2.Newcomer (1)  



アドリア海の潮風が暖かくなってきた季節。

ベルギーからの帰り、ベネチアまで足を伸ばした山本は、観光客が行き交う大通りを歩きながら、抜けるほどに青い空を見上げた。



拉致されてアメリカまで連れて行かれていたボスが帰国し、それなりに日常が戻ってきたのだが、同盟内での再編が行われたため、殆どのボンゴレ幹部は一息つく間もなく海外へ飛んでいた。
山本も、ベルギーから帰国したばかりである。
柄にもなく締めたネクタイを緩め、昼間からベルギービールを仰ぎ市場を歩いていた。


そこへ、背後から子供の足音が聞こえたので、避けるために身体をねじれば、色素の薄い髪の少年が横をすり抜けようとする。
山本はその少年の襟首を軽く掴み、それほど力もかけず引き留めた。

「こーら、人の物をとるのは泥棒だぜ?」

軽々と止められたことに驚いたらしい少年は、髪同様色素の薄い瞳で山本を睨み上げた。

「な、何だよ、離せよ!俺が何取ったって言うんだよ!!」
「お前のズボンの右ポケットに入ってるの、俺の財布だろ」
「・・・っ」

あっさりと言い当てられて、少年は黙り込む。
山本はそれを見て、特に怒った風もなく少年の頭を軽く叩いた。

「ま、観光客目当てのスリなんて珍しくねぇけど、あんまこんなことはすんなよ。タチの悪ぃヤツ引っかけたら面倒だぜ」
「・・・」
「で、それは返してくれ。俺が家に帰れねぇんだよ」
「・・・返すわけねぇだろっ」
目線を合わせるために腰を屈めていた山本の脛を思いっきり蹴り飛ばし、少年は雑踏に紛れるように通りの中に消えていった。

「いってぇなあ・・・」

丁度骨折が治ったばかりの箇所を蹴られ、さしもの山本も痛みに顔をしかめて呻いた。

「・・・こりゃ、やべぇかも」

山本自身、それほど状況に対して深刻な様子ではないが、持って行かれた財布にはボンゴレのアジトへ入るためのIDカードを始め、金額無制限のブラックカードやらがこれでもかと入っている。
山本の、日々周囲の人間から注意される、面倒くさくて必要な物はなんでも財布に入れるという癖が災いした良い例と言えよう。




まさか自分の親友が、そんな鈍くさくも深刻な状況に陥っていることなぞ露知らず、ボンゴレの十代目・沢田綱吉は本部の自室で書類と格闘していた。

「あれ、山本はまだ帰って来てないの?珍しいなあ」

書類の中にあった部下達の報告書を眺めながら、綱吉は不思議そうに声を上げる。
綱吉の真後ろにある窓の枠に腰掛け、愛銃の手入れをしていたリボーンはその声に顔を向けた。
マフィアのボスが窓を背にして座るなど言語道断、と騒ぐ部下の声を聞き流し、綱吉はいつも大きな仏蘭西窓を背にして仕事をしている。
綱吉が全幅の信頼を寄せる家庭教師が不在の時には、さすがに別の机に移動するが。

「さあな。ガキじゃねぇんだから、自分で帰ってくるだろ」

今年で14歳になる立派な子供の言葉に苦笑しながら、綱吉は、目の前に積み上がる書類の山を減らす努力を再開した。




「どうすっかなあ」

海岸沿いの道ばたに腰を下ろして、空になったビール瓶をもてあそびつつ山本は呟いた。

本部まで帰る費用もなければ、本部に入るためのIDカードもない。
携帯の充電は、面倒だったので昨日からしていなかった。

ちなみに、ボンゴレの本部の敷地内に入るためには、ID確認、指紋照合、声紋照合、網膜チェックを受けなければならない。
ボスである綱吉でさえ、一つでも引っ掛かれば中には入れないのである。
取られた財布を取り戻さなければ、どうしようもない状況だった。

