その意味は


さわさわと、草花のふれあう音ともに風が吹きすぎていく。

ぐるりといびつなドーナツ型に立てられた城の中心にある中庭からは、いびつに丸く切り取られた空が見えた。
一階は、渡り廊下やテラスがあるために、風が通れるような造りになっている。

そんな庭園の一角にある花壇と植木の間が、綱吉のお気に入りスポットだった。

ここはちょうど、城の廊下から中庭を見下ろしたとき死角になるので、仕事をサボるときの絶好の昼寝場所となるのである。
しかも、植木のおかげで風に直接吹かれることもなく、適度に心地良い。

そこに、通っていた県立並盛高校の3年間の学費よりも確実に高いであろうスーツを着たまま、綱吉はのんびりと転がっていた。




―――それならお前は死ねるのか、誰かのために死ねるのか。

ふと、頭の中を、数週間前に潰したファミリーのボスが遺した台詞が過ぎった。
潰した相手のことをいちいち記憶に留めておけるほど、ボンゴレの帝王という職は暇でも優しくもなかったから、どんな話の流れでそんな台詞が出てきたのかは覚えていない。
けれど、その言葉だけは、珍しいくらい鮮明に綱吉の脳裏にこびりついていた。



下らないと思う。
誰かのために死ぬことは。

だが同時に、とても甘美なことだとも思う。
“死”という誰もが辿り着く不変の帰結に、自分だけの意味が生まれるのだから。



だが、少なくとも、自分はそんなことが出来るような立場にはいない。
マフィアの頂点に近い場所にいる以上、己自身の生殺与奪さえままならないのだ。

全てを手にした代償に失われてしまったものの中で、“自分を殺せる権利”とは、もしかしたら最も自分を救済してくれた権利だったのかも知れないと、最近思う。



では、自分の部下達はどうなのだろう。

彼らはマフィアであることに間違いはないが、綱吉ほど立場に拘束されているわけでもない。
まあ、四六時中服の下に火薬を仕込んでいる右腕などは、綱吉のためなら死ねると、いとも簡単に言い切りそうだけれど。


そこまで考えたところで、不意に馬鹿馬鹿しくなって、思考を中断した。

自分の腹心達が、自分のために死んでくれるかどうか、なんて、下らなさすぎる。
彼らに死なれて一番後悔するのは、己なのだと知っているくせに。




「こちらでしたか、ボス」

自嘲の笑みを口元に浮かべたところで、不意に声をかけられた。
その声に視線を上げると、城で見かけるのは珍しい霧の守護者の片割れ―――というよりも本体である六道骸が腹黒さとは裏腹な優しげな笑みを浮かべて立っている。

「骸・・・珍しいな、お前が本部に顔を出すなんて」
「ええ、たまにはあなたの顔を見ようかと思って。最初は執務室を覗いたんですが」
「そう」

気のない返事で上半身を起こした綱吉の横の、花壇を囲むレンガに、骸は無造作に腰かけた。
これまた高そうなスーツを纏っているが、そんなことはどうでも良いらしい。

「どうしました、随分と物憂げな顔ですね」
「そう、かな。まあ、下らないことを考えてただけだよ」
「そうですか」

しばらく無言の時が流れ、お互いがその無言を居心地の悪いものではないと感じている間に、綱吉はポツリと呟くように問い掛けた。

「人は、何のために死ぬんだろう」

その問いかけは、答を求め無いどころか、問いかけの対象さえも必要としていない、独白のようなもので。
骸もそれを承知しているのか、一笑に付しただけで、特にそれに答えようとはしなかった。

それから、また、しばらく無言の時を刻む。




死ぬことに理由を求めるのは、生きることに理由を求めるのと同じくらい、下らなくて幼稚なことだ。

死は死であり、それ以上でもそれ以下でもない、生命の帰結である。
死は人が思うほど高尚なものでなく、死は人が思うほど絶望的なものではない。

誰もが辿り着く、不変で平等で当然の終着点。


それに意味を求めるなんて、どうかしている。


そうと分かっていても、綱吉の脳の片隅では、何のために死ぬのか、という問いが消えることなく蟠っていて。

恐らくは、人は人が思う以上に弱い生き物なのだ。
だから、いつか確実に迎えるであろう“死”という未経験の終わりに怯え、自分が納得して受け入れられるような理由を必要とするのだ。

だんだんと、薄っぺらな哲学めいた思考に沈み始めた綱吉の意識を、骸の声が現実に引き戻す。

「―――例えば、君の駄・・・忠犬なんかは、君のために死ぬと即答するでしょう。あの水の守護者はそもそも死ぬことについて考えたことはなさそうですね。生きることについて考えたことがなさそうですから。それは、理由は違えど晴れの守護者も同じでしょう。雲の守護者に至っては、自分のためと言い切りそうですね」

