お届け物です。


一回見に来るべきだと思うんだ、お前が統べる組織を。

そのディーノの提案は、少し前の綱吉ならたじろいでいたであろうものだった。
けれど、嬉しそうなラルを膝に乗せて、優しくその髪を梳いていた綱吉は、全く戸惑うことなく頷いた。
部屋には、“ヒトガタ”として売り出される予定の、自分達のレプリカに関する資料を読みふけるスカルと、定位置と化したソファに座る綱吉と、その膝の上のラル・ミルチ、そして二人に向かい合うように座ったディーノしかいない。
リボーンは朝から出かけていたし、コロネロはイタリアで“ヒトガタ”のテストにつき合わされている。
獄寺と骸も、一度イタリアに戻って襲名式典の準備やら分家内の再編やらを行っているらしい。

「俺からもお願いしようと思っていたんです。いつまでも、日本にいても仕方がないし」

運び手の話は、この歳若い次期当主の心境をどう変えたのか。
柔らかくも、どこか張り詰めたような、一本芯が通ったような表情は、ディーノにそう思わせるには十分な変化である。
その変化が良いものであるのか、悪いものであるのか、彼には判断する術がない。

「あ、あぁ」
「でも、今の今までイタリアに行ったことさえない俺が、唐突に当主面で行っても良いものなんですかね?」
「それは、仕方がない。骸がヴァリアーの城からお前を運び出した時、行ける場所はイタリアには無かった。それに、ツナの親父さんはボンゴレの門外顧問だったから―――」

そこで、ディーノはふと口をつぐんだ。
門外顧問だったから、なんだというのだろう。
あの時彼は、己のたった一人の愛息を失おうとしている哀れな父親に過ぎなかった。
ディーノの沈黙をどう受け取ったのか、綱吉は琥珀の瞳を翳らせて、そっと膝の上の子どもの頭に額を寄せる。

「俺、今更だけど、父さん達に合わせる顔が無いかも」

彼らの本当の息子は、もう10年以上前にこの世を去っている。
その身体を乗っ取っている自分は、彼らにとっては、息子の身体を使用している赤の他人だ。

「そうでも、ないぜ。どうして、ツナがイタリアじゃなく日本で育って、それなりに成人したといえる今になって周りが慌しくなったと思ってるんだ?」

苦笑しながら立ち上がったディーノは、顔を伏せた綱吉の色素の薄い髪を優しくなでた。

「お前の魂は、あの鳥篭から奪取して暫く俺達の元で保管される予定だったんだ。約束の300年は経過していたけど、まだ器に戻す段階じゃないと判断していたから。だから―――骸がツナの魂を運び出したときに、家光の子どもが事故に遭ったのは、不幸な偶然だった」

ディーノの鳶色の瞳は、当時のことを回想するように一瞬だけ遠くへ向けられた。
それを下から伺っていた綱吉は、ゆっくりとラルのふわふわな髪に乗せていた頭を上げる。
すると、頭にのせられていた大きな手が、ちょうど綱吉の頬の辺りに移動する格好となった。

「家光は、あの歳で門外顧問を務めるくらい有能な男だったし、一応ボンゴレに属するウィザードの家系の末裔だったからな―――俺達にとっては、その子どもをそのまま死なせるのは・・・言葉は悪いかもしれないが、惜しかった」

自分のことを、自分と、この体の真の持ち主の話をされているのだと思うと、ディーノの常にない重々しい口調がなおさら頭に響く。
知らず、先日傷を作ってしまった掌に、再び爪が食い込んだ。
だが、今回はそれに気付いたラルの小さな柔らかい手が包み込んで、強張った指を解いて手を繋ぐような格好になる。

「家光が、あの時何を考えていたのかは知らない。理解することもできないだろう。あの、脳死状態の子どものいるICUの前で家光は―――」

『俺は、仕事のために、親であることを放棄したくない。しかし―――親として、息子の死を、無駄にしたくない。それが、俺のエゴでも。親の所業ではないと言われても』

死んだ子どもの墓どころか、子どもが死んだという事実さえ存在しなくなってしまう、それを理解したうえで、家光は首を縦に振った。
その心境は如何なるものだったのか、それは彼自身にしか理解し得ないものだったに違いない。