「あー面倒くせぇ」

明らかに自分の失態なのだが、山本は心底面倒くさそうに呟くだけで特に行動を起こそうとはしなかった。
本当に面倒くさいというのもあったが、山本の野性的な直感がこの場所で「何とかなりそうだ」と告げていたのだ。
彼の部下などが聞けば頭を抱える理由ではあるけれど、長い付き合いの幹部やボスなどは、時に情報よりも山本の直感を信じることさえある。


現に、山本が海岸に到着して十数分後、先ほどの少年が通りから姿を現した。
ただ、強面の男達に引き摺られてはいたが。

「ったく、だから言ったんだよ」

それを見て溜め息をついた山本は、仕方がないという風に立ち上がった。


三十分後。


此処一帯を縄張りとするマフィアの下っ端に路地裏に連れ込まれ、
顔面やら腹やらを殴られていた少年を助け出し、山本は先ほどの海岸に戻ってきた。
適当に潰した下っ端には顔を見られたが、彼等のファミリー自体が格下なので、それほど気にする必要もない。
山本の横に座る件の少年は、腫れた顔を気にする様子もなく憮然とした表情のまま、一言も喋らない。
別に痛がるそぶりもないので、内臓にも深刻なダメージは無いようだ。
そんな少年を横目で見て、山本の口から知らず溜め息が漏れる。

「お前さ、何で避けなかったんだ?ってか、お前、結構強いだろ」

そう、複数の男達からの容赦のない攻撃を受けて、子供が平然としていられることなどあり得ない。
少年は男達の急所への攻撃を完全に避けていたのだ。

「別に」
「ふうん、そうか。で、俺の財布は?」

あっさりと話を変えた山本に、深入りされることを予想し身構えていた少年は微かに驚いた表情を除かせた。
しかしすぐにその表情を、嘲笑へと変えていく。

「へえ、ボンゴレファミリーの幹部でも、財布一つ無くて困ることがあるんだ?」
「お、もう中身見たのか」
「まあね、戦利品だし」
「まさかもう使ったか?財布の中身」
「・・・2ユーロ(約300円)をどうしろっていうんだよ、あんた」

呆れたようにぼやいて、少年は肩を落とした。

「IDカードとか普通に入ってたけど、気にしなくて良いわけ?」
「ああ、そういやそれも無いと困るな」
「・・・ボンゴレファミリー幹部の情報がどれだけ高値で売れるか知ってる?」
「その前にハル・・・ああ、ウチの情報チームがどうにかしてくれるさ」
「そんな無責任な・・・」
「それに、財布に入ってる個人情報は殆ど変更可能なヤツだからなぁ。
まあ、お前を消せば話は早いとか言いそうだけどよ、リボーンとかは」

最強のヒットマンの名前に、少年の肩が微かに動いた。
山本はそれを気にした様子もなく少年を見遣る。


なんかツナに似てるよなあ。


もちろん、少年と同じ年頃だった綱吉にこれほどの度胸はなかったが。
けれど、醸し出される雰囲気に綱吉に通ずる何かがあった。

血は争えない、ってか。

山本は胸中で呟いた。

もちろん、少年にその呟きが聞こえるはずもなく、彼は別のことに興味を持ったらしい。

「リボーン、ね」
「なんだ、お前リボーンを知ってるのか」
「あんた、それ、本気で言ってるわけ?マフィアの世界で生きててリボーンを知らないなんて、余程の下っ端だよ」
「じゃあお前はマフィアの下っ端じゃないのな」
「・・・」

明らかにしまった、という顔をした少年に、山本は吹き出した上に腹を抱えて大笑いをした。
見た目から察するに12,3歳であろう少年は、その様子を不快そうに睨め付ける。

「いやーお前変だな」
「あんたに言われたくねぇよ」
「親父に似て堅物だったらどうしようかと思ったぜ」

何でもないことのように言われたその言葉に、ヘイゼルの瞳が微かに大きくなった。

「・・・知ってたのか」
「まあな、別に驚くほどのことでもないだろ。壊滅させたファミリーの主要メンバーを覚えてるのは。な、ルース・ベルザー」
「・・・」
「お前だけ行方知れずだったんだよな」
「・・・」

完全に黙り込んだルースを見て、山本はビール瓶を背後に放る。
カシャンと軽い音を立てると、それは背後にあったゴミ箱へ消えていった。



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