いつの間にか、整った貌が至近距離で綱吉を見つめていた。

ふっと手が伸びてきて、柔らかく頬が包まれる。
綱吉の太ももをまたいで膝立ちになった骸は、左右異なる二色の瞳で、澄んだ琥珀の瞳を映しこんだ。

そして、嘲笑うように、哀れむように―――祈るように言葉を紡ぐ。

「君は、君のために死ぬことは許されない。誰かのためになんて以ての外だ」

―――そんなことくらい、言われなくても分かっている。自分は組織の長なのだから。

「でもそれは、君がボンゴレのボスだからじゃありませんよ」

しかし骸は、綱吉の内心を否定する言葉を口にした。
それに興味を示して、綱吉が琥珀の瞳で見返せば、造形だけは中身と違って整っている美丈夫がにっこりと微笑む。

「君が僕のものだからです」

だから、僕の許可無く死んではいけませんよ。

君が死ぬのは、僕が許可したから、僕が君を殺したから。

それ以外の死ぬ理由なんて認めない。

「それって、裏返せば、死ぬまで側にいろって事になるのか?」
「ええ」

子供のような理由に笑いながらそう言えば、予想外に即答されて、綱吉は微かに瞠目した。

骸の瞳には、いつも浮かんでいる飄々とした光など微塵も含まれていない。
それはまるで、神に祈る信徒のような瞳。


その真剣な様子を見て、綱吉は以前に髑髏が言っていた言葉を思い出した。

『私の神様は骸様だけど、骸様の神様はきっと―――ボスなんだよ』

全く意味が分からない。

いや、髑髏―――というよりも、凪という少女にとって、骸が神のような存在だと言うことは十分理解できる。
けれど、骸にとっての綱吉は、決して崇拝の対象にはなり得ない。
憎悪と怨嗟の対象にはなり得るかも知れない

少なくとも、今の今まで、綱吉はそう思って骸と向き合っていた。

だが。

今目の前にいるのは、神に祈りを捧げるような、縋るような敬虔な信徒のごとき様相を呈している骸で。
どういった理由だか知らないが、綱吉が側にいることを臨んでいるように見受けられなくもない。

珍しいこともあるもんだ。

まるで夢でも見ているような気さえしてきた。


だって、あの骸が。
ヤってる最中でさえ、高級娼婦みたいに、口づけだけはしてこない、あの骸が。


このオレに、キスをするなんて。





―――だから君は、まだ死んではいけない。

口づけの最中にそう囁かれた瞬間、何かに引っ張られるような感覚を覚えて、綱吉は目を開いた。
そこには、先ほどと同じように骸の顔があったが、その背後には青い空も見慣れた城壁もなく、清潔な白い壁と消毒液の臭いだけがある。

さっきまで、自分は城の中庭にいたんじゃなかったのか。

状況がつかめず呆然としている綱吉に、ベッドに乗り上がり、綱吉の頭の左右に手をついていた骸が、先ほどと同じようににっこりと笑って口を開いた。

「おはようございます、ボス」

まったく意味が分からないと思ったのは、綱吉にとっては本日二度目のことだった。

混乱している綱吉の上から骸が退いたのと同じタイミングで、複数の足音が聞こえた。
やがて扉の開く音がする。
何故か首が動かせないので、目だけでそちらを見やれば、神妙な、けれど安堵した様子のボンゴレの主要幹部が勢揃いで。

「一体何が起きたんだ?」

綱吉が思わずそう呟いてしまったのも、致し方のないことなのだろう。




話しに寄れば、数週間前の抗争時に、ボスを潰しにかかっていた綱吉目掛けて、爆弾を抱えた敵対ファミリーが特攻してきたのだそうだ。
それをかわしはしたものの、爆発の衝撃までは避けきれず、爆風に煽られて壁に叩きつけられそのまま、現在まで意識不明の昏睡状態だったらしい。

そして、そんな状態の綱吉を、このままでは埒があかないと判断した元家庭教師が、精神介入の出来る骸を招集したのだという。

では、先ほどまで見ていたものは、夢―――というか、三途の川の一歩手前か何かだったのだろうか。

「てめぇが死にかかってたことに気付かねぇなんて、鍛え方が足りなかったようだな」

起きて早々に、そんな血の気が引くような最強のヒットマンの言葉を皮切りに、主要幹部達からも喧々囂々と見舞いの言葉とも罵声とも、安堵のため息とも取れるような言葉が押し寄せてくる

綱吉が、それを受け止めているのに必死になっている間に、病室から骸の姿は消えていた。


fin.


眠い時に文章を書くと、取り留めのない話しかけないという、代表例。
ムックにとってツナは神様みたいな存在だと嬉しい(何。


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