お届け物です。


化学物質が大量に溶け込んでいるために濁った雨が、ざぁざぁと音を立てるものから細い糸のような霧雨になって30分あまり。
そろそろ頃合かと思って角を曲がり、人気の無い裏路地を歩いていた山本武は歩みを止めた。
等間隔でついてきていた背後の気配も、それに併せてピタリと止まる。
周りは雑居ビルに囲まれて、昼間だというのに陰鬱な静寂が当たり一面を覆っていた。

「せっかくこっちが静観してやろうって言うのに、物好きな奴らだよな、相変わらず」

姿の見えない追跡者か、はたまた、その追跡者を放った者に対してか、相手が判然としない台詞をはいて、山本はビルで出来た袋小路を背に振り返る。

不意に、全身黒尽くめの人影が音もなく数人姿を現した。
その動きはどこかぎこちなく、それでいて足や腕の動きは滑らかな、奇妙な人影。

「良いぜ、今日はお人形さん遊びに付き合える天気だからな」

にぃっと、常ならば浮かべないであろう野性味を帯びた獰猛な笑みを浮かべ、山本はマスクをずらして口元を晒し、自分の親指に歯を立てて皮膚を裂いた。
深く刺さった歯を抜けば、つぅっと真紅の液体がそこから溢れ出て、ぽたぽたと地面の水溜りに消えていく。
7滴ほど血が滴ったところで、濁った水溜りがごぽりと波打った。
ゆらゆらと水面が揺れて、濡れた地面を伝って隣の水溜りと結合し、またとなりの水溜りと結合し、を繰り返し、やがて水溜りは袋小路を均一に満たす絨毯のように広がった。
そして再び山本が4滴ほど血の雫を零すと、そこに水が集まって、3体のぶよぶよと人の形のようなものをした塊が盛り上がる。

「ん?ちょっと足りなかったか」

山本はそう呟いて、ゆらゆらと形を保てないでいる3つの水の固まりに、それぞれさらに血液を与えた。
すると、ばしゃばしゃと余分な水分が地面に落ちて、3体の、ゼリーのようなスライムのような手触りの水人形が出来上がる。

「雨の日に山本家の人間を相手にしようなんて、お前もよっぽど退屈してたんだな」

顔の見えぬ、けれどどこかからこちらを見ているであろう龍家の傀儡使いにそう告げて、山本は腕を振った。
その動きに従うように、水人形達は、薄く水の張られた地面を滑るように移動して、ぎこちなくも俊敏に動く黒いキョンシーたちに踊りかかっていった。




「まったくいい迷惑だよ、龍家の人間はこれだから嫌いだね」

日本を代表するウィザード一族の頭領は、その秀麗な顔に浮かんだ嫌悪を隠すことなく手元の書類を読んでいた。
それは、先ほど山本が提出した報告書で、すなわち雲雀の決済が済むまで山本は部屋を退出するわけにはいかなかった。
つまるところ、最近テリトリーを荒らされて機嫌のよろしくない当主のお相手、という金を払ってでも遠慮したい役を務めなければならないのである。

「それで、君の不衛生な能力はどこまで嗅ぎ付けたんだい?」
「不衛生って・・・まあいいけどよ。龍家が放った傀儡使いは、さっき俺が殺ったヤツで最後だと思う。水を使ってこの辺り一帯を調べたけど、龍家はほとんど手を引いたみたいだぜ」
「まぁ、ボンゴレの“ブレイン”が直々に動いてるんだ、あんな下っ端じゃ話にならないだろうね。ボンゴレのウィザードが新たに国内に30人ほど紛れ込んでるし」
「そうみたいだなぁ、ツナの様子を伺おうと思ってグランドホテルに水をやったら、一瞬でその辺り一帯を蒸発させられちまった」
「―――武、そんな命令を僕は下していないよ?」
「出すぎたまねをいたしました、申し訳ありません当主」
「・・・まぁ良いけど」

あっさりと謝る従弟を一瞥して、雲雀はとんっと、文机に書類を揃えた。

「ボンゴレは強い、はぐれのくせに、血の繋がりなぞ持たぬくせに、それを上回る掟で結ばれた絆が彼らを繋いでいる」
「掟、か」

考えてみれば、ボンゴレとは不思議な一族だ。
初代ボンゴレは、絶対的なカリスマを持ちながら当主となって5年でその姿を歴史上から消している。
彼は、ウィザードの歴史に忽然と姿を現し、ウィザードの暗黒時代が終わるのと同時に姿を消した。
そんな初代の腹心であった3人の幹部が、元はボンゴレが後に叩き伏せることになるはぐれウィザードの集団“ヴァリアー”の元幹部であったことも、後世に生きるウィザードたちの関心を呼んだ。
ウィザードの歴史をそれほど熱心に学んでいない山本でも、それくらいは知っている。

