お父さんは職業不明 分厚いカーテンの隙間をぬって朝日が差し込む時間。 広い部屋の中央に置かれたキングサイズのベッドに眠る少年が、うにゃうにゃと呟きながら寝返りを打った。 そして、横に眠る青年の広い胸板に頬をすり寄せると、大変幸せそうな笑みを浮かべて再び深い眠りへと落ちていく―――。 筈だったのだが、残念ながら、頬をすり寄せた青年にその頬を摘まれて眠りを阻まれた。 「うー、むー・・・ぬーー・・・」 しかし、少年の方もめげずに青年にしがみつくと、頑なに目を閉じる。 そんな様子に、青年は口元を意地悪げに歪め、さらに柔らかな頬を引っ張った。 にょーん。 「んむむむむ・・・」 それでも少年は目を開けない。 すでに眠気など遙か彼方へ飛んでいってしまって、完全に意地で目をつぶっているだけなのだが―――これは、この家の朝に行われる他愛もない攻防戦なのだ。 青年が諦めて(むしろ呆れて)手を離せば少年の勝ち、少年が頬が伸びるのに耐えられなくなって目を開ければ青年の勝ち、というルールが、少年の中では確立している。 今回は、どうやら少年の負けのようだ。 「だぁっ!のーびーるー!!!!」 そう叫んで、綱吉はガバリと起きあがり、愉快そうに自分を見上げてくる寝っ転がったままの青年を睨め付けた。 「俺の顔がこれ以上どうにかなったらどーするんだよリボーン!!」 「修正が入って、多少マシになるんじゃねーか?」 「うるさいな!」 「うるせーのはお前だ。朝っぱらキャンキャン鳴くな」 騒ぐ綱吉とは対照的に、リボーンは静かにそう言ってしなやかな体を起こす。 そして、愛息の頬に口づけると立ち上がって伸びをした。 「そーいやツナ、お前、今日は日直だから早く行くとか言ってなかったか?」 「え・・・?あーーーー!!!!」 「だからうるせーって言ってんだろーがこのダメツナ!」 悲鳴を上げて駆け足で寝室を出て行った華奢な背中に怒鳴りつつ、リボーンも部屋を出てキッチンへと向かった。 バタバタと、綱吉が準備をしている音が、廊下にまで響いている。 「ったく、中学に入ったら少しは落ち着くかと思ったんだが・・・甘かったな」 いつまでも甘えてばかりじゃ駄目だな。 恐らく、息子を最も甘やかしているであろう父は、それを自覚しないままそう呟いて、バターを塗ったトーストをトースターに突っ込んだ。 そうやって慌ただしく家を出て、やはり慌ただしく帰宅した綱吉は、出る時と変わらず居間の大きなソファでゴロゴロしている父の姿を見て軽く羨望混じりの溜め息をつく。 自分が何に使うかもわからない二次関数やら、枕草子の読解やらをやって、時々同級生にダメツナと蔑まれている間も、リボーンはきっとこの部屋の、寝心地の言いソファで怠惰に過ごしていたに違いない。 羨ましい限りである。 綱吉は、4歳の時に両親を亡くして、父の知り合いだったリボーンの養子になった。 それから10年ほど、あの美丈夫と寝食を共にしているが―――。 リボーンって、何の仕事してるんだろう・・・。 彼が何の職業に就いている人間なのかを、綱吉は全く知らない。 綱吉が住んでいる部屋は、3段階のオートロックでロビーにスタッフが常駐しているマンションの最上階、全室床暖房完備4LDKの部屋である。 まあ、簡単に言うなら、高級マンションに住んでいるのだ。 つまり、それなりの稼ぎのある人間でなければ住めない場所なワケで。 日がな一日家にいて、ゴロゴロとしている人間が養い子とともに住めるような部屋ではない。 かと思えば、ふらりと1ヶ月以上家を空けることもあるのだから、ますます謎は深まるばかりである。 そう思いながら、綱吉は、仰向けに寝転がって読解不能(少なくとも英語ではない)な言語の新聞を読んでいるリボーンの、綺麗に鍛え上げられた腹にぺったりと頬をつけて“ただいま”と呟いた。 緩やかに上下する動きと、頬に伝わる慣れ親しんだ低めの体温が、綱吉をこの上なく安心させる。 「おう、今日は早かったな。