で幸せな人生を送って欲しいのです。 決して、追っ手に怯え、命を削るような能力を酷使するような日々を送って欲しくはないのです。 だから、絶対に捕まえるつもりでした。 今までは、弟君の意思を尊重して、自分の意思で帰ってくるように説得をしていましたが、もうそんなつもりはありません。 どんな手を使っても―――例え、何よりも愛しい弟君を悲しませ、憎まれてしまっても、宮殿に連れ戻す。 そんな強い意志が、スクアーロの瞳に光っていました。 「―――待ってろよぉ」 ヴァリアーNo.2の名に恥じない、その凄まじいばかりの威圧感は、周囲のもの全てが萎縮してしまいそうなものでした。 ざわり 宮殿から遠く離れた森の中。 やっと意識を取り戻して、子ども達にぶつぶつと文句を言われながら甲斐甲斐しく世話を焼かれていたお父さんは、見知った気配を感じたような気がして顔を上げました。 けれど、周りは鬱蒼と木々が茂っているばかりで、お父さんを囲んで好きに過ごしている子ども達以外、誰の気配もありません。 何より、お父さんの数十倍気配に聡い子ども達が、何の反応もしないのです。 「―――・・・気のせい、かな・・・?」 “彼”に呼ばれた、気がした。 「何がだ?」 「どうかしたんですか、おとーさん」 「寝惚けてんのかコラ」 お父さんの声に、子ども達は顔を上げて声をかけてきました。 「ううん、何でもない。それより、そろそろ行こうか。いつまでもここにいるわけにもいかないし・・・」 可愛い可愛い息子達が、厳しいことを言いながらも自分を気遣ってくれていることに、お父さんはくすぐったいような幸福感を感じながらそう言いました お前達を守るためになら、何だってできるんだ。 お前達は、俺にとって唯一の宝物。 全てをひきかえにしても、幸せにしてやりたいと願う、息子達だから。 初めて、俺に生きる意味を与えてくれた、存在理由だから。 ―――だから 「邪魔は、させない」 fin. 話が進んだような、進まないような??(自分で書いておいて) お届け物です。のような長編にするつもりはないので、あと2話くらいで終わります、多分・・・。 Back |