人は真っ直ぐに生きれるか。


「ねぇ、私、妊娠したの。あなたの子よ」

この台詞が、裸のランプが揺れる、すきま風の入るような粗末な部屋で言われたものだったのなら、もっと感情が揺さ振られたのだろうか。
そんな味気ない思考を回しながら、俺は豪華なシャンデリアに負けぬ程の美貌を見やる。

そこには、こちらを伺うように、切れ長の深緑の瞳がゆらゆらと揺らめいていた。
きれいだな、とごく自然な感想が浮かんで、次いで、彼女に似た子なら可愛いだろうとも思う。
俺の反応が薄いことが気に入らなかったらしく、意志の強そうな眉が跳ね上がった。

「聞いている?」
「あぁ、聞いているよ。今、何ヵ月なんだい?」
「2ヶ月ですって」

自分の子じゃない、なんてことは始めからわかっていた。
それでも、俺の呑気な頭は子供がいたらという無為な夢想をしてしまって、そんな自分に知らず失笑していた。

「喜んでくれるの?」

俺の笑いをどう受け取ったのか、豊かなプラチナブロンドの女性は安堵の笑みを浮かべる。
さすがに、1カ月半ずれた妊娠を俺が信じるとは思ってなかったらしい。

それなら、月を誤魔化せば良いののに。
そうすれば、俺ももう少し騙されてあげたのに。
まぁ、数ある彼女の愛人の中で、俺に一番甲斐性があると見込んでくれたのは嬉しいけど。

「うん、ありがとうマリア。その子がボンゴレ継承の証を持って生まれようが、生まれまいが、最低限の生活を送れるように援助するよ」

俺の鍛えぬかれた表情筋が、ほとんど反射的に人当たりの良い柔らかな笑みを形づくる。

「本当!?」
「もちろんだよ、たとえその子が黒髪に翡翠の目をしていても」

安堵と、安易に騙される男への侮蔑の混じった笑顔が、その一言で凍り付く。

愛すべきお馬鹿さん。
そんな君の愚かさが、俺にとっては愛しかった気がするのだけれども。




あくまで気がするだけだったようだ。




可哀相な女性の豪勢な居城から帰宅して、馬鹿でかいベッドに身を投げる。
先ほどいた部屋など比較にならぬ贅の尽くされたそこは、俺がかれこれ十年ほど寝起きをしている場所―――ボンゴレを統べる王の居室。

十年もあれば、寒々しい、身の置き所に悩む程の広い空間にも慣れるものらしく、俺の目蓋は徐々に下がっていく。

今日はもう何の仕事も入ってなかったはずだ。

そう思って、俺は目蓋の裏の闇に、とろとろと虚脱感にくるまれた意識を溶かしていった。
だが、半ば溶けかけていた俺の意識は、ふっと部屋に生じた気配によって半強制的に現実へと引き戻された。
昔は気配なんてものがあることさえ気付かなかったっていうのに―――今の自分を哀れむべきか誉めるべきかで、寝ぼけた頭は数瞬悩む。

「ボス」
「りょーへぃさん?」

明かりを落とした部屋に響いた声は、自分がよく知る気配だった。
だから俺は、寝転がったまま無意識にとっていた戦闘態勢を解除する。
それとともに発した寝呆けた声は、大事な守護者の苦笑をかったらしい。

「ボス、至急の報告だ」
「みたいですねーこんな夜中に了平さんが来るくらいなんですから」

もぞもぞと起き上がって、枕もとのスタンドライトをつけた。
守護者達は、殆ど光源がない状態でも平気で歩いて食事なんぞもしているが、俺にそんな野性味溢れた視細胞は備わっていないので、人工の明かりに頼るにかぎる。

柔らかなオレンジ色の明かりに照らされたのは、先ほどまで俺の警護についていた晴れの守護者、笹川了平。

それほど時間がたっていないからか、さっきと同じように見慣れた黒いスーツにノーネクタイの姿で立っていた。

「どうしたんですか?」
「マリアが死んだ」
「・・・1時間ほど前に会った記憶があるんですけど」
「ボスがマリアの自宅を後にした15分後に」

随分と手際の良い殺しだな、と思いながら、俺は頭をどんどん覚醒させていく。

「押し入り、ですか?爆破なんて目立つやり方なら、俺でも気付く」
「そのようだ。詳しくはまだ調べがついていないが」
「目的は?」
「―――“ボンゴレの跡継ぎを身篭った”と数日前から周囲に吹聴していたらしい」
「・・・馬鹿な子だね」

そんな、自ら断頭台に首を洗って投げ出す愚を犯すなんて、本当に馬鹿な子だ。
内心で哀れみとも嘲りともつかぬ独語を吐いて、こちらを真っ直ぐに見ている守護者と目を合わせた。

「わかった。確か彼女は身寄りが無かったはずだから、俺の口座から葬式やら事後処理やらの費用を出して。あと、俺の予定の調節もお願いします」
「わかった」

今、俺の主席秘書をしている恭弥さんは別件で国外任務に当たっているし、事務処理の得意な獄寺くんもイタリアから遠くアメリカに出張中。
そして、目の前に了平さんがいるのに、ここで山本や骸に頼むのも妙な具合だ。
だから珍しくも、完全に実戦部隊向きの了平さんに秘書官の仕事を与えた。

