お届け物です。


それは紅い、憎しみと怒りに満ちた記憶。
全てを焼き尽くす劫火の、孤独な夢。






始めに生み出された、ヒトガタでありながらまるで異なる子どもは、ガラスケースの中で瞳を閉ざした幾体もの同胞〈ハラカラ〉を生体硝子の瞳で見上げた。
人ではありえない白さ、髪もなく、服もなく、剥き出しの人工関節と精巧な手足と、美しい容姿だけを与えられた、濃度の濃い液体に浮かぶ“ヒトガタ”。
リボーン、コロネロ、スカル、ラル・ミルチのデータを元に作られた彼ら“ヒトガタ”は、間も無くボンゴレファクトリィの名を冠して表の世界へと旅立っていく。

宇宙の開拓地へと、人の命を救う前線へと、誰かのために、何かのために。

おかしなものだ、魂という常人が造り得ぬものを持ったがために、薄いガラスを隔てただけの同胞は完全に道を別ってしまった。

一方は、正確無比な演算で紡がれる揺るがなき明確な意図〈任務〉を持つ人形。
一方は、最高のスペックを持ちながらたった一人の人間に左右されるヒトガタ。

けれども何故だろう。

アフロディテが創り上げたかのような美しいかんばせを歪めて、子どもは笑った。

「お前には、お前達には、命をかけるべき唯一なんて、要らないだろう?」

「―――それは、勝利宣言ですか、敗北宣言ですか」
「さぁな。で、こいつらのチェックは終わったのか?」
「ええ、まあ、それなりに」

黒のハイネックにスラックス、おざなりに白衣を引っ掛けた骸は、手にした電子パネルで軽く肩を叩いて、微かな電子音をたてる強化ガラスの筒を見上げる。
その中では、瞳を閉ざした美しい人形が静かに目覚めの時を待っていた。
こつんと、骸の動きに合わせて、特殊合成素材でできた黒褐色の床が鈍い金属音を立てる。

「あとは、シリアルナンバーを打って、植毛して、AIに注文先のデータを入れるだけです」
「ふぅん」
「なんですか、やはり子ども達の門出が気になりますか」
「・・・300年経っても、お前には“俺たち”は創れねーんだな」

子どもの言葉に色の異なる瞳がメガネの奥で微かに眇められたが、リボーンは敢えてそれを指摘せぬまま、整然と並ぶ棺にも似たガラスケースに埋め尽くされるラボを見渡した。

魂とは何か。
それを探求し続ける輪廻の犠牲者が築いた、窓のない黒い箱庭。
床を、壁を這う、脈絡系のようなコード。
50体を下らない“ヒトガタ”の生命維持を担う巨大なマザーコンピュータは、そのコードが集う部屋の中央で、眠ることなく演算と適応を繰り返し続ける。

眼に見えぬ非科学を証明するための、最先端の科学。

「この300年で解明できていたなら、今頃僕はこんなところで遊んでなんかいませんよ」

どこか拗ねたような台詞を吐いて、ボンゴレ3大分家の当主は肩をすくめた。

「全く解明できてないわけではないんですがね。―――特に、彼が目覚めてからは」
「―――」
「魂にはある種の親和性がある、そんな仮説が実証されたら、少し面白いでしょう?」
「・・・―――そういう、ことか」

そういうことなら、ここ最近の綱吉の様子も頷ける。
リボーンは納得したように呟いて、くるりと踵を返した。

「つまり、獄寺の探索結果如何で一目瞭然となる可能性もあるわけだ」
「そうでしょうね。絶対不可侵かと思いきや、意外とその不変性は脆いものなのかもしれません」

ならば、人はどうやって自己を自己と定めるのか。

何度廻っても見えぬ回答に笑いながら、骸はラボを後にする子どもの背を見送った。





「・・・っち、ここにもねぇ」

上下左右の間隔を失わせる闇の中、獄寺は忌々しそうに舌打ちをした。
ザンザスが目覚めたと報告されて以来、彼の管轄下にあったはずのヴァリアーの拠点の空間座標軸が定まらない。
確かに獄寺のテリトリーの中に在るはずの拠点は、彼が意識の手指を伸ばすと陽炎のようにすり抜けてしまう。

