変化



「ふぅ・・・」

機器の機動音だけが響いていた部屋に、気鬱に満ちた吐息が零れた。
打ちっ放しのコンクリート壁で築かれ、その中央には5台のPCがハルを取り囲むように並べられている、ボンゴレファミリーの頭脳の中心地。

その部屋の真ん中で、体操座りをして椅子をクルクルと回しながら、彼女はPCキーボードの、最後の決定打を押せないでいた。

このエンターキーを押せば、ボンゴレに名を連ねる者の末端にまで、ボンゴレ幹部であり、雨のボンゴレリング継承者 山本 武 の反逆及びその抹殺が正式なボンゴレの意思として通達される。

「はひぃ・・・」

はっきり言おう。
ボスの―――ハルが最も愛する綱吉の命令であっても、今回ばかりは承服しかねる。

確かに、山本はボンゴレに背いた。
それは否定しようのない事実だ。

―――だが

一体何故裏切ったのか。

あの、綱吉を誰よりも想っている男が。
きっと、綱吉の為に全てを捨てられる男が。

「・・・はぁ・・・」

「―――三浦」

「はぃ?」

ハルの憂鬱な溜め息しかなかった地下室に、不意に、第三者の涼やかな声が響いた―――。





雑踏に紛れ、薄汚れた雰囲気の漂うブラジルのスラム街。

誰かの吐瀉物や、クスリで飛んだまま還ってこなくなった者、酒に溺れた人間などが、あちらこちらに転がっている。
むしろ、酒に溺れた者よりも、明らかな薬物中毒者の方が絶対的に多いのが印象的だ。

そんなスラム街の路地裏を、場違いなくらい上質なスーツを身に纏って優雅に歩く男が一人。

周囲から寄せられる好奇の目線などお構いなしに、その足取りは迷い無く先へと進められていた。

やがて目的地に辿り着いた男は、申し訳程度に外界と室内を隔てているトタン板をずらして、饐えた臭いの充満する薄暗い部屋へと音もなく足を踏み入れる。

「Boa noite. Meu nome e Heven.」

にっこりと、人好きのする柔和な笑顔を浮かべた男は、流暢な現地の言葉で部屋の暗がりに声をかける。
その声をかけた先には、煤けた毛布を体に巻き付けた人影がうずくまっていた。

「E o senhor “esperanca”?」
「・・・Esperanca・・・」

男―――ヘブンの言葉に、虚空を彷徨っていた人影の瞳が入り口へと向けられた。
そして、ひび割れた唇を開いて、掠れた声で茫洋と呟く。
その反応に満足したらしいヘブンが整った口元で弧を描いた。

「Sim, eu estou procurando “Haven’ s Gate”. E voce sabe onde “Haven’ s Gate” e ?」
「・・・”Haven’ s Gate”・・・Eu ouvi um nome velho bom agora・・・」

どこか愉快そうな声でそう言って、襤褸を身に纏う人影はゆらりと起ち上がった。
その、長いこと手入れされていなかったであろう、伸びた前髪の下からのぞく瞳には、先ほどまでとは趣を異にする光が宿っていた―――。





最近、イタリア最大規模のマフィア、ボンゴレファミリー構成員の暗殺が相次いでいる。
殺された誰もが、一発で心臓を撃ち抜かれ、即死していた。

殺されたのは、ボンゴレの中でも幹部に近い者から、弾避けに使われる下っ端まで、身分問わずの男女13名。
そして彼らには、ボンゴレファミリーの構成員であるという共通点以外、他に何の接点もない。


―――誰の目にも明らかな、死に瀕した現代のゴッドファーザー、ボンゴレ10世への挑発行為だった。

「随分と、煽られたもんだね」

自身の右腕からの報告を、病床に上体を起こしながら受けた綱吉は、随分と華奢になった腕を組んでどこか他人事のようにそう言った。

「それで?目星はついているの?」
「いえ、それが・・・」

殺されたファミリー達は、皆一様に、夜間一人で入る時を狙われた。
目撃者どころか、銃声を聞いた者さえいない。

「・・・そう。―――ふぅ・・・悪いけど、大至急リボーンに連絡を取ってくれる?どんな手段を講じても良い、ドン・ボンゴレが許す。36時間以内にここにリボーンを連れてきて」

面目なく項垂れた右腕をしばらく見遣った後、綱吉は薄くなった肩をすくめてかつての家庭教師の名を口にした。
いや、口にしたと言うより、連れてくるようボンゴレ10世として命令した。

そんなボスに、獄寺の灰白色の瞳が僅かに大きくなる。

綱吉は、元家庭教師であり世界最強のヒットマン リボーンと袂を分かってから、今日まで一度たりともその名を口にしなかった。
まるで、家庭教師に依存していた自分への戒めか、はたまた何かの願掛けのように、決して、かつて依存していた家庭教師を呼ばなかったのである。

それが―――・・・。

「はい、拝命致しました、ドン・ボンゴレ」
「うん、悪いね、無茶を言うけど」
「いいえ、それがあなたの望みであるなら」

例え、世界のどこにいるかも知れない引く手あまたの最強の殺し屋を、1日半で見つけ出せと言われても、それが綱吉の命令ならば、獄寺は必ず応える。
綱吉の命に従うことこそが、彼にとって唯一絶対の存在意義なのだから。

「ああ、それと」

恭しく頭を垂れた獄寺に、日だまりのような温かい笑みを浮かべて、マフィアの帝王は注文を付け加えた。

「恭弥さんを呼んできて」
「雲雀をですか?」
「うん。聞きたいことがあるんだ。―――色々と、ね」

にこやかなドン・ボンゴレの口元に、含みのある影が一瞬だけ閃いて、すぐに霧散する。
それを見て、獄寺は微かに眉を寄せた。

本当にマフィアかと疑いたくなるほど穏やかな彼の主人がこんな表情をするのは―――何かについてとんでもなく腹に据えかねた時だけ。

あの雲雀が、こんなにも綱吉の逆鱗に触れることをするとは思えないのだが。

「はい、わかりました。すぐにでも呼んできます」
「ありがとう」

あの鳥ヤロー何したんですか。

ボンゴレファミリーの幹部としてマフィアの世界で恐れられるスモーキーボムに、そう二の句を告がせないほどの迫力が、病床に伏せるドン・ボンゴレにはあった。


珍しく何も言わず素直に退室した獄寺を見送って、綱吉は静かに溜め息をついた。

自分の周りには、勿体ないほどに有能な部下がたくさんいる。
それは獄寺であったり、ハルであったり、その他の部下達もそうだけれど。

あの雲雀や骸は別格だ。

綱吉が御せていないと言うわけではないけれど、どうも自分の裁量で動く癖がいつまでも抜けないらしい。
自己判断出来るのは良いことだが―――。

「俺(ボス)の意思に反したことをするのはどうかと思うよ、ホントに」


個性派ぞろいの部下に囲まれたマフィアのボスの、怒ったような諦めたような複雑な呟きが、光の降り注ぐ寝室に響いた。




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