Never Ending Story.


「いい加減、どうにかした方が良いですよ。あの、あなたの宝物くん」
「―――」

執務室に、落ち着いた低めの声が響いた。
部屋に置かれた重厚な執務机に向かって、黙々と作業をしていた黒髪の青年は、その言葉に一瞬だけ手を止めたが、すぐに仕事を再開する。

「また黙りですか。・・・あなたの熱狂的な崇拝者達は不満に思っていますよ。“彼”があなたを誑かしているのだと」
「―――・・・そうか」
「今は、あなたの命令を守って“彼”に手をあげるようなことはしていませんが、それも時間の問題でしょうね。このままなら、彼らはいつか「天誅」などと言って“彼”を殺そうとするでしょう。彼らにとっての神―――あなたのために」
「ふん、くだらねーな」

そう言いながら、黒髪の美丈夫―――この国の実質上の支配者 リボーンは、執務室の扉に背を預けて立っている己の秘書の、異なる色をした瞳へ視線を向けた。
夜の闇よりも深い漆黒の瞳を物怖じすることなく見返して、秘書である骸は、軽く肩をすくめる。

「ええ、実にくらない。“彼”を殺すことがあなたの為になるなんて」

美麗な顔立ちをした、恐ろしいほどに有能なリボーン。
そんな彼の抗いがたいカリスマ性に熱狂する者達は気付くまい。

“彼”がリボーンを誑かしたのではない。
リボーンが“彼”を誑かそうとしているのだ。

それはそれは綿密に、長い年月をかけて。

孤独な皇子の家庭教師に任命された時から、その皇子を誰の目にも触れさせないよう地下深くに監禁した現在まで。

あの革命さえも、リボーンにとっては“彼”を手中に治めるための過程にすぎない。

「本当にくだらない。“彼”を殺せば、あなたはこの国を滅ぼしてしまうおつもりだというのに」

秘書の溜め息混じりの言葉に、リボーンは形の良い唇で弧を描いた。




饐えた臭い、凍えた空気、固い石の床、呼吸と視界を限定する仮面。
もう随分とここで過ごしたせいか、綱吉の感覚はそれらを馴染んだ刺激として受け入れる。

最近、思考が上手く働かない。
自分という存在がとても希薄で、まるで存在しないかのようだ。
時間という感覚が無く、自分が生きているのか死んでいるのかさえ判らない。

まるで、むかしのように。

そう思ったが、自分の考えた「むかし」がいつのことだったのかさえ朧気で。

だから、綱吉は牢獄にいる間は殆ど意識を手放している。
呼ばれて“彼”の所に連れて行かれても、以前ほど胸は痛まなくなったし、会話をすることもなくなった。

全てが無駄だから。
自分の言葉は“彼”の胸に響かないし、“彼”に何らかの影響を与えることもないから。

そう、諦めてしまったから。

むかしのように。

嗚呼、だけれども。
どうか終焉を迎える時は、“彼”の手で。

それだけが、綱吉の正気を支える望みだった。


それ以上なんて、望まないから。

もう、視界に俺を映して欲しいなんて望まないから。

もう一度、俺を、俺自身を見て欲しいなんて望まないから。

どうか

どうか

俺が解放されるその時は

お前のその手で

俺を殺して。

その望みだけが、この虚ろな世界で俺を生かす。


光の届かない監獄で、綱吉は静かに静かに壊れていった。




そして、骸の危惧は、彼自身が想定していたよりも早く現実のものとなった。

綱吉をリボーンの元まで連れて行く士官の一人が、護送の途中で綱吉に傷を負わせたのである。
幸い命に別状はなかったが、それをきっかけに、綱吉は深い昏睡状態に陥ってしまった。

それを耳にしたリボーンの行動は迅速かつ冷酷なものだった。

自分の部屋に医療機器の管を生やした綱吉を寝かせ、彼を傷つけた士官に適当な冤罪を被せて抹殺し、最下層監獄の「仮面の囚人」に関する一切の情報を削除した―――もちろん、「仮面の囚人」を知る全ての人間も削除項目に含まれている。

そんな作業を、ものの2日で、しかも、周囲の人間に悟られないように実施するあたり、リボーンの頭脳の回転率は尋常ではない。
自分の上司の辣腕振りに逆に呆れながら、骸は総督筆頭秘書として、上司の行動のサポートを行っていた。
当のリボーンは、一通りの作業を終えると、事後処理を骸に任せて綱吉の枕元に張り付いている。

「それほどまでに大切なら、初めからそれらしく振る舞ってあげれば良かったのに」

骸はポツリと呟いたが、自分の上司の性格を思い出して首を振った。


リボーンは、意外と律儀で鈍感な男だ。
まあ、綱吉に対してだけだが。

あの男は、自分は綱吉に恨まれていると思い込んでいる。

それは、綱吉の血縁者全員を殺したという負い目の為であり、だからこそリボーンは綱吉の前で鉄面皮を装ったのだ。
王族を抹殺した自分を知っているから、綱吉に自分の想い―――ありきたりな言葉で言うなら愛を語る気にはなれないのだろう。

あれだけ執着しておいて、肝心な最後の一歩の所を踏み込めない上司を、骸はまったく理解出来ないのだが。

そんなリボーンの態度に、綱吉はいたく傷付いていた。
当然だろう。
端から見れば、リボーンの態度は綱吉の伯父夫婦と似たものだったのだから。


骸は、綱吉を幼少の頃から知っている。
―――その当時は階級も低く、皇子と接触する機会など皆無だったが。
それでも、幼い皇子が、両親の死によって豹変した伯父夫婦の態度に、その小さな胸を痛めていたことくらい知っていた。

「馬鹿な方ですねぇ、ただ正直に“好き”だと言えば良かったのに」

そうすれば、今の状況は、少しは違っていたかも知れないのに。




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