だからと言って、ボンゴレ三屋敷に手を出してくる気配もない。

何かを、待っているかのように。

空間に接続した獄寺から送られてくる膨大なデータが、360°をコンピュータに囲まれた白い部屋のメインスクリーンに映し出されていく。
その3秒ごとに更新される情報を読み取りながら、ラルは眉をひそめて腕を組んだ。
座標軸の定まらない彷徨える城と化した拠点、そこから発される生体反応のなんと微小なことか。

「何が、起きた。何を、しようとしている」

データの一部に、己の同胞らしき波形を見出して、その活性の低さに目を引かれた。
けれど、何よりも子どもが着目したのは、様々な数値に埋もれようとしている見慣れた波形。

見慣れた、波形。

「・・・なぜ、ここに?」

微かな名残と言い切ってしまうには、あまりにも明白なその波形は、困惑する子どもを嘲笑うかのようにデータの海に呑まれていく。
コンソールパネルをはじいてその情報だけを抽出しようとすれば、何かのプロテクトが掛けられているのか、それともそれ単体ではないためか、欲しい情報が浮かんでこない。

「っ獄寺、何をしている」
『悪い、完全にあっちが予測ポイントから離脱した。そっちから追えるか?』
「少し待て・・・いや、こっちも追尾妨害でやられているな」
『っち、容量的にあっちの解析のほうが早いか。一旦そっちに戻る』

定規で引いた直線から空間が開かれて、憮然とした面持ちの部屋の主が機械の王国に帰還した。
すでにメインスクリーンの椅子から離れて、入り口近くの壁にもたれていたラルは、綱吉には決して見せないであろう粗野な仕草で椅子に座る男へ、静かに声をかける。

「失敗、だな」
「まったくだ、通算0勝58敗、何が世界最高峰の索敵システムだ、ざっけんな」

獄寺は、力一杯にコンソールパネルを殴りつけると、苛立たしげに展開していたシステムバリケードを収束させた。

「解析は」
「そっちにバックアップがある」
「そうか、何か分かったか?」
「―――・・・人がいない。いや、いるにはいるんだろうが、殆どいないようだったな」

その言葉に、獄寺は片眉を上げて、自己破壊ウィルスが作動したために虫食い状態となったデータを眺める。
言われて見れば、様々な妨害データに紛れるように生体反応を示す数値が微かに残っていた。
ヴァリアーがボンゴレ傘下の一組織であったとはいえ、その規模は数百人単位のものだったはずである。
今もそれほどの人数があの拠点に居るとしたら、これほど微弱な数値であるはずない。

「どういうことだ」
「・・・死んだか殺されたか、その数値自体が偽装か」
「・・・」
「・・・」

殆ど作動音をさせない機械類に囲まれた部屋に、沈黙が下りた。

「何より問題は―――」
「・・・この波形、か」

ラルと全く同じところで手を止めた獄寺は、かろうじて原形を留めているに過ぎない数値を見つめて苦虫を噛んだような顔になる。
そして何度か証明を繰り返して、そのデータに誤りがないことを確信すると、深々と溜息をついて腕を組んだ。

「つまり」
「300年あそこに留まっていたとはいえ、すでにあそこに存在しない人間が、そのレベルの存在反応を示すなんてことは、ありえない」
「・・・ヤツに繋げ」

カチリとボタンを押して命令を下せば、数秒もしないうちに、まるで連絡があることを知っていたかのごときタイミングでラボから通信が入る。
メインスクリーンに映し出された薄っぺらい笑顔の男は、獄寺が言葉を発する前に口を開いた。

『どうです、そろそろ面白い発見はありましたか?』
「その様子だと、ある程度予想できる材料があったみてぇだな」
『まさか。とある一つの可能性、として考えていたに過ぎません』
「怪しいもんだ」

あからさまに疑いの眼差しを向けたまま、長い指先がデスクを弾いた。

「それで?」
『今のところ、特に支障は無いでしょう。あの人もいつも通りのようですし。我々が考えているほど、重大なことではないのかもしれません』

そこが何より興味深い点ですがね。

言外にそう言いたいのだろう研究狂いの言葉に、時空の管理人は溜息をついた。
予想外に長い付き合いとなった二人だが、相変わらず全く相互理解が進まないのは、お互いの興味が地平の彼方にあるからなのだろうか。

