無償の愛


「いらっしゃいコロネロ、よく来たね」

いつも通りに、音も気配も無くボンゴレの執務室に滑り込めば、いつもと同じように柔らかな声がかけられた。
コロネロは、その声に頷きながら、慣れた様子で執務机の前のソファに腰掛ける。

机が重厚だからか、そこに腰掛ける青年がより華奢に見えて、初見では彼が闇の世界を統べるマフィアの帝王だとは誰も思うまい。

「久しぶりだなコラ」
「うん、そうだね。・・・何か飲む?今日はゆっくり出来るの?」

自分と同じくらい闇の世界で恐れられる子どもを前に、綱吉は遠くの孫が遊びに来たかのごとく愛想を崩して椅子から立ち上がった。
そしてそのまま、コロネロの返答を持つことも無くカチャカチャとティーセットの用意を始める。
クリーム色の上質なスーツの後姿を首をひねって見ながら、コロネロはさもどうでもいい事のように装って口を開いた。

「ヤツは帰って来てんのか?」
「―――うーん、さぁ?時々帰ってきてるんじゃないかな?俺も忙しくて、毎日ここに居るわけじゃないから・・・」

振り返ることも無く返された言葉に、コロネロはそれもそうかと思って、顔を正面に戻した。
綱吉はのほほんとした優男だが、まがりなりにもイタリア最大規模のファミリーを統括しているのだから、それなりに忙しかろう。

「最後に会ったのは・・・2ヶ月くらい前かな?―――しばらく休暇を与えてるから、たぶんどっかの愛人のところにいると思うよ」

ふわりと、紅茶の甘く上品な香りがした。
ポットと二つのティーカップを乗せたトレーを手にして、綱吉はコロネロと向かい合うように反対側のソファに座りながら、素っ気無く言葉を紡ぐ。

「相変わらずか、コラ?」
「そーだねー、ま、しょうがないけど」

カチャリと小さな音がして、ローテーブルの上にティーセットが広げられた。




3年前、ボンゴレお抱えのヒットマン リボーンが記憶喪失になった、という一大スキャンダルは、ボンゴレの有り余る権力によって現在は完全に隠蔽されている。
記憶喪失と言っても、全てを忘れたと言うよりは綱吉やボンゴレに関わる記憶が断片的に欠落しているだけで、日常生活はもちろん彼の本職には全く影響は無かった。

リボーンが覚えているのは、綱吉が自分の教え子であり、ボンゴレのボスであり、自分がボンゴレの専属のヒットマンであるということだけ。
綱吉がボンゴレ10世に就任するまでの記憶と、就任してからの記憶は全く残っていなかった。
―――それはつまり、自分が異常なまでに綱吉に執着し、綱吉を恋人という名の下に独占しようとしていた記憶がなくなっているということ。

その事実に、綱吉はかなり参っていた。
当時のことを思い返してみても、壊れる一歩手前程度だったことぐらい、コロネロにだって容易に想像できる。
いつものように笑っていても、読心術で読み取れる綱吉の胸中は虚ろで、冬のように凍てついていた。

他人を見るような冷たい目。
距離を置いた話し方。

綱吉を拒絶するリボーンの態度の全てが、綱吉の精神を傷つけ、追い詰めていった。
けれど、綱吉は、そんなリボーンの記憶を取り戻す努力をしようとはしなかった。

コロネロは、一度だけリボーンのことで泣きじゃくる綱吉を抱きしめたことがある。
自分よりも10は上だと言うのに、綱吉の体は細く頼りなくて、記憶をなくす前の同僚が必死に自分の場所に留めて捕まえることで守ろうとしていた心境が、コロネロにも少しだけ理解できた。

『なんで、アイツんトコに行かねぇんだコラ。そんなに泣くぐらいなら、本当のことを言ってやりゃあ良いじゃねぇかコラ』

ふわふわの髪をガラにもなく優しく撫でてやりながら、コロネロは純粋に疑問に思ってそう言った。

綱吉は、自分とリボーンが所謂恋仲だったことも、リボーンがなくした記憶のことも、リボーンには伝えていない。
今のリボーンにしてみれば、綱吉は教え子の一人に過ぎず、よって自分の任務が全うされた後まで興味を抱く対象ではないのである。
それを辛いと思うなら、それが辛くて泣くのなら、失われた記憶を取り戻す努力をすればいいのに。

