汝、希求せよ 「千年前、混沌の化身によって引き起こされた戦を、最小の犠牲で平定した英雄王。暴走する人心を掌握し、憎み殺しあう人々を大陸ごと別ち、西の民達へ援助をし続けた王の末裔。―――貴方は、千年の間に西の民達が歪んだ歴史に洗脳されていったことを、混沌の化身に再び唆されていったことをご存知だ。今や、七柱の神々の声さえ彼らには届かない」 滔々と語られる臣下の言葉に耳を傾けながら、英雄王の末裔は皮肉げに整った口元を歪めた。 「英雄王は、多数を残して少数を叩き出しただけだけどね。その罪悪感に一生苛まれ続けて、罪滅ぼしとして西の大陸に援助をしていたに過ぎない。東の民だって、歪んだ神話と歴史に洗脳されているのに変わりは無いよ、内容が正反対なだけで」 「統治者にとって都合の良いように書き換えられる、それが歴史です。それによって支配者は民を統べる大義名分を得る。―――まぁ、今、そんなことを論議しても仕方がありませんけど」 そう言って肩をすくめながら苦笑した綱吉は、話を戻しましょう、とでも言うかのようにひらひらと手を振った。 それを受けて、雲雀は口を開く。 「僕が知っている限りの情報で推測するならば、千年前、東の民を唆して西の民を虐殺させた混沌の化身が、今度は逆側で同じことをしようとしている、ということになるんだけど」 「えぇ、だいたいそんな所です。史実にもあるように・・・史実の表現では神の加護となってますけど、混沌の化身と契約を交わした人間は常軌を逸した強さを得る―――自我と、引き換えに」 それが普通の人間ならば、それだけで済む。 しかし。 「七柱の神々の末裔は、その限りではなかった」 綱吉の言葉を引き継ぐように、雲雀は言葉を紡いだ。 すると、今まで特に変化の見られなかった臣下の表情が翳り、その後ろで沈黙していた獣から微かな殺気が立ち上る。 「さて、どうしようかな」 一人と一匹の変化を愉快そうに眺めてから、雲雀はその視線を宮殿の外へと向けた。 ガラス扉の先、大きなテラスの下に広がる砂漠の中に築かれた水の都。 白亜の石を切り出して作られた街並みは、砂漠の強烈な日差しを受けて眩いほどに輝いている。 その眩しさを、随所に植えられた街路樹や緑地の鮮やかな緑や、都市全体に張り巡らされた水路による瑞々しさが、柔らかく抑えていた。 大陸に名をとどろかせる、美しい都。 彼がこの世の何より誇りとする場所。 宮殿を中心に、都の東西南北を貫く大きな通りでは、週末ごとに持ち回りで大きな市が開かれる。 今日は東の大通りで市が催されているため、玉座に座っていても、大通りを歩く人々の様子がよく見えた。 常日頃よりも活気がなく見えるのは、雲雀の思考に翳りがあるからなのか、それとも民達の心に暗雲の影が忍び寄っているからなのか。 「混沌の化身―――紅蓮の瞳と蒼穹の瞳の、世界を憎む者」 都に視線を向けたまま、歴史の表舞台に隠れた、人々の心の闇に潜む傀儡師を形容した雲雀の表情が、忌々しそうなものへと変わる。 彼の遠い祖先の討ち逃がした、傍迷惑な愉快犯。 彼を殺すことはできない。 彼は人ではない。 ただの思念。 ゆえに不死。 英雄王の末裔が継承する宝剣“世界の番人”以外に、彼をこの世界から排除することはできない。 「彼は、いつの間にか僕達の中にいました。誰も、彼が誰なのか、どこから来たのか、なんて知りません。そんなことさえ思わないほど、彼は自然に僕達の中に紛れていました」 ポツリと小さく呟いてから、綱吉は考え込むように口を閉ざす。 本当に、何の違和感もなく、あの男はいつの間にか族長の横にいた。 今も、西の民があの男について何かを考えることなど無いに違いない。 