大空の高みに 閑話休題:誰が何を思い何を為し何の故に死んでいくのか。 それは世界が、この世界が、他の何ものでもない純然たる世界として生まれたとき 朝を抱く太陽の母は言った “全てが始まる夜明けのように、地平線が産声を上げる気高き暁のように、そなたの命を始めましょう” 夜を抱く月の父は言った “全てが終わる日暮れのように、山の稜線が燃える美しき黄昏のように、そなたの命を終えましょう” その間で、空に浮かぶ星の双子は言った “ならば僕らは紡ぎましょう” “ならば僕らは廻りましょう” “ “ 全てが始まり、そして終わる―――朝と夜の物語を ” ” それを世界はこう呼んだ “運命” 古い古い神話が、熟練した技巧と他者に聞かせる媚を纏って、幾多の楽器に招かれ諸侯が集う広間に踊る。 聞くともなしに耳に届き思考に入り込んでくる音をゆるゆると咀嚼して、王国の至高の座に腰を下ろす男は、その人間離れした美しい容貌を皮肉げな笑みの形に歪めた。 人は、120年という長きにわたって国を治める彼を、太陽の国の賢帝、人の域を超えた神王と讃える。 しかし彼らは知らぬのだ。 その賢帝が、世の誰にも負けぬほどの愚行を―――神の名を借りた世界のシステムに唾を吐きかけ踏みにじり、長きにわたって冒涜し続けていることを。 「陛下、面の皮が剥がれかかっている。諸侯<草を食むもの>を怯えさせる前に取り繕ったらどうだ」 金細工の肘掛に肘をついていた王は、傍らの銀の玉座に腰掛ける第一王妃の言葉に、軽く眉を上げて静かに視線を向ける。 その一条の光も差し込まぬ全き闇を溶かし込んだ瞳は、すぐ傍に在るはずの王妃を簡単にすり抜けて、彼が長きにわたって対峙し続けるシステムを貫いた。 「時計は時を紡ぎ、歯車は物語を廻らせる。全ては用意された予定調和、神なんてご大層な張りぼてを被った子ども騙しの陳腐な仕掛け」 この世界のどれだけの人間が気付いているだろうか。 彼らには生まれたときから配役があり、その配役に沿って生きる以外に、歴史の舞台で踊ることは許されない。 賢者も愚者も、老人も赤子も、王も奴隷も、この世界に生れ落ちたものは初めから運命という台本を演じて死んでいく。 ただ、神と名づけられた存在を楽しませるために。 「もし、そうだとしても」 白く細い、整えられた指先が、円卓に置かれたクリスタルガラスをとらえ、中のワインの色を透かしながら円を描くようにまわした。 「恐らく世界で最も矮小だろう我ら“人間”に、何ができるというのか」 「下らねー。俺とお前がここに座っていること自体が、その仕掛けが絶対でない証拠じゃねーか」 「・・・」 王の愉快そうな声に、王妃は苦虫を纏めて噛み潰した表情で眉間にしわを寄せつつも、優雅な動作を崩すことなくグラスのワインを飲み干すと、大広間で談笑する人々を一瞥する。 彼女がこの国に嫁いできたときの臣下は、国務尚書や騎士団長などの幹部を除いて殆ど代替わりをしてしまっていた。 長い、長い時間が、過ぎていったのだと実感するのは、そうした事実を目の当たりにするときで。 「いつまで足掻くんだ」 「宝珠が俺に愛想を尽かすまで」 「・・・お前が、この国を滅ぼすまで、か」 「―――さぁな」 選択肢は一つしかない。 最悪のシナリオのための選択肢しか、ない。 もし仮に、そこに無理やり選択肢を取り付けられないなら、選択をしないでい続けるしかない。 細かな装飾が施された暖炉から、パチパチと薪の爆ぜる音がする。 煌々と光に照らされた、明るく暖かい部屋の中、小さく愛らしい子どもが美しい父親の膝に抱えられて本を読んでいた。 彼の国の始まりが書かれたその本を、現国王である父親はつまらなそうに切れ長の瞳を眇めて眺めている。 子どもが読む絵本の中の、伝説めいた国の始まり。 星に導かれるままに王となった、物語の主人公。 星々に約束された、栄光と安寧の国。 今、この国の王族の不老長寿を叶える宝珠は、その星々の欠片。 ―――くだらない。 父親がそんな捻くれたことを考えているとは露知らず、やがて幼子は一冊の本を最後まで読んで満足げにパタンと閉じた。 そして眠くなったのか、ぽすっとその小さく柔らかな体を背後の父親に預けると、うとうととし始めた。 そんな息子の頭を撫でてやりながら、父親は独り言めいた言葉を吐いた。 