後にその三人が、“ブレイン”と呼ばれる高次の精神体となり、300年の長きにわたってボンゴレを事実上支配することになったことも。

ボンゴレに属さないウィザードの多くが、ブレインによる支配を受け入れたボンゴレのウィザードたちに首を傾げた。
確かにその当時、ボンゴレ・ファミリーを構成していたウィザードは100人に満たなかったが、だからと言って一枚岩の組織だったというわけでもあるまいに。

何故、高次の精神体とはいえ、データの集約体でしかないブレインに、子々孫々ともに従ったのか。
はぐれウィザードの一族であるが故に、血統で選ばれぬ歴代の当主達も、何故ブレインに支配された一族の長となろうと思ったのか。

その答えが、ボンゴレに厳然と存在する“掟”という絆にあるのならば、それはどれだけ強固な鎖なのか。

「血の繋がりさえ希薄だっていうのにな」
「まあね、血統的ウィザードでは血族殺しも珍しくないけど・・・ボンゴレに関して言えば、そういう争いは皆無だね。ヴァリアーとも、折り合いをつけてるみたいだし」
「・・・逆に気味が悪ぃよな、それも」
「まるで子どもの幼稚な理想みたいに、都合が良いからね」

だから僕は、時々あの一族は呪われているんじゃないかと思うよ。




「ということで、考えても全く思い出せないので、洗いざらい知っていることを教えてください」
「いやぁ、相変わらず開き直るのが早いですね」

ソファに背筋を伸ばして座っている綱吉を見て、骸は相変わらず表面上は人好きのする笑みを浮かべた。
その内心がどうであるのか、なんてことは、綱吉にとっては問題にならない。
ただ、骸は自分に嘘をつかない―――いや、つけないだろうという、何の根拠も無い自信があった。
琥珀色の瞳に宿る、毅然とした意思の光を見て、骸の口元に本当の笑みが浮かぶ。

「そして相変わらず、無自覚なままで人を屈服させる人ですねぇ。本当に、傲慢な人だ」

これが、運び手と創り手の決定的な違いですかね。

骸は内心でそう独語して、向かい合うようにして座ったソファに背を預けた。

「跳ね馬や悪童でなく、僕をその質問の回答者に選んだのは何故です?」
「ディーノさんや隼人は、俺にとって都合の悪いことは言わない。今までの言動からすれば、そう思っても仕方ないでしょう?だから、骸を選んだんです」
「ふぅん、そうですか。彼らが貴方の都合の悪いことを言わない、ねぇ。・・・それが、彼らの優しさだからだと思いますか?」
「そうかもしれないし、二人とも何か考えがあるのかもしれないけど、どっちにしたって俺にしてみれば同じことでしょう」

きっと、俺の知りたいことには、俺にとって都合の悪い事だってあると思うんです。

真っ直ぐに、左右異なる瞳を見つめて、綱吉は言い切った。
その姿が、300年前、ザンザスの元へ行くことを決めた夜の彼の姿に重なって、骸は知らず瞑目していた。
―――所詮、どんなに諌めようと、骸に彼を止める術なぞ無いのである。

いや、あるいは、そんなもの、彼に関わった人間には始めから無いのかもしれない。

そんな愉快でない思考が一瞬脳裏をよぎって、骸は再び目を開けた。

「何が、訊きたいんですか」
「貴方が知っていることの全て、です」

自分が、ボンゴレにそれほど執着の無いこの自分が、他の二人と同じように300年もの長きを生きてきたのは、やはり、彼によってこの役目を課せられていたからなのだろう。

“彼”だとて、薄々感じていたに違いないのだ。
ボンゴレという組織が、段々と特異なものになっていっていたことを。
その理由を。

何より、自分の能力の異常さを。

そうでありながら、自分の目的達成の布石にするために、全て見て見ぬ振りをしたあげくずべて忘れてしまうあたり、本当に酷く利己的な人間ではないか。

「わかりました。ただし、その後自己嫌悪に陥っても、僕のせいじゃありませんからね」

“彼”の能力の影響で、綱吉にとって都合の悪いことを口にしない同僚に代わり、骸は300年前に言いつけられた己の役目を果たすことにした。




「ザンザスのヤローは動かず、か」
「イタリアで待っているってことだな」

ホテルから離れた、ボンゴレ現地特派員御用達のバーでグラスを揺らしながら、ディーノと獄寺は次々と伝えられる報告や情報に耳を傾けていた。
もちろん、堂々と話しているのではなく、店内に流れるジャズに紛れた、人の耳に聞こえないほどの低周波での暗号を拾っているだけなのだが。