「いつも通り、ね」

そんなブレイン同士の会話を聞いていたラルは、恐らく自分達しかあの父の様子の変化に気付いていないのだろうと結論付けて、白い部屋を後にした。





変わったな。

ソファに腹ばいになって、ディーノから渡されたここ最近の市場の動きに眼を通していたスカルは、熱心にイタリア語を学ぶ傍ら、組織の仕組みの理解を進める綱吉を横目で眺めた。
ボンゴレの長だけが使うことの許される、紋章が掲げられた広い執務室。
そこには、イタリア語の本を四苦八苦で読む綱吉と、護衛と言う名の暇を持て余したスカルしかいない。

ここ最近、綱吉は非常に忙しくしていた。
今まで休学扱いだった大学へ退学届を提出し、日の殆どを狭くて広い本城で過ごしながら、ディーノからボンゴレの歴史やら体制やらを学んでいる。
その合間に、3大分家の屋敷に顔を出して、ボンゴレの創成期から仕えてきた末裔とも何度か話していたらしい。
音に聞くボンゴレ初代の再来を前にして、身も背もなく感涙に咽ぶ大人たちに、始めはかなり戸惑っていたようだが。
けれども、彼らから決して顔を背けることなく向き合う姿には、確かに彼の覚悟が見えた。

望むと望まざるとに関わらず、綱吉にしかできないことがある。
彼と言う存在自体が背負った責任がある。
―――本当に引き返せないと悟ったとき、彼は本当の意味で腹を括ったのだ。
まるで、何かに急かされるかのように。

彼が背負っているのは、7人のヒトガタの生死だけでなく、世界の均衡を保つ一角を担った組織。
今生で彼が上手く処理できなければ、彼の魂の意思によって括られたボンゴレは、彼の亡き世界で徐々に崩壊していくことだろう。
それは即ち、ウィザード世界のパワーバランスを崩すことにも直結していて―――ウィザードの精鋭が集う組織から零れ落ちたはぐれウィザードが、どれほどの価値があるかなど、敢えて言うまでもない。

そうして、学べば学ぶほど、知れば知るほど、沢田綱吉はボンゴレから逃れられなくなっていく。
知らないほうが幸せ、だったろうに。

腹の底では、父が現実に雁字搦めになっていくのが嬉しくてたまらないのに、スカルの良心は、まだ四半世紀も生きぬうちに人生を捧げなければならない状況に陥った若者を哀れんでもいた。

嗚呼、けれど。

何をそんなに急いているのだろう。

最近の綱吉は、何かに急かされるように、一人前への道程を駆け抜けようとしているようだった。


それは紅い、憎しみと怒りに満ちた記憶。
全てを焼き尽くす劫火の、孤独な夢。

早ク来イ、愚弟。


「―――っ」

不意に綱吉を襲った白昼夢、イタリアに身を寄せてから毎晩のように見る夢と、聞きなれた吐き気がするほど憎い声。
誰の声か、なんて聞きなれたと感じるわりに正確なところを知る術はないが、彼を“弟”呼ばわりする人間なんて知る限りにおいては一人しかいない。
ダン、と力任せに机を殴りつけた音は、ソファで眠そうにしていたスカルの耳に届かないはずもなく、綱吉は拳が伝えてくる微かな痛みとともに内心で舌打ちした。

「Padre、どうか?」
「・・・蠅が、いたの―――かな?」
「・・・へぇ」

あからさまな誤魔化しに、子ども焦げ茶色の瞳孔が猫のように細くなる。
次の瞬間には、なにをどうやったのか、綱吉が向き合っていた執務机に腰掛けて、足を揺らしながら椅子に座る彼を据わった目で見つめた。