その可能性のあった氏族の人々は、皆、あの男によって殺されるか、綱吉や隼人のように西の大陸からはじき出されてしまった。 七柱の神々に最も近いとされた七氏族。 混沌の化身に唆された西の民が、その手で封じてしまった七柱の神々を守る一族。 彼らは、神々との繋がりが強かったゆえに、混沌の化身の眷属に堕ちることができずに発狂した。 ただ、歯車の狂う速度は緩やかで、常軌を逸脱するまで誰もそのことに気付けない。 あの夜だって、何も変わったところなんか無かった。 『ツっくん、そっちのお皿下げちゃってね』 『あ、うん。ほら、隼人、いつまでにんじんでごねてるの』 『・・・うぅ〜』 『うぅ〜、じゃない。10歳になるだろー?俺だって』 『ツっくんの場合、にんじんじゃなくてピーマンだったねぇ』 十分な油の供給されていないランプからは、弱弱しい光しか生み出されない。 それでも、そのランプに照らされている古びた食卓には、明るく暖かな空気が満ちていた。 今年で10歳になる隼人を真ん中に、6歳上の綱吉が隼人をからかい半分にせっついて、5歳上の京子が終わった皿を片付けながら茶々を入れる。 いつもの食卓、いつもの会話。 既に日の落ちた外は暗く、時折吹く風がひび割れた窓ガラスを揺らして、石と木で作られた家の中に秋の訪れを運んできていた。 『寒くなってきなー』 『そうだね、うちもそろそろ暖炉の準備しないと』 『手伝いに行くよ』 『ありがとう』 『うん、あ、隼人、食べ終わったね、偉い偉い』 物凄い勢いでにんじんを飲み込んだ弟に苦笑しながらも、綱吉はどうだとでも言いたげに笑う灰白色の瞳を見て穏やかに笑う。 乾燥した空気でも、サラサラとした隼人の髪は頭を撫でる綱吉の指の間を絡まることなく滑り落ちていった。 綱吉の両親が亡くなってから8年。 それからずっと、綱吉は隼人を弟のように可愛がってきた。 10年前に母を、7年前に父を亡くした京子も、生まれたときから一緒に育ってきたようなものだ。 ただでさえ、残り少ない神殿の守人の家系の人間なのだから、擬似的な家族のようになってしまっても仕方が無いだろう。 始めは七家あった一族も、今や、“傲慢”を担う神に仕える血筋の綱吉と、“嫉妬”を担う家系の隼人とその父、同じく“憤怒”を担う神官家の京子の4人だけ。 その三家以外は、死に絶えている。 ―――皆、発狂して、果てた。 原因なんて、きっと、本人たちにしかわからない。 綱吉は、自分を置いて逝ってしまった両親や、血の途絶えた家々のことを思うたびに、そんな遣る瀬無い気持ちになった。 なぜ? どうして? 葬儀に参列した誰もが、その問いに答えてはくれなかった。 昨日まで、いつも通りだったのに。 答えなき問いを抱えたまま、葬儀の後、幼い綱吉は自身が仕える“傲慢”を担う神殿で一晩中泣きあかした。 彼が仕えるは、人々の心から傲慢を取り除き、己が手の中で浄化する神。 かの神は、悲嘆にくれる綱吉の助けとなりえはしないけれど、彼が手放しに縋れるのは両親を除けば物言わぬ黄水晶の宝珠だけだった。 ―――どれほど祭壇の前で泣いていただろう。 不意に気配を感じて、綱吉は顔を上げた。 月が空高く輝き、先ほどまで聞こえてきていた弔いの音も止み、耳に聞こえるのは峡谷を吹き抜ける風の音ばかり。 闇夜に慣れた琥珀の瞳は、床に座り込んだ自分の背丈よりも大きな闇色の獣を映しこんで、一瞬きの後に恐怖に凍りついた。 その獣は、座っていながら大人の胸元あたりまでの大きさで、当時八歳だった綱吉の背など頭何等分も抜いている。 しかし、月明かりを反射して鴉の濡れ羽色の瞳が理知的に輝いている様は、恐怖さえ忘れるほどに美しいもので。 床にへたり込んだまま、綱吉は驚いた表情を隠すことなく、自分を静かに見下ろしている獣を見上げた。 