補習に引っ掛からなかったのか」 綱吉のスキンシップに慣れているリボーンは、腹に置かれたふわふわの髪を撫でてやりながら、新聞から目も外さすに帰宅部のくせにいつも帰りが遅くなりがちな息子をからかった。 「補習担当の先生が、急な出張が入ったから」 「・・・だから、お前の鞄から課題のプリントがあふれ出しそうなわけか」 「う゛・・・」 乱雑に床に置かれた、校章の入りの指定鞄からは、今にも白い紙の束が流れ出そうになっている。 リボーンは、それを片目に、ぐしゃぐしゃと綱吉の色素の薄い髪をかき混ぜた。 「明日は土曜日だからなー大量だな」 こりゃ、明日の予定はキャンセルするしかねーぞ。 父の言葉に、完全に上半身をリボーンの腹に凭れさせていた綱吉は勢いよく身を起こす。 「えぇ!?なんで!!」 リボーンとの久しぶりの外泊なのに!! 「なんでじゃねーぞ、お前、あの課題今日中に終わんのか?」 「・・・無理・・・っぽい?」 「なら、無しだな」 「・・・えぇー」 「えぇ、じゃねぇ」 にょーん あからさまに不服そうな綱吉の頬を引っ張って、リボーンは言葉を続けた。 「お前、絶対外泊先で宿題なんぞしねーだろーが」 「ひょーだへどひゃー(そーだけどさー)」 行きたい。 おとーさんと、久しぶりの小旅行に、行きたいの。 大きな琥珀色の瞳が、これ以上ないほどキラッキラとした光を宿して、父親を見上げる。 ―――頬が異常に伸びているというお間抜けな事実を無視すれば、それはそれは幼気な表情で。 何だかんだで、可愛い息子に激甘なリボーンは、白皙の美貌をヒクリと引きつらせた。 行きたいの。 行きたいったら、行きたいの。 おとーさーん。 「・・・今日中に、終わらせられたら・・・行くぞ」 「うん!」 何かに敗北したようにがくりと肩を落とす父に、綱吉は満面の笑みを浮かべて返事を返すと、鞄を引っ掴んで自室に引っ込んだ。 その背中を見送って、リボーンは深い溜め息をついた。 そして、無駄のない身のこなしでソファから身を起こすと、夕飯の支度のために台所の流しの前へと歩を進める。 今日の献立は―――ブリの照り焼きと、大根と揚げ豆腐のみそ汁に金平ゴボウとほうれん草のごま和えでいこう。 そんな純和風な献立を立てながら。 リボーンが、見た目にそぐわぬ家庭的な手さばきで夕食を支度している頃、綱吉は普通の倍の速度で頭とシャーペンを動かしていた。 リボーンは、綱吉をともなって外出することをあまり好まない。 外出自体が嫌いというわけではないらしく、綱吉との外出に対してあまり気乗りしないようなのだ。 綱吉はその理由は知らないが、だからと言って、リボーンが自分を嫌っているわけでもないらしい。 家にいる時は、相当甘やかされているということを、さすがに綱吉も自覚していた。 一緒に寝てくれているのが、良い例だ。 両親が亡くなった直後、綱吉は寂しがってよくリボーンのベッドに潜り込むことがあった。 人の体温を感じることで、安心感を得たかったのである。 仏頂面で、決して人当たりが良いとも、子ども好きとも評されないだろうリボーンは、そんな綱吉を邪険にすることもなく、長くしなやかな腕で抱き込んで眠ってくれた。 養父の穏やかな鼓動と、低めの体温に安心して眠る夜は、綱吉に悪夢を見せることはなくて。 その習慣が、今でも続いているのだ。 それにリボーンは、厳しいことを言うけれど、決して理不尽なことは言わない。 いつだって、綱吉のためを思って行動をしてくれる。 ―――父親として、できる限りの最善を尽くしてくれる。 ツキン、と綱吉の胸に“父親”という言葉が刺さった。 いつからだろうか。 リボーンを、父親以上の存在として見るようになったのは。 昔は、傍にいるだけで安心した。 今では、傍にいると安心するけれど、それ以上に胸が痛い。 リボーンの存在にドキドキして、胸が痛い。 それと同じ位、彼にとって自分が息子という存在でしかないという事実に、胸が引き裂けそうだ。 こんな感情、間違っていると、わかっているのに―――。 Next Back |