「蠅を握りこぶしで叩き潰せるほど、あなたは反射神経が良くないし・・・そんな度胸もないでしょう」

蟻さえ触れない虫嫌いの癖に。

「・・・だって足が6本あるじゃん・・・。あのうぞうぞ感が堪んない・・・」
「そんなもんですかね。で、どうかしたんですか?」
「・・・」
「Padre?」

当たり前だけど誤魔化されてくれないよなぁ、なんて思いながら、綱吉は斜め右上の虚空へ視線を泳がせる。
すぐに幼い手が伸びてきて、両頬を挟まれ引き戻されることになったが。
にこぉ、と、筆舌に尽くしがたいほど愛らしい笑みを浮かべる子どもは、父の胡乱な瞳を逃さない。

「あなたが挙動不審なときは碌なことがありません、さっさと吐いてください」
「・・・いや、ただ単に最近夢見が悪くて、ちょっと寝惚けかかってただけなんだって」
「Padre?」
「うん、ごめん、言います、言うからそのタコさんを仕舞ってあげてくださ・・・!」

うわぁ、なにこの磯臭い生き物。
どこから取り出されたのか不明な、子どもの手の中でにゅるにゅる蠢く赤黒い生き物に涙目になりながら、綱吉は高速で首を縦に振った。
それに満足したのか、スカルは親友を何処かへと仕舞う。

「・・・どこに仕舞ったの、今」
「知りたいんですか」
「いや別に」

手品のように消えた海のお友達を見送って、彼は椅子の背凭れに体重を乗せると、正面の机に腕を組んで陣取ったスカルへ目を向けた。

「約束、だしな」

嘘をつかない、隠し立てをしない、もう置いていかない。
それが父と子ども達との約束。

「じゃあ、夜になって、4人揃ったときに、ね」
「・・・約束、ですよ?」
「うん」

小指と小指を絡めて、綱吉はにっこりと笑った。





魂が、その人をその人たらしめているとしたならば―――

魂の交わりとは何を意味するのだろうか。





ボンゴレ本城の風呂は広い。
綱吉が獄寺に嬉しそうにそう言ったとき、忠実な男は喜色満面でこう言った。
日本人は広いバスが好きだと聞いたので広くしました、と。
収縮自在な空間、それが綱吉の現在住まう場所の特徴だった。
そんなことは、そこで暮らすこと自体にさしたる影響を与えることもないため、彼は深くを追及しなかったけれど。
とにかく、彼はこの本城の風呂がお気に入りだった。

子ども達と入っても、全く狭さを感じない。

「いやーやっぱりお風呂は良いねぇ、癒されるよホント」

肩までお湯に浸かり、頭を縁に乗せて、湯煙で煙る天井を見上げる。
その左右で、子ども達も彼と同じような姿勢で気持ち良さそうに目を閉じたりなんかしていて、幸せな光景だとつくづく思った。
いつか温泉めぐりにでも行こう、そんなことを考えている綱吉の横で、ラルは火照った顔でぼんやりしている。
温めに設定してあるとはいえ、それほど長くお湯に浸かる習慣がなかった子にとってはそろそろ限界なのだ。
そんな様子を見て取って、綱吉はその小さな頭を優しく撫でてやって抱き上げる。
ラルも、ふにゅ、といつもならば寝惚けているときにしか見せないであろう、くったりした仕草で綱吉の肩に顎を乗せたまま目を閉じていた。

「・・・」
「・・・」
「・・・」
「あれ、お前達、もう少し入っていくの?」
「「「別に」」」

ラルの行動が計算づくでないことを知っていため、羨ましいなどと口が裂けても言えぬ子どもらは、綱吉の言葉に即答するとやり場のないイライラをとりあえず近場のスカルで発散することにする。

「あー!ちょっと!やめてくださいよ!タコぉぉ!!」
「文字通りゆでだこだなコラ」
「食えねぇけどな」
「食べないんですか!それただの虐待じゃないですか!!」
「お前らーあんまりやってると風邪ひくぞー」

わしゃわしゃとラルの髪を拭いてやっていた綱吉は、背後の惨状を知る由もなく呑気に声をかけるだけ。
その声に元気よく返事をして、リボーンとコロネロはややすっきりした顔で浴室を後にした。
後には、半茹でで救出された親友に塩水をかけるスカルだけが残される。

「うう、理不尽だ・・・」




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