―――俺が秘書としての仕事を、了平さんに意図的に割り振らない様にしているのにはワケがある。
もちろん、了平さん自身が事務関係の仕事に向いていないというのも理由の一つだけど・・・何と言うか、頼みにくいのだ。
彼は確かに直感で生きている節があるが、だからと言って、頭が悪いわけではないので、頼めば他の幹部達と変わらない事務処理能力を発揮してくれる。
けれど、マフィアの事務処理なんて、世間に顔向けできるような真っ当なものは殆どないに等しい陰惨な仕事だ。

それを、明朗快活を体現しているかのような晴れの守護者にやらせることに、何の抵抗も感じないほど俺の感性は死んでいない。

今だって、了平さんのどこまでも真っ直ぐな瞳は、俺を突き刺している―――ように感じてしまうほどには、俺の感覚はいい感じに自分の卑劣さを自覚しているらしい。

いや、だって、さすがに、自分の子を妊娠したと自己申告していた愛人が死んで、何とも思わないのってどうなの俺。
まぁ、自分の子じゃないのが明白だったっていうのも、俺の子だって詐称して申告してきたっていうのも、俺の気に障っていたとしても、だ。

了平さんは、俺がそんな根暗な思考をくるくると回している間も、濁りの無い真っ直ぐな瞳で俺の次の指示を待っていた。
それを見ているうちに、俺の自己嫌悪は段々と外に出口を求め始める。

「了平さん」
「どうした」

俺の口調が指示を出すものではないことを敏感に察して、迷いの無い言葉が打てば響くテンポで返って来る。

「俺、自分の子どもができたって聞いても嬉しくありませんでした。それが嘘だって知っていたから。彼女が死んだって聞いても悲しくありませんでした。俺は彼女を愛していなかったから」

俺の今抱えている自己嫌悪の正体は、簡単に言えば、そう言うことだ。
言い終わると、俺の思考に場違いなくらい心地の良い、爽やかな風が吹き込む。
―――神に人々が懺悔するのは、別に神に許されるからではないのだろうと、不意に思った。

了平さんは、俺の唐突な台詞を、相変わらず真っ直ぐな姿勢と瞳で受け止めて、簡潔に答えた。

「そうか」

本当に、笑ってしまうくらい簡潔に。

その答えからじゃ、俺に対する了平さんの感想は何一つ伝わってこない。
俺はいつも、俺から恐らく一番かけ離れた立場に立つ(だってそうだろう、俺は彼みたいに真っ直ぐ生きることなんて出来なかった)了平さんの考えていることが分からない。
―――というか、他人が何を考えているか、なんて分かるはずもないので、予想がつかない、にしておこう。

「俺って、最低ですかね」

仕方がないので、直接聞いてみることにした。
こんなことを素面で訊くあたり、俺の頭も相当キているようだ。
ちなみに、そんな俺の問いに対する答えも、これまた簡潔を極めた一言だった。

「知らん」

それもそうだ。

「ですよね」

俺の独白に、了平さんが共感しえる事象などどこにも含まれていないに違いない。
そうして、当たり前といえば当たり前の回答に笑って、俺の口はそのまま了平さんに退室を許す言葉を紡ぐ筈だった。

了平さんが、俺の両腕を押さえ込んで押し倒さなければ。

「・・・了平さん?」
「ボス・・・いや、沢田。お前が俺をどういう人間だと勘違いしているかは知ってるし、俺は基本的にそういう人間だ。だがな」

すっと、了平さんの顔が、鼻先が触れ合うほどに寄せられて、俺はその強い視線から逃れるように目を泳がせた。
ちなみに、身を捩じらせても、上手い具合に体重をかけられているからかピクリとも動かない。

おおっと、ちょっと待て、さすがに俺も男に押し倒されたのは初めてなんですが。

そんな俺の内心のパニックには関知しないとでも言いた気に、了平さんの言葉は続いた。

「だがな、俺は、あの女がお前の子どもを身篭ったと聞いて喜ぶどころか殺意を抱いたし、あの女が死んだと聞いて悲しみなんぞ微塵も浮かんでこなかった。何故だか分かるか」
「了平さん・・・」
「それは、俺がお前を好きだからだ。独占したいと思い、めちゃくちゃにしたいと思っているからだ」

その言葉に驚いているうちに、軽く唇が触れ合って、了平さんは押し倒したのと同様に唐突に離れ、呆然とベッドに倒れたままの俺を置いてあっさりと退室してしまった。
部屋には、静寂と、天井を見上げて固まった俺が残される。

だが、その静寂は俺自身の笑い声で破られた。
いつしか俺は、体を曲げて大笑いしていた。

だって、あの了平さんが。
あの、真っ直ぐな了平さんが。

あんな煩悩まみれの人間臭いことをいうなんて!

「あははは、あーおかしい。なんだ、了平さんも、俺とおんなじ、フツーの男だったんだ」

このときの俺の思考回路に、普通の男は同姓に劣情を抱かない、なんて常識は組み込まれていなかった。
ただただ、彼がそれ程自分と違わないことが哀しくて、それ以上に嬉しかった。

「にしても趣味が悪いなぁ、こんな俺のどこが良いんだ?」

一頻り笑った後の俺の中に在ったのは、了平さんへの興味と好奇心。




真っ直ぐな存在なんて、面白くない。
捩れた人間を理解できないから、懺悔にはもってこいだけど。

そんなものの、何が楽しいんだ?




fin.


10年後の了平さんがカッコいいという噂に便乗・・・し損ねました。
結局何が言いたかったんだ、この話orz


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