「それじゃあ、母さんは、何も知らないんですか?」
「そうだろうな」
「なんて―――」

勝手な。
そう続けられるはずの言葉は、綱吉自身にも向けられるべきものだと思い至って、音として紡がれることは無かった。

「それからは、ツナも知っているとおりだ。家光はツナを本当の息子として大事に育てただろう?殆ど家に寄り付かなくても、それはツナが一番よく知っているはずだ」
「それは・・・」

殆ど家に帰らない父。
しかし、その父から向けられる無償の愛情は、そこにあるのが当たり前のように思えるほど、ごくごく自然に与えられていた。

「俺達は、始めツナをイタリアの、俺達の元で育てるつもりだった。でも、家光が自分の子どもは自分で育てると主張したから、お前は日本で育つことになった。そして、お前が大学生になるまでは、自分の身体を張ってまで、こちらの世界には関わらせなかった」

普通に育って、普通に生きて欲しかったんだろうな。
そんなディーノの言葉を聴きながら、綱吉は自分の瞳から零れ落ちる雫を止めることができなかった。

いつも家にいなかった父。
それを、いつも自分は不満に思って、煤けた服で帰ってきた父に背を向けて拗ねてばかりいた。
父は家にいなかったのではなく、いられなかったのだと、綱吉を守るために四苦八苦してくれていたのだと、そんなことは欠片も思わず。
大きくごつごつした手で頭を撫でて貰えることが、どれほど幸せなことであるのかなんて考えたことも無かった。

なんて、傲慢なんだろう。

リボーンたちに出会ってから、綱吉は、無知であることの罪深さを何度も何度も噛み締めていた。

知らなかったから、で、許されるようなことではないというのに。

「父さん・・・」

ごめんなさい。
そう言える立場ではない。
でも、呟かずにいられなかった。

家光の愛情は大きすぎて、深すぎて、ちっぽけな自分はその愛情の中にくるまれているという事実にさえ気付けない。




「俺に何ができるんだろう」

紡がれた綱吉の言葉には、今まで以上の真摯さと、どこか強迫観念に追い詰められたような逼迫した響きが伴われている。

それを聞きながら、ラルは眉を顰めた。

綱吉に求められているものは、やっと20になるかならないかの人間に求められる責任能力を、あまりにも逸脱している。
それが、彼自身の招いたことだとしても、そのこと自体を覚えていない人間に負わされる責任としては、規模が大きすぎないか。
このままでは、その責任の前に“沢田綱吉”という人間が息絶えてしまいそうで、怖くなった。

「Padre」
「ん?なぁに、ラル」

それなのに、どうしてこうも自分を呼ぶ声は優しいのだろう。
優しすぎて、泣きそうだ。

「Padre、Padre・・・」

ぎゅぅとしがみ付いてきた子どもの体を不思議そうに抱きしめながら、綱吉の手はゆっくりと子どもの黒髪を滑っていく。

「逆に聞きたいです、俺達は、あなたに何ができますか」

今まで沈黙を保っていたスカルの穏やかな声が、張り詰めた部屋の空気を音も無く緩めた。

「え?」

きょとん、と、そんな言葉は全く予想していなかったと言いたげな様子で、綱吉はいつの間にかソファの傍まで来ていた子どもを見遣る。
濃い褐色の瞳は、真っ直ぐに“父”へと向けられていて、その真剣さに息を呑んだ。

「少なくとも、俺は、貴方に生み出されたことを後悔なんてしていない。貴方のために生まれたことを誇りに思っています。そういう風にできているんだと言われてしまえばそれまでですが、そのことを忘れないでください。貴方を苦しめたいんじゃない、貴方の役に立ちたいんです」

