『はい、ツっくん。あげる』

ふわりと、淡い桃色と純白の花で編まれた花冠が、きょとんとした表情をした幼い少年の、ふわふわの色素の薄い髪の上にかけられた。
そして幼い少女は、自分の花冠の出来映えに満足そうに笑って、一歳下の従弟の頭を撫でる。

『ツっくん可愛い、お姫さまみたいだよ』
『えぇ、俺男だもん。お姫さまは京子だよ』

少年は頬を恥ずかしげに染めて、自分が手にしていた花を京子の髪に優しく飾った。
その花は、少女のぱっちりとした大きな瞳に文字通り花をそえて、国一番と誉れ高い容貌を引き立たせていて。

『ほら、可愛い』

少年の、まだ柔らかさと甘さを十分に含んだ幼い顔が、嬉しそうなものに変わる。
そんな従弟の無邪気な笑顔に、少女もとびきりの微笑みを返した。

さぁっと、花々が咲き乱れる草原を風の掌が撫でていく。
それに合わせて、ひらひらとさまざまな色の花びらが晴れ渡った春空に舞い上がった。

『うわぁ!綺麗だねツっくん!』
『うん!』
 
その光景に目を輝かせて、この国をいずれ統べることになる幼い子供たちは、小さな手を取り合って花吹雪の中を駆け出した。


それは、遠い昔の、まだ今日と同じ明日が続いていると、疑いもしなかった頃のこと。




Fiaba − Retrospezione − 〈1〉




「ツっくん・・・」

随分と懐かしい夢を見た。
そんなことを思いながら、ボンゴレ王国の王女様である京子姫は豪華な天蓋つきのベッドで目を覚ました。

窓の外を見れば、山の稜線がやっと白み始めた頃合いです。
王女様は、自分が随分と早くに目を覚ましたのだと知って、シーツの海で寝返りを打ちました。
―――もう一度眠りに落ちることは期待していませんでしたが。

王女様にとって可愛い従弟であり、未来の夫であった婚約者が姿を消して、一体どれくらい経ったのでしょう。
王女様は今でも、彼が自分に会いに来た最後の夜を忘れていませんでした。




夜も更けた、ある静かな夜のこと。
過保護な兄君や、その周囲の人々によって可愛がられ愛されていた、体も気も弱い婚約者が、自分の部屋の外にあるテラスに立って、月の光の下で微笑んでいるのを見て、王女様は直感的に彼が遠くへ行くのだと思いました。

そしてそれはきっと、以前に彼が口にした小さな子どもたちのため。

王女様は、桜色の唇を無意識に噛み締めながら、テラスに続くガラス張りの扉を開けました。

『こんばんは、京子姫。夜遅くにごめんなさい』

いつものように、育ちの良さそうな笑顔と無邪気な仕草で、年下の婚約者は王女様にぺこんと頭を下げます。
それを見て、王女様は少しだけ口元を緩めてぎこちなく笑い返しました。

『こんばんは、ツっくん。どうしたの?こんな時間に』

よくザンザス将軍が外に出してくれたね、と言外に言いながら、王女様は薄茶色の大きな瞳で、琥珀色の瞳を見つめました。

『うん、黙って抜け出してきちゃったんだ』
『またザンザス将軍に怒られちゃうよ。・・・それに、その服・・・まるで今から、どこかに出かけちゃうみたい』

婚約者が身にまとっていたのは、いつものゆったりとした貴族の服装ではなく、身軽で動きやすさを重視した一般庶民のような服です。
時々、彼が周りに内緒で、その服を着て市井へ遊びに行っていたことを王女様は知っていました。
そんな王女様の言葉に、婚約者の表情が悲しそうに曇りましたが、すぐに琥珀色の瞳には強い意志の光が宿り、柔らかな口元がきゅっと引き結ばれました。

『俺ね、今日、この城を出て行くことにしたんだ』
『―――それは、あの子達のため、なんだよね?』
『―――うん』
『どうしてって、訊いてもいいよね?私、ツっくんの婚約者だもん』

王女様には、どうして婚約者が会って数ヶ月の子どものために恵まれた境遇の全てを投げ打つのかが理解できません。
もちろん、彼がとても優しい心の持ち主なのだということは知っていました。
けれど、王女様の婚約者は、ただの優しさだけで、こんなことをするような愚かな人物ではないのです。
さらに言えば、いずれは王女様と結婚してこの王国を統治する、という役目を、そう簡単に放棄してしまうような軽薄な人間でもありません。

『うん。だから、京子姫に―――京子に会いに来たんだ』
『わかった、じゃあ、中に入って。ここだと、見つかるよ』

いつの間にか自分よりも少しだけ大きくなった婚約者の手を取って、王女様は自分の部屋の中に導きました。
明かりをつけると目立つので、窓際の椅子に座って、月の光だけを頼りにお互いの顔を見つめあいます。