怯えよりも好奇心を示す幼子を見てどう思ったのか、その獣は軽く鼻を鳴らして―――傲然と笑う。 次の瞬間には、音もなく黒々とした獣の姿が縮み、子犬ほどの大きさになって綱吉の膝の上に飛び乗った。 そして、綱吉が驚いて身を引くよりも一瞬早く、こつんと綱吉の額に自身の額を合わせる。 “逃げるな、何もしねーぞ” 愛らしい外見にそぐわぬ乱暴な口調のバリトンが、唐突に幼い脳内に響く。 耳を介さぬその声なき声は、ぞわぞわと綱吉の背筋に違和感を走らせたが、なぜか不快なものというよりは懐かしいものとして認識された。 だから、彼は強張った体から力を抜いて、獣の言葉の続きを待った。 恭順の意を察したのか、再び頭の中に音ではない何かで構成された声がする。 “家光は死んだのか” びくん、と綱吉の小さな体が揺れた。 ふわふわの毛に覆われた暖かな獣の額から顔を離して、まじまじと獣の闇色の瞳を見つめる。 その様子に小さな獣は溜息をついて、ひらりと綱吉の膝から降りると、再び見上げるほどに大きな獣の姿になった。 そして、夜に同化してしまいそうな獣は、動かない綱吉を腹に抱え込むように丸くなって、涙で濡れたまろい頬を尻尾で撫でる。 まるで、慰めようとするかのように。 柔らかく暖かな毛皮にくるまれている間に、綱吉の小さな胸の奥に優しい温度が宿って、ゆるゆると瞼が落ちていった。 恐怖なんてなかった。 会いたくて仕方がなかった存在に会えた、そんな気持ちだった。 次に目を覚ましたときには、心配して探しに来た大人たちの手で、自分のベッドに寝かされていた。 それ以来、綱吉があの獣を見ることはなかったけれど、時々美しい闇色の瞳がどこかから自分を見ているような、不思議な感覚をおぼえるようになった。 見守られている。 いや、見張られているのかもしれない。 綱吉はあの時確かに聞いたのだ。 眠りに落ちるその刹那、愉快そうに、待ちわびていた獲物を捕らえた獣が呟いた言葉を。 “もう逃がさない” 『ツっくん?』 京子の暖かな手が肩に触れたことで、綱吉の意識は思考から現実へと引き戻される。 どうやら自分が随分とぼんやりしていたらしいことを知って、綱吉は心配そうにこちらを見てくる隼人と京子に取り繕うような笑みを浮かべた。 『ごめん、ぼんやりしてた』 『疲れてるんじゃないかな、今日は早く寝たほうがいいよ』 『ツナ兄ちゃん、熱が出てるのか?』 京子も、隼人も、少しの変調でまるで綱吉が大病に倒れたかのような落ち着きをなくし、大仰に心配する。 今まで立て続けに肉親や近しい者達を亡くしてきた反動か、過度に心配性になってしまっているのだ。 綱吉自身も、京子や隼人、養父に何かがあれば、恥も外聞もかなぐり捨てて取り乱すだろうが。 『大丈夫だよ。ちょっと考え事してたんだ。京子ちゃん、今日は神殿で叔父さんと用事があるから遅くなるんだ・・・だから』 『う、うん、じゃあ、隼人くんと先に寝てるね』 『お、俺も神殿行きたい!』 『ダーメ、そんなに行きたいなら明日連れてってやるから』 『そーいうことじゃなくて!!俺も、「夜のお務め」したい!!』 『それは叔父さんの仕事だろ?ほらほら、お風呂入っておいで』 『ツナ兄ちゃん!』 『いい子で待ってたら、今日は一緒に寝てやるから』 『ツナ兄ちゃんはいっつもそれだ』 むーっと不服そうに膨れた弟の頬を優しくつついて、綱吉は困ったように、隼人の肩を宥めるように抱いている京子へと視線を向ける。 それを受けて、京子は任せてと笑うと、隼人を好物のパンケーキで釣り始めた。 その間に、綱吉はこそこそと立て付けの悪い、分厚い木の扉を開けて、肌寒い外へと出る。 Next Back |