「だが何故だ?あの方をまた捕らえに来ると思っていたのに」
「・・・さぁな、今のところ、イタリアでもヴァリアーの目立った動きは無いそうだ。むしろ、ヴァリアー達の行方が知れない」
「腑に落ちねーな」
「あぁ、一応探させてはいるんだけどな」
「・・・」

禁煙化が進む昨今の情勢によって、このバーも健全なことに店内禁煙になったらしく、獄寺が胸元から取り出した箱は、壮年のバーテンダーのすまなそうな目線によって開かれることなく再び元の場所に戻される。
吸わないなら吸わないで、別にこれといった支障のない獄寺は、ひらりとそのバーテンダーに手を振って謝罪を表し、カウンターに肘をついた。
その横で、微かに聞こえてくる報告に耳を傾けていたディーノは、雲雀家のウィザードによって龍家の配下が殆ど日本から姿を消したことを知る。

「龍家もだいたい片付いたらしい」
「あいつら下っ端じゃねーか」
「まぁな。こちら側の警戒要員も到着したし、龍家は粗方片付いたし、何よりそろそろ雲雀家から文句言われそうだ。―――いい加減、本国に戻らないとな。襲名披露だって日取りを調整しなきゃいけねぇし」
「・・・襲名、か。まだあの人をこの組織に縛り付けておくのか?」
「―――・・・縛られてるのは、どっちかと言えば俺達の方だと思うぜ」
「―――」

300年と言う年月は、肉体からデータ化した精神体を分離した状態で過ごしても、決して短いものではなかった。
それでも、投げ出さずにここにいるのは。

「あの方がそう願ったからだ」

いつの間にか曲が変わり、シャンソン歌手の気だるげな甘い声が、間接照明に照らされた薄暗いバーを満たした。

「その通り、だな。俺達はツナに願った。ツナは俺達に願った。だから俺達は、ボンゴレは、こうなった」

幼い子どもが言葉遊びをするように、ディーノは言葉を切りながら話す。
その言葉には、嘲るような、それでいて満足感さえ感じさせる自信が含まれていて、言葉を紡いだディーノ自身の口元にも、複雑な笑みが浮かんだ。

「何だかんだ言ったって、あの逆らいがたい存在感は、ザンザスと変わらないよな」

あの二人のウィザードの異母兄弟は、他者を恐怖で威圧するのか、共感で懐柔するかの違いこそあれ、生まれながらに人を従える王者の気質を備えていたのだろう。

「あんなヤローとあの方を一緒にするな」

獄寺の灰白色の瞳に、あからさまな嫌悪感が宿ったのを見て、ディーノは苦笑しながら肩をすくめた。
初代のカリスマ性に一番溺れているのは、間違いなくディーノの前で不機嫌そうに肘をついている男で、だからこそ彼は決して初代が願った世界から逸脱することはない。
―――ディーノ自身も、獄寺のことを言えた義理ではないが。

ふっと、ディーノの口元に、今度こそ自嘲の笑みが浮かぶ。

「外野を黙らせるっていう、俺達に与えられていた役目は終わった、後は運び手が頑張ってくれるさ」

それもかなり癪に障るが、ディーノと獄寺には、その役目が与えられるほどの残酷さが欠けていた。




警戒要因と共にようやく到着した簡易整備ラボの中で、簡単な検査を受けていたリボーンは、ふいっと顔を上げて白いトレーラーの小さな出入り口へ視線を向けた。
それと同時に、入り口からのぞいていた黒髪がひょいっと扉の影に隠れる。

「―――・・・ラル、出てこい」
「・・・」

機嫌を伺わせない鈴を鳴らすような美声に呼ばれて、居心地悪そうな表情をした子どもがすすっとぎこちない動きで姿を見せた。
検査を受け始めてからずっとリボーン達を見ていたラルは、どこか落ち着かない様子で、視線をリボーンに合わせようとしない。