けれども、綱吉はしゃくり上げながら必死で頭を左右に振った。

『だめ、だよ。せっ、かくっリボーンは・・・っう・・・俺から、解放されたのに』

肩口に縋りつく綱吉の声は、服越しでくぐもってはいたけれど、コロネロの耳にはしっかり届いた。

『―――解放?』
『あいつは・・・元々自由奔放なヤツだったのに、俺と付き合い始めてからは、俺以外何も見なくなって、どんどん世界を閉ざしていった』

少し時間を置いて問えば、涙声ながら少し落ち着いた声が返ってくる。

『自由なリボーンが好きだったのに、俺といるときのリボーンは、全然リボーンらしくなくて―――リボーン自身も、そんな自分が嫌だったみたいで・・・最近は二人でいると凄くイライラしてたんだ』
『それは―――』

コロネロは、お前の思い過ごしだ、と言ってやれなかった。

リボーンは、アルコバレーノの中でも特に独りでいることを好むタイプだった。
それが、綱吉に執着してしまったことでペースが崩れ、そんな自分を内心ではかなり苛立たしく思っていただろう。
けれども、そんなリボーンの自尊心よりも綱吉への執着は遥かに強大で、感情のコントロールが難しくなっていた。
そんなくだらない状況を、あのプライドの塊のような男がいつまでも看過できたとは、思えない。

今の状況が、リボーンの執着心と自尊心のせめぎ合いの結果、だっだとしたら―――?




コロネロがそう考えたように、綱吉もその考えに行き着いたらしい。
だから彼は、自分の元家庭教師であり、お抱えヒットマンであり―――恋人であった男に、何も告げないのだろう。

薄く焼き上げられたカップに口をつけ、暖かな液体を飲みながら、コロネロはじっと正面にある綱吉の顔を見つめた。
その視線に気がついて、綱吉は伏せていた目を空色の瞳に向ける。

「何だよ、何かついてる?」
「いや―――立ち直ったのか、お前は」
「そりゃまたストレートな質問だね」
「少し前にリボーンのヤツに会ったが、昔みたいな目をしてやがったぜコラ」

少なくとも、記憶をなくす前のリボーンの瞳には、あんな凍えるような光は宿っていなかった。
―――正確に言えば、綱吉に出会ってからのリボーンの瞳には。

「そう、かな?でも、前よりは生き生きしてるって言うか―――リボーンらしさは戻ってきてると思うよ」

まだ、綱吉がリボーンに出会って間もない頃、リボーンの瞳は冷たく澄んでいて、自分の誇りと強い意志に輝いていた。
綱吉と付き合うようになってからは、漆黒の瞳は翳り、いつも飢えた様な酷薄な光で満ちていた。

綱吉は確かにリボーンに愛されていたとは思うが、それは決して双方にとって幸せな形ではなかった。
彼らの恋は、甘さや優しさよりも、独占欲や執着心といったドロドロとしたモノが蟠った歪な形をしていたのだろう。

コロネロは、吹っ切れたように微笑む綱吉を、静かに空色の瞳で見つめた。

「お前は、それで良いのかコラ」
「うーん、良いも悪いも、俺はリボーンがリボーンらしくいてくれることが、本当に嬉しいんだ。俺はリボーンを愛しているから、だから、俺がリボーンの瞳を翳らせてたなら、俺はアイツに介入すべきじゃないよ。―――・・・リボーンだって、記憶をなくしても反射的に俺を遠ざけてる節があるしね」

きっと、脳が警鐘を鳴らしてるんだろうね、俺に近づくなって。

仕方がないと諦めている、と言うよりは、今の状況が一番良い、と納得したように笑う綱吉を見て、コロネロは内心で溜息をついた。

あれだけ人前で号泣するほどに、リボーンを愛しているくせに。
ちょっとやそっとでどうにかできるほど、リボーンへの愛着は生半なモノではないだろうに。
リボーンのことを話すときの瞳が、どれだけ慈しみと愛しさと悲哀で満ちているか、本人は自覚していないのだろうか。

綱吉は、その全てを自分の腹に収めて身を引く気らしい。

コロネロは、今頃どこかの愛人と過ごしているだろう同輩に、瞼を閉じて語りかけた。


なぁ、てめーは知っているか?

お前のような呪われた存在を、何の対価もなく慈しむヤツが此の世にいることを。

お前が見たことも聞いたこともない「無償の愛」ってのを、惜しみなく捧げるヤツがいることを。

そいつはお前の一挙一動でこれ以上なく傷ついていることを。

―――知りもしないだろうし、気づこうともしないだろうが、お前の上にはいつだってそいつの慈しみが降り注いでいるんだぞ、コラ。


「ボンゴレ」
「ん?」
「―――いや、なんでもない」

リボーンが、殺したいくらい羨ましい。
そう言おうかとも思ったが、コロネロはふるりと頭をふって思い直すと、ティーカップの紅茶を飲み干した。




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綱吉はドMだと良いな。(ぇ)