需要と供給


時々、彼はやって来る。

そう言えば、月のない夜が多い。
彼がやって来るような気がする日、俺は誰も寝室に入れない。
その理由を、あの鋭い元家庭教師などは看破しているらしく、特に何も言わずに部屋を出て行った。

そして、寝る準備を整えて灯りを落とし、寝室の大きな窓の鍵を開ける―――普段は防犯上決して許されないけれど。


やがて、風の音がしたと思う頃には、カーテンの波の間に、彼が立っている―――。

「・・・」

大抵は無言で、俺が呼びかけるまでは、決してその場を動かない。

「来る気がしたけど、ホント、俺の超直感は貴方に対して敏感みたいだ」

そう言って手を差しのばせば、彼は素早く窓を施錠して、足音を立てずに俺の傍―――ベッドの側まで歩いてくると、俺の前で両膝を折って、座っている俺の腰に腕を回し、胸辺りに頭を寄せてきた。
俺は、そんな彼の羽根飾りの付いた頭をかき抱いて、闇と同化しそうな黒髪に口づけを落としていく。

まるで、儀式のようだ。

どちらの行動にも、祈りに似た何かが込められていて、愛情や恋情のようなどろどろとしたものとは一線を画した、澄んだ気持ちでお互いの行動を受け止めている―――ような錯覚を、俺はいつも抱いた。
実際、彼と俺とは性交渉に至ったことはないし、だからこの行動は、どちらかと言えば、野生動物が傷の舐め合いをしているようなものなのだろう。




彼が部屋にいる間、2回以上会話が報復することは珍しい。
俺も彼も殆ど無口で、喋っても、Yes, Noの簡潔なものだとか、二言三言の言葉の遣り取りしかしないからだ。

―――むしろ、言葉なんて無粋なもので、この空間を邪魔されたくなった。

恐らく、彼も俺と同じように考えているのだろう。

二人で、キングサイズのベッドに倒れ込んで、透明な雰囲気を味わいながら、静謐な闇の音に耳を傾ける。

仰向けに寝た俺の胸元には、相変わらず彼の頭が寄せられていた。
俯せた彼の腕も、まだ俺の腰に回ったままで。

彼は俺よりも10数cm高いから、これがシングルサイズのベッドだったなら、確実に下から足がはみ出していただろう。
その様子を思い浮かべて、無意識に口元が緩んだ。

意外に可愛いかも知れない。

―――なんか、今日は甘やかしたいな。

そう思った俺は、胸に置かれた少し固い黒髪に手を置いて、ゆっくりと動かす。
彼はプライドが高いから嫌がられるかと思ったけれど、俺の為すままに任せていた。

―――もしかしたら、俺が甘やかしたいと思うように、彼は甘やかされたいと思ってくれたのかも。

彼の様子を勝手に解釈して、俺は頭を撫でる手を一層優しいものにした。



彼は、ボンゴレの影として暗躍する部隊の統括者だ。
ボンゴレの主である俺は、当然何度も、彼らに―――表に出せない(裏社会であるマフィアの世界に表も裏もないが)汚い仕事を任せた。
中には、命じた俺が言うのもあれだが、目を覆いたくなるような理由の殺しだってあった。
そして、こう言ってはなんだけど、彼らがそんな任務を平然とこなしていることだって知っている。

彼らは、生まれた時から闇の世界で生きてきているのだ。
途中参入の俺なんかとは、覚悟が違う。

殺すことに、誇りを持っている節さえあるのだから。

もちろん、俺だって、綺麗事だけじゃマフィアなんかやってられないことぐらい分かっている。
自分の手が血に穢れていないなんて言えるほど、現実逃避はしていない。


だけど、だからこそ思う。

こうして、無防備に全てを晒している彼と、酷く冷徹で残酷な彼は、彼という1つの個性の中でちゃんとそれぞれ成り立てているんだろうかと。

時々彼は、驚くほど幼い一面を垣間見せるから。
どちらかといえば、“幼い”と言うよりは、“未発達”と表現した方が的確かもしれない。

生まれた時からマフィアの世界の、さらに深い闇の中で育って、深い憎しみと憤りを抱いたまま眠りについて。
血と暴力にまみれた日々を送りながら、彼は確かに最強だった。
俺よりも、ある意味ではボスに相応しかった。


だけど、それでも人間なんだ。


始めて出会った頃は、そのあまりに凶悪な雰囲気に呑まれて分からなかったけど、彼は極悪非道であっても無情な人間ではない。

―――・・・まあ、極悪非道なことが本当に否定出来ない事実なあたり、かなり人として嫌な感じだけど。

それでも、自分の感情をどう表現して良いのか分からなくて、戸惑いながら微かに焦っているのも、本当の彼だ。

イタリアに来て、何度か彼と対面しているうちに、俺はそれを実感した。

初めは、やたら無言で見つめられたり(睨まれているのかと思った)、廊下などですれ違う時突然腕を引っ張られたり(とんだ粗相でもしでかしたのかと焦った)、用もないのに名前を呼ばれたり(発音練習か何かと訝しんだ)と、その不可解な言動に首を傾げた。
けれど、それに慣れる頃に、やっと俺は理解した。

―――俺、もしかして気に入られてる?

この、誰かに聞かれたら自惚れるんじゃねぇと突っ込まれそうな思い込みは、出所不明の自信によって俺の中にしっかりと根付いた。
(俺は、自分がダメツナから脱却して、イタリア最大級のマフィアのボスなんてやるには、過剰なくらいのポジティブシンキングぐらいが調度良いと思っている)

そんな思い込みと共に彼と接してみると(見つめ返して微笑んでみたし、引っ張られた腕も振り解かなかったし、呼ばれる名前に何度も律儀に返事をした)、段々と彼の方も自分の感情をどう表現したらいいのか分かってきたらしい。


今では、“甘える”という技術までマスターした。


まるで幼子が親から学んでいくかのようなその様子は、日頃の有能で冷酷な彼の姿からは全く想像も出来ないものだった。
少なくとも、俺は、彼の酷薄な態度は彼の性格によるものだと思っていたから。
いや、もちろん、彼の性格にもかなり問題があるのは分かっている。

けれど―――まさか、自分の感情をどう表現したらいいのか分からない人なのだとは思わなかった。

それに気付いてから俺は、もっと彼の言動に注意を向けるようになった。
そして、彼が何を求めているのか、何を知らなくて焦れているのかを考えた。

それこそ赤子を見守る母親のように。



その結果が、今俺の胸の上に居る彼なのだとしたら、それこそが俺にとっての救い。
―――こんな俺にも、まだ、誰かに何かを教え、与えることが出来たという。



だから

俺と彼との関係は

需要と供給が見事に合致した

ある1つの具体例なのだ。



そう、だからこそ、この関係に破綻は無いだろう。

少なくとも、俺が彼の手を離さない限りは。
少なくとも、彼が俺を必要とする限りは。




闇の中で、仄かに暖かい体を抱いて、意識がとろとろと溶けていく。
俺はその微睡みに身を任せながら、吐息のように囁いた。

「―――ザンザスさん、俺、あなたが大好きです」
「―――」

俺はきっと、この言葉を何度でも言うだろう。
彼が自分の言葉で応えてくれるまで。


その時は、そう遠くないような気がした。


fin.


ザンツナも依存しあってますが、リボツナとは正反対の依存だと良い。
ドロドロしてるんじゃなくて、真っ直ぐな依存。


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