大空の高みに


「よお、コロネロ」
「騎士団長」

練兵場で貸し与えられていた剣の手入れをしていたコロネロは、唐突に姿を見せた軍の総指揮官の姿に素早く立ち上がり姿勢を正した。
砂埃で煤けた場所に、上質の黒い騎士服はどうしても浮いて見えるのだが、それを相殺するだけの砕けた雰囲気が山本にはある。
今も、そこかしこで訓練していた衛兵や騎士たちが気軽に、彼らにとって直属の上司へ挨拶を投げていた。
それに適当に返しながら、山本は、歳の割りにしっかりとした体つきのコロネロを眺めてにぃっと悪戯を思いついた子どものような表情になる。
何を考えているのかは知れないが、その笑みに嫌な悪寒を感じて少年は逃げようと身構えたが、それよりも早く騎士団長が口を開いた。

「ちょっと俺と遊ぼうぜ」

どこの遊び人かと言いたくなるほど軽々しい様子で、世界最高ランクの騎士はそうのたまった。

「は・・・はぁ、自分と、ですか」
「そう。練兵長から聞いてるぜ、結構な腕らしいな。楽団の見習いにしとくには惜しいとまで言ってたぞ」
「・・・いえ」

確かに、そこらの下級騎士くらいなら互角以上に渡り合えはするが、下級と上級の間には果てしない差があることも同時に嫌という程知っていた。
今だって、構えてさえいない山本の気配にビリビリとコロネロの背筋は緊張している。

「そう固くなるなって、実戦じゃねーんだから」

そんなコロネロの内心を読み取って、彼は快活に笑うと、その辺にあった訓練用の木刀を手に取った。
真剣と同じ重さで作られている木刀が、山本の手の中で羽のように軽々と動く。
 
「ほらほら」
「・・・よろしくお願いします」
「おう」

促すように手を振られ、拒否権など始めからなかったなと思いながら、コロネロも手近な木刀を手に適度な間合いを取った。
構えた途端、それまでの飄々とした雰囲気が鳴りを潜め、研ぎ澄まされた気迫が静かに周囲を包み込む。
そんな山本の様子を真正面から見据えて、コロネロも心を静め雑念を振り払った。
場が静けさに包まれたのはほんの数秒、先に動いたのは少年の切っ先。
その軽やかな筋肉の連動で繰り出された突きを払って、山本が身を屈め懐に入ろうとしたのを、彼の肩を軸に身を反転させて避ける。
そのまま背後から振り下ろされたコロネロの木刀は、狙いとは裏腹に山本の影に叩きつけられた。
当の本人はすでに少年の左側面に移動しており、わき腹めがけて木刀を払っている。
コロネロは視界の端にその動作をとらえ、右にステップを踏むことで避けると、再び体勢を立て直してにらみ合う。

速い。
コロネロが判断し実行したときには、すでに山本はその次の動作を完成させていた。
けれど、まだ実力の半分も出していないらしく、コロネロの出方を伺いながら楽しんでいる様子が表情にありありと浮かんでいる。

「・・・」

イラっとしたのは何故だろうか。
不意に自分の中に浮かんだその感情に一瞬眉をひそめ、少年は再び地を蹴った。
今度は正面から切り結んで、すぐに間を取る。
重い手ごたえに微かに痺れた手は、山本の流れるような軽やかな動きが、鍛えられた筋肉の連動によるものだと伝えてきた。

周囲にいた兵士達は皆、少年と騎士団長の試合に興味を引かれ、すでにその手を止めている。
誰もが固唾を呑んで見守るなか、数度の交わりの後、木刀を弾かれ一瞬の隙を突かれた少年の身体が吹き飛ばされた。
そのまま壁に激突するかと思えば、開いた両手を活用し中空でバランスを立て直して地面へ踏みとどまる。
それを見た観衆からおお、とどよめきが上がり、幾人かの兵士達は善戦したコロネロへ賛辞の拍手を送った。
少年は意識の遠くでその音を聞きながら、微かに上がった息を整えて礼をする。

「ありがとう、ございました」
「お疲れさん。・・・確かにいい腕だなーお前、最初から楽団見習いだったのか?」

まったく息の上がっていない山本は、それでも試合の思わぬ手ごたえに楽しそうに笑った。
騎士団長の問いかけに、数瞬してから少年は応える。

「傭兵ギルドに4年ほど」
「へぇ、なるほど、基礎はあるってことか。今は、楽団で何を?」
「・・・」
「・・・まぁ良いか、気が向いたらいつでも言ってくれ、採用権限は俺が持ってるからな」

