君は空気。


人が焼ける、焼き鳥と、人毛が燃える臭いが交ざったような、蛋白質の燃える臭いが綱吉の鼻腔を刺激する。

最高に気分が悪い。

視覚よりも嗅覚のほうが、人の気分を滅入らせる効果は強く長いらしい。
それを、綱吉は世界の裏側に足を踏み込んで学んだ。

血の臭いは、温かいときより冷えてしまったときのほうが生臭い。
人の焼ける臭いは、タバコの臭いのように服にしみ込む。

―――そして、血の臭いも硝煙の臭いも、風呂に入れば消えてしまう。

血の臭いが、人の焼ける臭いが消えないなんて被虐的な感覚は半年で消えた。

割り切ってしまえば、人は腹も減るし眠りもする。
そんなことに罪悪感を覚えないのは、覚えても仕方がないと知ったから。

「気持ち悪い」

ぽつりと呟いて、瓦礫の山と化しつつある廃屋の群れを眺める。
炎に煽られた風が、乾き切った死の臭いを運んできて、綱吉は眉をひそめた。

「悪いなボス」
「別に、山本は悪くないじゃん」

綱吉の斜め前で、全体指揮兼護衛の任にあたっていた山本の声に、そっけなく返す。

今回の抗争は、ボンゴレボスの指揮でなく、幹部の指揮で行われる予定の作戦だった。
けれど、当初の予測よりも格のあるファミリーが絡んでいたために、体面上ボンゴレも頭領である綱吉が顔を出さざるを得なくなってしまったのだ。
綱吉は、未処理のまま主人の帰りを待っているであろう書類の束を脳裏に描いて、内心で苦虫を噛むというよりすり潰したような表情になる。

伝統と格式を重んじる世界の、なんと不自由なことか!

絶え間ない爆発音や銃声が、開発途中で忘れられた小さな住宅街の廃墟に寒々しく響き続けている。

「そろそろかな」

目的だった、相手ファミリーのバックデータの奪取と、南部拠点の壊滅はほとんど100%達成された。
掃討作戦なぞせずとも、勝手に自壊するだろうことはもはや明白。

「山本」

背後からかけられた声に、雨の守護者は振り返って恭しく頭を下げた。

「ご足労をおかけいたしましたボス、どうぞ後の処理はお任せください」
「ああ」

ボンゴレ10世の顔で横柄に頷いて、綱吉は自分の目の高さにある守護者のネクタイを引っ張り寄せる。

「報告に来る前にお風呂に入ってね」

俺、におい嫌いだから。
何の、とは言わずに、綱吉はくるりと踵を返して、背後に控えていた車へと乗り込んだ。
音もなく、滑るように発車した車を見送りながら、山本は自分の鼻に背広の袖を近づける。

「そんなに臭ぇかな?」

嗅ぎなれて嗅覚なんて麻痺してしまった。
ひょいっと肩をすくめて、山本は踵を返すと、建物から姿を現し始めた自分の部下達へと目を向けた。




その夜、風呂に入ってすっきりとした綱吉は、机の上に積まれた書類に機械的にサインを書いていた。
もちろん内容も読んでいるが、執務室の上に積まれている時点で、首席秘書官のお墨付きの書類なのだから、それほど必死に読んでもいない。
それはつまり、眠くなるような単純作業でもあるわけで。

「・・・ふぁ・・・」

堪えきれない欠伸をしながら、机に張り付いていた上肢を引き剥がす。
不意に扉が開いて、夜の闇が音もなく滑り込んできた。

黒いアタッシュケースを手にしたままの、闇色のスーツに身を固めた少年。
その姿を認めて、綱吉はにっこりと微笑んだ。

「お帰り、リボーン」
「あぁ」
「直帰してくれたんだ」
「気が向いたからな」
「そう」

そのまま音もなく歩いてくる少年は、任務で人を殺してきたばかりだということを、綱吉は誰よりよく知っていた。
リボーン以外の人間に、そんなことは許さない。
彼らは必ず死のにおいを纏って帰ってくるから。

けれど。

「相変わらず、誰もいないみたいだ」
「ヒットマンに臭いがついてどうする。馬鹿にしてんのか」

気配も、臭いも、音もしない、目の前に居るのにその存在は限りなく透明で。

「んーそうじゃなくて、良いなぁって思ってさ」
「そーかよ」
「何ていうか、無味無臭?」
「・・・喰う気か」
「どっちかって言うと“空気”だね」

けらけらと笑いながら言葉で遊んで、綱吉は提出された書類に目を通す。

「もみ消す必要はなさそうだねーうん、やっぱり、リボーンに任せると後の処理が簡単だなぁ」

少年に人殺しをさせることを、綱吉は何とも思わない。
自分だって殺しているし、そもそも、リボーンは初めからこちら側の人間だ。
いまさら真っ当という名の色眼鏡をかけて、かの死神を見るつもりはない。

「じゃぁ、ボンゴレからの謝礼はいつもの口座に落としておくから。お疲れさま」

任務終了を告げながら、綱吉はちょいちょい、と少年を自分の横に手招きした。
それを受けて、眉をひょいっと上げたリボーンは、特に何も言わず元教え子の座る椅子の横に立つ。

ぎゅぅ。

「・・・何してやがる、てめー」
「ちょっと」
「・・・」

ちょっと、何なのか。
その答えを求めようかとも思ったが、黒い死神は、結局目を閉じて溜息をついた。
暫くそうしていると、椅子に座ったままの綱吉がふふっと小さく笑う。

「抱きしめてないと、リボーンがここにいるのか分かんないなんて、変だな」

リボーン以外なら、気配とか匂いで分かるのに。

「てめーは犬か」

脱力したような口調でそう言って、リボーンは、ふわふわの髪に指を通した。




君は空気。
だから、君なしで生きていくことなんて!




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鼻が良いことを悔やむ瞬間ってありますよね。