箱庭の楽園 <知を得たる者の嘆き> 焼けて、千切れとんだ彼らは、人の形をしていなかった。 それくらい損傷が激しい状態で、無傷な螺旋の箱庭を採取できたことは、奇跡だっただろう。 国の機密コードを織り込まれた螺旋は、それでも原型を損なうことなく順調に発生した。 ―――その結果を期待して行われる予定の実験だったのだから、ある意味では実験は成功だった。 現場の総指揮者が、試験管ごと姿を消さなければ。 「―――・・ボーン、リボーン?どうかしたの?」 大きな琥珀色の瞳が、膝から不思議そうに見上げてくるのを見て、教師はふっと意識を現実に引き戻した。 気付けば、綱吉の頭に手を置いたままぼんやりとしてしまっていたらしい。 それを把握して、リボーンは誤魔化すように、膝の上で寛いでいる少年の髪の毛を乱暴にかき回す。 「わっちょっと何すんのー!恭弥が毎日梳かしてくれてるのにー!」 綱吉は、そんな乱暴な扱いに文句を言いながら、膝に乗せていた上半身を起こしてソファに座りなおした。 そして、大して変化のない髪(少なくともリボーンの目から見れば)を一生懸命に手で直し始める。 何でも、少年と同室の青年は、自分が梳かした後に誰かの手が入るのを嫌うのだとか。 「大して変わんねーぞ、ツナ」 「変わってるよ!リボーンの目に見えてないだけだよ!!」 わしゃわしゃと、納まりの悪い髪に指を通す少年を笑って、リボーンはソファから立ち上がった。 窓の外は既に青磁から群青を超えて濃藍に変わろうとしている。 「ツナ」 「なに、リボーン?」 <なぁに、リボーン?> 呼びかけに応えた少年の声は、聞き違えるはずも無いほど聞き慣れたものだ。 それなのに、どうして耳の奥で似て非なる声が木霊すのだろう。 問い掛けただけで沈黙してしまった教師に、綱吉はこの上もなく不服そうに眉を寄せて立ち上がると、まだまだ高い位置にある男の顔を両手で挟んで自分の方へ強引に向けさせた。 「な、あ、に、リボーン?」 「・・・何すんだツナ」 神々が作り出したような美貌を顰めて、自分の顔を押さえつける少年の手をとる。 「だって、先生がじゃなかった、リボーンが呼んだんだろ?」 「―――何でもねーよ」 「嘘付き」 その言葉に、すぅっと無邪気な瞳が眇められ、両手をリボーンにつかまれた格好のまま、少年は漆黒の瞳を見上げた。 それとは反対に、男の漆黒の瞳は逸らされる。 けれども、綱吉の唇は閉ざされること無く滔々と言葉を紡いだ。 「良平の左足がニセモノであるように、恭弥の右手がニセモノであるように、骸の右目がニセモノであるように・・・―――俺や武や京子や凪は、ニセモノじゃないか。ねぇリボーン、誰を呼んだの?誰の名前を呼んだの?誰の声を聞いたの?誰の声が聞きたかったの?誰を―――」 「黙れ」 「誰を、求めていたの」 「お前だ、ツナ」 「嘘つき」 ふわりと無邪気に浮かんだ笑顔は、確かに13年前と変わらないはずなのに。 完全に同じ起源、同じ遺伝子情報を持つ存在が、全てにおいて同一の個であり得るか。 答えは―――否。 それをよく知りながら、それでも天才と謳われた男は、諦め切れなかった。 一度知った温かさを。 一度得てしまった楽園を。 あの日、 雲一つなく晴れ上がった昼下がり、 空から降ってきた焦土の悪魔によって 右目を潰された少年が、 右腕を奪われた少年が、 左足が千切れとんだ少年が、 息絶えてしまった4人の幼馴染みの再生を願ったように。 夜の深まった森の中、国の追っ手を蹴散らかす年長の幼馴染達を見て、綱吉は悲鳴を上げた。 彼らが何をしているのか、全く理解できなかった。 彼はただ、夜な夜な消える幼馴染みや助手、そして教師の姿を、恋しがって求めていただけに過ぎない。 だから、夜に部屋を抜け出して、決して出てはいけないといわれていた学校の門を潜ってしまった。 そして見てしまった。 見慣れた大好きな教師が、慣れた動作で人を殺す、その瞬間を。 「嘘つき、嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき・・・!!!」 何を詰っているのか、きっと少年本人も理解し得ないだろう。 筋肉が強張った細い腕を引いて、華奢な体を抱きしめてやりながら、リボーンはきつく目を閉じて、腕に力を込めた。 やがて綱吉の気管から異音を聞き取って、男の大きな手が少年の背を宥めるように上下する。 「落ち着け、ゆっくり息をしろ」 ひゅー、ひゅー。 綱吉の、狭まった気管を通る空気の音が、部屋の静寂を許さない。 「なん、で・・・なんで、好きに、なっちゃったんだろ」 遥か虚空に瞳を彷徨わせたまま、綱吉は呆然とした口調で呟いた。 そして次の瞬間には、背を丸めるほどに激しく咳き込んで、膝から床へ崩れ落ちる。 華奢な体を支えてソファに座らせながら、リボーンは首に回った少年の腕をそのままに、床へ膝を突いた。 さながら断罪を待つ咎人のごとく。 やがて咳の納まった少年は、疲れたように男の肩に上体を倒して目を閉じた。 「ねぇ、前の―――俺も、リボーンが好きだったの?」 「さぁな」 「前でも、十分おじさんだっただろうにね」 「―――奇特なヤツだからな、お前は」 今も昔も、こんな俺に懐いて。 リボーンの内心の自嘲を読み取ったかのように、綱吉はフルフルと弱く頭を振って、広い背中に腕を回す。 そして砂糖菓子のように甘く優しい声で、囁いた。 「俺は、リボーンが好きだよ」 「そうか」 「でも嫌いだ」 「ああ」 「だって、俺は、リボーンの言葉が信じられない。リボーンが俺を好きって言っても、俺は信じたりしない」 だって俺は、もう一人の俺がいたことを知っている。 ―――ただ安らかに、ただ健やかに、大きくなぁれ 4つのコード。 螺旋の迷宮に隠された、楽園への鍵。 ―――何も知らず、何も気付かずに、幸せであれ 4人の子ども。 焦土の悪魔に消し飛ばされた、哀れな犠牲者。 ―――誰からも害されず、誰からも汚されずに、ただ無邪気に 嗚呼、全ての生ける者達が10μmの箱庭から放たれることなどありえない。 Next Back |