言外に勧誘されて、コロネロの目が僅かに開かれた。
言うだけ言うと、山本はいやにすっきりした表情で踵を返して、既に訓練を再開した部下達へと目を向ける。
しかし、思い出したように顔だけ少年を振り向くと、

「お前、集中すると利き手側が強張る癖、いい加減直せよ」

まるで、旧知の友人に言うような親しげな声でそう言った。
激しい喧騒に紛れて、恐らくコロネロにしかその声は届かなかっただろう。
その口の端だけで笑う独特の笑みに、見覚えがあるような気がした少年は、訝って山本の方を見たが既に彼は背を向けていた。





「聞いたよコロネロー山本騎士団長と試合したんでしょー?凄いね!!」

木製のドアを開ければ、一足速く仕事が上がったらしい綱吉が、二段ベッドの下の段―――つまりコロネロのベッドの上でゴロゴロしている姿が目に入る。
その無邪気な姿に、ベッドサイドに近づいておもむろに金茶の頭に手刀をおろし、あまつさえあちこちはねる髪をぐしゃぐしゃにしてやった。

「ちょ、コーローネーロー!何するんだよ!ぎゃーやめて、擽らないでー!!!」

唐突な兄分の理不尽な仕打ちに、綱吉は始めは憤慨したが、すぐにいつものじゃれ合いだと気付いて笑顔になる。
やがて、きゃわきゃわと騒ぐ弟分を一頻り構って満足したらしいコロネロが、制服の詰襟を緩めて綱吉の隣へ腰を下ろした。
その大きな膝になおも甘えかかって、綱吉は言葉を続ける。

「みんな凄いねって言ってたよー」
「そうかよ」
「俺も見たかったなぁ」
「見せモンじゃねぇぞコラ」
「わかってるけどさ」

ゴロゴロと金茶の猫が膝の上に頭を乗せて、目を閉じた。
その頭を撫でてやりながら、コロネロは昼間に垣間見た掴みどころの無い男のことを思い出す。

まるで、コロネロの太刀筋を知り尽くしていると言わんばかりの動き。
最後に見せた、年少者に向けるには不似合いな親しさ。

何よりも見覚えのある、自信に満ちた飄々とした笑み。

「コロネロ?」
「・・・いや、なんでもねぇ。―――そういや、ツナ、夕食はどうしたんだコラ?」

部屋に差し込んでいたであろう夕日は既に消え、藍色の闇が窓の底に広がっていた。
使用人の食事の時間は不規則で、時間が空いたときに食べるのが普通だが、15歳以下の子ども達はその限りではない。
もちろん仕事は均等に配分されるが、日暮れにはあがることを許されている。
だから、この時間は夕食を食堂で食べている時間のはずで。

「んー?コロネロ待ってたー」

コロネロの問いに応える綱吉の声は、彼も彼なりに色々と働いたのだろう、眠気で蕩けかけていた。

「そうかよコラ」
「うん」
「今日は何してたんだコラ?」
「午前中は、みんなで譜面の勉強とか、読み書きとかしてた。午後は、客室の掃除と中庭の掃除。今の時期は花が綺麗なんだって」
「へぇ」

確かに、隣の練兵場から見ても、広大な中庭の草花は美しかった。
それを思い出して、弟分が今日も1日それなりに楽しんで過ごせたらしいことを知る。

「あとねー殿下に会った」
「ふぅん・・・殿下?この国のかコラ?」

この国で殿下と称されるのは、智の皇太子、ただ一人であることくらいは、その辺の5歳児さえ知っていることだ。
それでも問い返してしまったのは、綱吉と皇太子との間に何の関連性も見出せなかったからである。
寝惚けかかっていた綱吉は、その兄分の問いに、眠気も吹き飛びしまったという表情になって身を起こした。

「ツナ?」
「ああ、ええっと、うーん、何て言うか・・・」

さらに問いを重ねるコロネロから目を逸らして、弟分は必死に誤魔化しのための言葉を捜したが、結局諦めたように沈黙する。

「・・・」
「・・・」
「・・・はぁ、別に、面倒ごとを起こしてねぇんなら良いんだぞコラ」
「う、うん、多分、問題とかは起こしてないよ。殿下がたまたま中庭にいらっしゃったんだ」

そう、それは綱吉にとっては完全無欠の偶然だった。
広い広い中庭を手分けして掃除をしていた時に、南側の奥まった場所にある花園を見つけて、誘われるように足を踏み込んだ、ただそれだけのこと。
そして、その花園の中央に建てられた白い四阿で、この国の皇太子たるスカルが座って本を読んでいた、それだけのこと。

ただ、コロネロは、その二人が以前にも一度出会っていたことを知らなかった。




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