貴方がいない生には飽いた。
でも、貴方がいるならば、何故、貴方の役に立たないで死ぬことを望むだろう。

忘れないで。
俺達が貴方のために生まれたという、その意味を。

「貴方が俺達を思ってくれているように、俺達だって貴方を思っているんです。―――きっと、家光だって、Padreが思っている以上に、Padreの父親なんでしょうし」

だって、家光がPadreのことを話すときの表情の緩み具合と言ったら、結構酷いですよ。

「・・・」
「貴方は、たしかに重い責任を果たさなければならない。でも、それを貴方一人が抱え込む必要なんて無い。俺は、そう思う」

ラルが、沈黙する綱吉に訥々とした言葉を紡ぐ。

「傍に居て、甘やかされるだけが俺達にできることじゃない。リボーンやコロネロがどうだか知らないけれど、俺はいつか殺してもらうことだけを望んで、300年間を過ごしていたんじゃない」
「―――ラル、スカル・・・」

「「ねぇPadre、俺達には貴方のために何ができる?」」

異口同音に紡がれた言葉に、綱吉はクシャリと顔をゆがめた。
けれど、その口元はかすかに笑みの形を象っていて、どこか泣き笑いに似た表情を浮かべている。

「まったく、かなわないな、俺、お前達のお父さんなのに、ホントに何にもわかっちゃいない」

そう言って、ラルとスカルの頭を撫でてから、綱吉は肩の力を抜いた。

「まずは、みんながどうしたいのかを聞かなきゃ、いけないよな」

自分に何ができるのか、を考えるのは、自分が何をしなければならないのか、を知ってからでも遅くはない。




「・・・お、大きい・・・」
「はは、本城はこれよりもっとでかいぞ」

自分の生まれた家が余裕で30軒は入りそうな広大な屋敷を見て、綱吉はその非常識な大きさに眩暈を覚えた。
そんな様子を、弟分をからかう兄のような表情でディーノは見ている。

ディーノが綱吉に望んだのは、ボンゴレ10代目を襲名して、ウィザード界の均衡を保つこと。

そのために、ボンゴレという組織がどういうものなのかを知ってほしいと、ディーノは改めて綱吉に申し出た。
元々そのつもりだった綱吉は、素直に頷いて獄寺の繋いだ空間をディーノに連れられて渡ってイタリアの地を踏むことになった。
綱吉が最初に見たのは、ドラマやドキュメンタリーなどでしか見たことのない、蔦の這う鉄柵に囲まれた広大な敷地を誇る、宮殿と称しても良さそうな規模の屋敷だった。
そもそも、個人の屋敷に、大きな噴水や、車で移動する規模の庭園、レプリカでない絵画や骨董品が必要なのか理解できない。
さらに、白亜の大理石で築かれた吹き抜けのホールのような玄関で、明らかに目上らしい人々に深々と頭を下げられて出迎えられるなんて、一介の大学生には分不相応すぎる。

「ディ、ディーノさん・・・」

思わず上ずった声で、平然と人の並木道を歩いていくこの屋敷の主を呼べば、左右を歩いていたラルとスカルに情けないと睨まれた。
けれど、そんなことに構っていられない程度に、綱吉の思考回路はくるくると空回りしている。

「ん?どーした?」

前を歩いていたディーノに、非常に呑気な声でそう問われて、綱吉は思わず脱力しかかったが、それでもめげずに、小声で説明を求めた。

「どうしたもこうしたも、あの人達は・・・」
「ああ、この屋敷の住人だ。俺の家の人間だぜ」
「それはわかりますけど・・・」
「挨拶しとくか?」
「むしろ、なんでしないんですか」
「なんでって、そりゃ、したいなら止めねぇけど」
「い、今更・・・」

歩きながら話していた為に、すでに玄関は通り過ぎてしまっている。

「良いんだぜ、そこまで気にしなくても。ちゃんとあいつらも分かってるだろうし」
「何をですか」
「お前の立場と自分の立場をさ」
「・・・?」
「ま、そんなに気になるなら、また改めて来たときに挨拶なり何なりするといい。多分喜ぶだろうし」

何しろツナは、俺達にとっては唯一無二の大切な王様だからな。
言いながら伸びてきた大きな手に頭を撫でられつつ、綱吉は内心複雑な思いにかられていた。

彼らが、“掟”に縛られた一族の末裔。
ならば自分は、彼ら一人ひとりの言葉に耳を傾ける義務がある。
今更、当主面して素通りすることは許されない。

そんな内心を察してか、ディーノは今度此処に泊まりに来ればいいと鮮やかに笑ってみせた。




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