『スカル、この世界には、定められた星の巡りがあるのを知ってるか』 『ほしのめぐり?』 『ああ。人間には届かぬ空の向こうで、定められた巡りを執行する者がいる。それによって人の一生の全てが決められてる』 『???』 父親の言葉が理解できずに、大きな瞳をきょとんとさせている息子の頭を撫でてやりながら、父親は漆黒の瞳を閉じて背凭れに身を預けた。 しばらくそんな父親の顔を眺めていた息子も、眠くなったのか瞼を下ろして父親の胸に顔をうずめて眠り始める。 『なんてつまんねー世界だ』 息子の寝息と、暖炉で燃える薪の音に混じって、父親の声が広い部屋へと投げかけられた。 「父上、あれは一体どういうことですか!」 「・・・なんだ、うるせーぞ」 ドタンだかバタンだか、とりあえず耳あたりの良くない音ともに、常ならば最も恭しくあけられるべき扉が乱暴に開いた。 その部屋の主であり、この国の主でもある男は、書類に目を通したまま顔を上げることも無くその無礼な闖入者の怒鳴り声に返答する。 そんな父の態度が癪に障ったのか、スカルは珍しく荒い足取りで毛足の長い絨毯を踏みしめて、重厚な執務机をバンッと叩いた。 王の傍に控える近侍たちは、皇太子の常ならぬ荒々しい様子に戸惑いながら、息を潜めて目を伏せる。 「下がれ」 すぐに王から命じられて、近侍たちは安堵したような気にかかるような心持ちを抱えたまま、王の執務室を後にした。 「で、何がどーした?」 二人だけになった執務室に、どこか人をからかうような響きを持った声がした。 それを聞いて、スカルは自分の父親が今の自分の反応をとても面白がっていることに、遅まきながら気がついた。 なんて悪趣味な。 「おかしいと思ったんですよ、芸術になんてさっぱり興味の無い貴方が、いきなり宮廷楽団を創設したり、楽団見習いまで一緒に宮廷に召し上げたりするなんて」 父親の反応を見て、常の冷静さを若干取り戻したスカルは、焦げ茶色の瞳で父王を睨み据えながらそう言った。 「常日ごろから学芸に興味を持てと諫言してきた皇太子がそれを言うか?」 「―――ええ、王が学芸に目を向けることは良いことです。国の文化の発展にも繋がりますから。けれど、俺が言いたいのはそういう事じゃありません。―――あの少年は何なんですか」 「ああ、お前にもちゃんと“男”に見えたか。これで女に見えてたら、俺はお前の将来が真剣に心配になるとこだったぞ」 「余計なお世話です。―――義母上はご存知なのですか」 「知らねーな、まぁ、知ったところで、どうこうするつもりもねーだろーがな」 「・・・貴方は、どうこうするおつもりなんですか」 「・・・さぁな?」 にぃっと、父親の秀麗な美貌が愉快そうに歪められたのを見て、スカルの眉がつりあがる。 「あなたはどうしてそう―――!!」 「“今度”は、どうなんだろうな。・・・俺にもわからねーぞ」 「・・・父上?」 「おら、次の仕事だ、仕事しろ仕事」 「は、はい?・・・って、これ貴方の仕事じゃないですかー!!!!」 ドサドサと容赦なく渡された書類に気をとられて、スカルは一瞬父親が見せた怜悧な表情を見落とした。 一瞬の後には、国王の表情はいつも通り傲岸不遜なものに戻っていたために、皇太子はその見落としに気づかぬまま父親の執務室から追い出されることとなった。 「・・・俺にもわからねーぞ―――長い時間が、経っちまったからな」 人の絶えた部屋で一人、人の寿命を上回る時間、運命に抗い続けてきた男は虚ろな視線をかつての妻が愛した空へ上げた。 「ふぅん、またあの子はあの男の近くにいるの」 「今回僕らは関与してませんからねぇ・・・たまには、役を休んでも良いと思ったのに」 「それが、あの子の役目だからね。どれだけ生まれ変わっても同じこと。―――僕らに逆らうあの男が悪いんだろ」 それは決められた、確定された、真実で事実で―――現実でなければならない。 その運命に逆らい続けるならば、彼は永遠に玉座の囚人のまま、あの子は永遠に愛されない。 「可哀想に。魂の伴侶でありながら」 「どっちに対して言っているの」 「そんなものは決まっているでしょう」 くるくると、時計の針が回る。 くるくると、歯車が回る。 運命が指し示す流れに沿って。 Next Back |