『それで?』
『俺ね、思ったんだ。あの鳥篭の中にいる子ども達は、きっと世間に存在を知られているから争いの火種になるんだって。・・・存在を知られてるっていうのも違うか・・・居場所を知られてるから、取り合いになるんだって』
『うん、そうだね。あの子達は、この国に保護されているというか・・・管理されていて、それを他の国も知っているから、誰かが欲しがって争いになる』
『そう。別に、あの子達を実戦で使うつもりはないんだよね、この国の上層部だって。切り札とは思っているかもしれないけど、そんなことをしなくても、この国の軍事力は大陸でも最大規模だ。あの子達はいわば、他国へ権威を主張するお飾りに過ぎない―――少なくとも、この国にとっては』
『だけど、他の国にとってはそうじゃないんだよ?だから今だって、戦争までしてあの子ども達を手に入れようとしてるんでしょう?』
『でもそれじゃあ、いつまでたっても戦争は終わらない。今だって、軍事関係の支出は財政を慢性的に圧迫しているじゃないか』

繰り返される領地防衛のための出兵、度重なる遠征、それにともなう徴兵、それら全てが、豊かな王国の国力を少しずつ、けれど確かに疲弊させているのは事実でした。
しかしそれでも、王国は虹の子ども達を手放すわけにはいきません。

『それは・・・そうだけど・・・。だからって、あの子達を他の国が手に入れちゃったら、もっと戦争は酷くなるよ』

自然の力を操れる虹の子ども達。
それは、強大な軍隊を持たない小国にとっては、一千の兵士よりも重要な意味を持ちます。
子ども達は、全ての植物、動物から情報を得ることができ、それらを操ることができるのですから。
領土拡大を狙う国にとっては、利用価値の無限にある存在なのです。
だからこそ、大陸で最大の領土を持つボンゴレ王国は、厄介な火種を自らの懐におさめることで無用な領土争いを回避しようとしてきました。

『所在が分からなくなれば、いずれ止むよ。いつまでも、目的なくこの国に喧嘩を売れるような体力のある国なんて、どこにもないから』
『どうやって所在を分からなくするの。逃げ回るのだって限界があるでしょう?ツっくんの力だって、この国の中じゃないと使えないのに』
『しばらくは国内を転々とするよ。他の国が探って、王国側の意思を持ってあの子達を隠したのではないと確信するまで』
『そんなの、いつかなんて分からないじゃない!その間に捕まったら、それこそ大変だよ!』
『・・・どうかな。彼らは結局、この国には勝てない。そういつまでも、見つかるか分からない子どものために、密偵を国内に放ち続けるわけには行かないだろうね。万が一にでも自分達の尻尾をつかまれたら、致命傷だから』
『だからって・・・』
『もちろん手は打つよ。国外に逃亡したと見せかける工作なんて、結構簡単なことだし。それに・・・京子だって知ってるよね、軍部の―――兄上の対立派閥は、あの子達を厄介払いしたくて仕方がないってこと』
『それは・・・まぁ、文官にとっては戦争が続くことは喜ばしくないことだし、この国の行政にとって、抑止力以外にあの子達は特にこれといった利用価値がないもの』

普段柔らかな物言いをする王女様も、気が立っているのと、政治の話をしているために、珍しく鋭い口調になってしまっています。
婚約者の方も、いつもののほほんとした表情ではなく、執政者の顔で話を続けました。

『だから、彼らは俺に協力するよ。俺が無事に逃げおおせれば、彼らにとっても頭痛の種が減るわけだし』
『でも、お父様と―――将軍は、許さないと思うよ。あの子達は他国への牽制であって、この国の権威でもあるから』

『あの子達の存在なくして保てない・・・そんなくだらない権威なんて、この国には必要ない』

きっぱりと言い切って、婚約者はそれまでの厳しい顔つきが嘘のように、ふんわりと柔らかく微笑みました。

『突出した能力なんて、災い以外の何でもないんだよ、きっと。だから』
『だからって、どうしてツっくんがそこまでするの!』
『―――それは、きっと、俺があの子達が可愛くて仕方がないから、かな?』

そう言って笑った婚約者の顔は、今まで見たことのないほどに晴れやかで、慈しみと愛情に満ちていました。
それを見て、王女様の中で何かがするりと滑り落ちてしまいます。

『そんなの・・・そんなの勝手だよ!』
『うん、そうだね。これは俺の自己満足だよ。失敗したら洒落にならないし―――京子にだって兄上にだってすごい迷惑をかける』
『わかってるのに、やるの?』
『うん。もう決めたから。あいつらに・・・あいつらと、家族になることにしたから』

『私―――違う、スクアーロと、家族にならないで?』

今度は、王女様の言葉に婚約者がはっとする番でした。
婚約者は、何かを誤魔化すように色素の薄い髪をいじって、それから困ったように微笑みました。

『はは、京子ってなんでもお見通しだよね』
『茶化しちゃダメだよ。ずっと一緒にいたんだから、私にだってそれくらいは分かるよ』

王女様の薄茶色の大きな瞳が、じっと婚約者の伏せられた瞳に向けられます。
それから逃れるのを諦めたのか、琥珀色の瞳もやがて上げられて、色々な感情の詰まった視線が交錯しました。

『俺は確かにスクアーロを愛していたよ。京子とは別の意味で。でも、それさえも諦められるくらいに、俺にとってあの子達は特別なんだ』

王女様は、琥珀色の瞳のどこにも、嘘を見つけることは出来ませんでした。




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