「久しぶりだな」
「・・・あぁ」

意志の強そうな美貌についた、ケロイド状の火傷を、緩く波打つ髪で隠している子どもは、リボーンの言葉にやっと黒曜石の瞳を同色の瞳に向けて頷いた。

「来てたんなら、会いに来ればいいじゃねーか」

同じ“神”に創られた兄弟ならば、“彼”に会いたいと願うのは当然の願望で、欲求で。

いくらあの父を独占したいとはいえ、兄弟達の唯一の願いを阻む権利がないことを、リボーンはよく理解していた。

「俺は―――」

ラルは、既に検査を終えて、狭いトレーラーの中の不釣合いに豪華で大きなソファに座って寛いでいる兄弟の問いに、一瞬答えを紡ごうとして再び口を閉ざす。

「あいつは、俺のことも、お前のことも、何も覚えちゃいねーぞ。情報として、300年前のことを知ってはいるが、実感なんぞ持ってなんか・・・いねーんだ」

そんな兄弟の内心の葛藤を鼻で笑い飛ばしたリボーンの口元に、自嘲とも寂寞ともとれる笑みが浮かんで、すぐに消えた。
そう、かつての自分のどうしようもない我が儘も、自分の命に寄生しているリボーンたちのことも、何一つ真に理解しないまま、状況に流されるように綱吉は今を生きている。

「ダメダメのダメツナだからな、仕方ねー。だいたい、覚えていたとしても、あいつはお前を―――・・・責めたりしねーしな」

いつも凛とした張りのある話し方をするリボーンが、珍しく言葉尻を不明瞭な声で言ったのは、彼なりの照れ隠しだろうか。
相変わらずのポーカーフェイスな為に、ラルにはその真偽を判断しかねたが、思わずまじまじと同胞の計算され尽くされたパーツ配置の美貌を眺める。

随分と、丸くなったものだ。
ラルの知るリボーンは、padre以外に興味を持たぬ孤高の一匹狼然としていたのに。

ラルは、不意に、自分が眠っていた300年と言う月日の長さを実感した。
そんなラルの内心の感嘆なぞ一切関知せぬとばかりに、リボーンはいつの間にか愛銃を手にして磨き始める。
そのまま、ラルの方には視線を寄越さぬままに話し続けた。

「それに、お前を助けるためだけに、わざわざザンザスと同じ年月を共有したワケでもねーだろ、あいつは」
「・・・そう、だろうか」
「・・・あいつが意外に、利己的で腹黒くて―――そのくせ、死ぬほど俺達に甘ぇのを忘れたか?」

下を向いたままのリボーンの唇に、再び笑みが浮かんだ気配がしたが、それはどこか同室にいる者を凍えさせる鋭さを宿していた。

「それは・・・」
「あいつの力は、確かにザンザスの肉体には、動きを止める程度の効果しか持たねー。もともと、直接的に影響のある能力でもねーしな。だが―――」

彼の能力が最大限に効果を発揮する部分が、人間には1つだけある。




「それは、どこだと思いますか?」

何の脈絡もなくそう問われて、綱吉はきょとんとした顔のまま左右異なる色をした瞳を見つめた。
骸は、そんな主人の様子を意に介した風もなく、クフフと笑って優雅な仕草で足を組みかえる。

「貴方に、事実を報告するのが僕の役目です。まったく、一度でも貴方と交感してしまったばっかりに、こんなややこしいことになったって言うのに。肝心の貴方は綺麗さっぱり第三者みたいな顔してるんですから、やり切れませんね」
「役目?交感??」

頭の周りに疑問符を飛ばして、骸の話す内容が理解できないことをアピールしながら、綱吉は自分の正面に座る男の様子を観察した。
会って間もないが、この男に自嘲や自虐は似合わないと思う。
だのに、今、彼が浮かべているのは確かにそう言った部類の表情で、それが綱吉の困惑を更に高めた。

自分は一体、この無駄にプライドの高そうな男に何をしたのだろうか。

「貴方の力は魂の力。イメージを具現化する力。そしてそれは、貴方の魂と交感した魂を、貴方の願ったとおりに動かす力でもあった」

ウィザード限定の能力のようですがね。

いや、だから、何故この男の言動は一々綱吉の思考回路を凍結させるのだろうか。

厄介ですね、と軽く言って肩をすくめる美青年を前にしたまま、綱吉はいやに重い頭痛が脳の芯からじわりと湧いてくるのを感じていた。




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