04 隣がぽっかりあいている


早起きは三文の徳、とはよく言ったものだ。

艶やかなカラスの濡れ羽色の瞳と真正面に向かい合って、綱吉はダラダラと冷や汗が頬や背中を伝い落ちていくのを感じながら、そんなことを遠い意識の彼方に思った。

「お、はよぅ、ございマス」
「・・・うん」



まだ遠くの山には朝靄がかかり、太陽は真昼ほどきつい光を放ってはいない、早朝と称して差し支えの無い午前6時過ぎ。
斜めに向かい合った雲雀家と沢田家の玄関から、片方は平常どおり、もう一方は明らかに普段よりも早い時間に、それぞれの家の長男が姿を現していた。
そしてどちらも、今から登校する、という姿勢のまま、お互いを驚きの浮かぶ瞳で見詰め合う。

「え、と、雲雀さんは、今から学校―――ですよね」

あー死にたい。
学ランを着て、こんな早朝から行く場所と言えば、学校以外のどこだというのか。
あの学校大好きの不良風紀委員長が。

自分の間抜けな問いかけの内容に精神的に死に瀕しつつ、綱吉はビクビクと雲雀の反応をうかがった。
まだ柔らかい朝日の中で、漆黒の瞳が一瞬驚いたように揺れて、静かに眇められる。
―――まるで、笑むように。

「―――っ」
「沢田は早いね、珍しく」
「ぇ、あっは、はぃ!」

雲雀の、平坦なくせによく通る声はいつも通りで、微笑(のようなもの)に息をつめていた綱吉は、雲雀からの問いかけにやや上ずった声を返した。
けれど、そんな綱吉の慌てぶりなど目に入らないとばかりに、雲雀は問うだけ問うてさっさと踵を返して学校の方向へ歩み出す。
そして雲雀は、呆然とその颯爽とした後姿を見送っていた綱吉に、振り返ることなく声をかけた。

「学校、行かないの」
「え」
「行くんでしょ?」

『ほら、つなよし、行くんでしょ?』

それは、実に4年ぶりの、二人一緒の通学を促す言葉。
朝の静けさの中でなければ、確実に聞き逃していただろう声。

「は・・・はい!」

『うん、きょーちゃん!』

昔のように手を繋ぐことはないけれど。
それでも、いつもよりも緩んだ歩調は、確かに昔のように綱吉のそれに合わせられていて。
そんな些細な事実が、先ほどまで恐怖で強張っていた綱吉の心を幸せにした。




朝の、湿度は高いながらまだ気温の上がりきらぬ生温い空気を意にも介さず、雲雀は悠然と人のまばらな道を歩いていく。
そして綱吉は、雲雀との距離を10歩以上空けてその後に続いた。

一緒に登校していると言うには、あまりに空いた距離。
後ろから、確かにペタペタと履き潰したスニーカーの足音は聞こえるのに。


隣がぽっかりあいている。


「―――ちょっと」
「は、はぃ?」
「―――・・・いや」

不自然な距離を訝しんでピタリと足を止めた雲雀にあわせて、綱吉も等間隔をあけて立ち止まる。

―――どうやら、この距離を縮める気はないらしい。

恐る恐るこちらを伺う背後の気配からそう察して、雲雀は諦めたように肩をすくめると再び歩き始めた。
すると、そんな雲雀の様子に綱吉もほっとしたように、そしてどこか嬉しそうに、後について歩き出す。

変な子。
怯えているくせに、ひよこみたいに後ろをついてくる。

そう言えば。

ふと、随分と懐かしい記憶が雲雀の脳裏をよぎった。

昔、こんな距離をあけて歩いたことがある。

それは、
喧嘩をしたとき。
嘘をついたとき。
どちらかが泣いたとき。

そんなときはいつだって、綱吉は雲雀の後を俯きながらついてきた。
そんなときはいつだって、雲雀はスタスタと胸を張って歩いていた。

今のような距離をあけて。
けれども決して互いを突き放すことなく。

ずっとずっと、家までの道のりを歩いていた。

そして、家にたどり着くころには、綱吉が雲雀に追いつくことで、雲雀が綱吉の歩幅に合わせることで、二人で肩を並べて歩くことになり。
大きさのさほど変わらぬ小さな手を繋いで、離れて歩いた分を埋め合わせるように寄り添って―――二人で沢田家の玄関をくぐった。


だが、きっと、今のこの距離は、校門をくぐる頃になっても縮まることはなく、従って雲雀の隣も綱吉の隣も、ぽっかりとあいたままなのだろう。

ああ、なんてもどかしい距離だろう。





君はそこにいるのに、
隣がぽっかりあいている。

―――傍にいなかった分だけひらいた距離。




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