お届け物です。 築600年にもなるため全体的に古い印象は拭えないながらも、しっかりとした造りの屋敷の門を潜れば、どこからか白檀の香りが風に乗って薫ってきた。 この香りをかぐと、いつも、本家に来たことを実感する。 山本は、ふと足を止めて、しばらく手入れの行き届いた庭を眺めてから、玄関までの路を歩いた。 綱吉の部屋でガス爆発(本当かどうかは知れないが)が起きてから一週間、山本は幼なじみと携帯で連絡を取り合うだけで、直接顔を合わせていない。 何度も心配だから顔を見たいと言ったのだが、今は無理だという返事ばかりで。 幼なじみの抱えていた問題から考えてみれば、相当な厄介事に巻き込まれていることは想像に難くない。 あの綱吉が、そんな厄介事に山本を巻き込みたがるはずもないことも分かっている。 けれど―――。 それでは山本が落ち着かない。 だからといって、現段階で何が出来るわけもなく、ただ日常だけが過ぎていった。 そんな時、従兄である当主から呼び出されて、こうして本家を訪ねた次第である。 玄関で女中に迎え入れられ、磨き抜かれた廊下を10分ほど歩いた屋敷の離れ―――滅多に通されぬ当主の私室へと案内された。 「失礼します、山本家長子、武、参りました」 「入りなよ」 「はい」 襖の向こう側からの声に返事をして、静かに部屋に入れば、文机に向かっている濃紺の着流しを纏った従兄の姿が見える。 その背中を眺めながら、声をかけられるのを待つこと数分。 やっと書類を書き終えたらしく、従兄は顔を上げて、山本の方へ向き直った。 「武。僕に呼び出されるようなことに心当たりは?」 「―――特に思い浮かびません」 「・・・そう、存外、君も愚かだね。そんな誤魔化しが、僕に通じると思っているのかい?」 他人の心や記憶が見える従兄に、隠し事をして成功したこと無い。 だからと言って、自分の口から綱吉のことを話すのは、幼なじみへの裏切りのような気がして、山本は唇を引き結んだ。 「君は本当に愚直な人間だね。まぁ、自分の口から言いたくないなら、それも構わないけれど。―――沢田綱吉のことだよ、僕が言っているのはね」 「ツナが、どうかしましたか」 「君とは10年以上の幼なじみらしいね」 「ええ」 「そう。そして、君は一週間ほど前に、彼から話を聞いたね。ボンゴレファミリーの十代目当主に選ばれた、と」 「・・・」 「無駄だよ、別のことを考えようとしたところで、脳の情報が書き換えられるわけじゃないんだから」 無駄な抵抗と思いつつ、記憶を読まれないように無関係なことに思考を飛ばしてみたが、雲雀はそれをあっさりと一蹴した。 「―――そう、その時は沢田綱吉自身も、まだよく知らなかったみたいだね」 濡れ羽色の瞳でひたりと山本を見つめていた雲雀は、やがてそう言って視線を外して、詰まらなそうに溜め息をつく。 どうやら、完全に山本の記憶を読み取ったらしい。 「最近龍家の動きが活発だから、何かあったのかと思ったんだけど。―――それにしても、見れば見るほどどこにでもいる平々凡々とした人間にしか見えないね」 それはそうだろう。 きっと雲雀は、何度か綱吉と顔を合わせていることすら覚えていない。 それほどまでに、いたって普通の人間なはずなのだ。 沢田綱吉は。 「なんで彼がボンゴレの当主なんだろう―――。彼を手に入れれば、ボンゴレファミリーの全てを手に入れられるなんて、何かの冗談なんじゃないかとさえ思えてくるよ。」 「―――ボンゴレファミリーの全て、ですか?」 あまり穏やかでない内容に問い返せば、当主は艶やかに口元を笑ませて肯定の意を返す。 「だから、世界中のウィザードファミリーが動き出した。これから僕らのテリトリー―――日本は騒がしくなるよ、彼が日本にいる限り、ね」 「どういうことです?」 「“ブレイン”が活動を凍結して―――ボンゴレの分家の当主が動き始めている」 「・・・そんな・・・。ボンゴレの“ブレイン”がボンゴレの当主のために自ら動くなんて・・・」 「そう、つまり、今回選ばれたボンゴレの当主は、今までみたいな、ただの“ブレイン”にとって都合の良い操り人形じゃないってこと」 どこか楽しげな当主の言葉に、ごくりと固唾を呑んで、山本は自分の背筋を駆け抜けた、悪寒とも戦慄ともつかぬ感覚とともに、幼なじみの顔を思い浮かべた。 「―――ツナは、大丈夫なんでしょうか」 「そんなこと、僕が知るわけ無いだろう?まあ、報告によれば、彼の側には“ブレイン”だけじゃなく“arcobaleno”シリーズがいるそうだから、簡単には死なないと思うけど」 「“arcobaleno”シリーズ?」 「ボンゴレが開発した“ヒトガタ”のオリジナルさ」 「・・・オリジナルって、あの、ボンゴレ初代が生み出した・・・」 「そう、ウィザードの歴史上 “呪われた子ども” “殺戮の申し子” と呼ばれている伝説の“ヒトガタ”」 「だって、あれは、もう300年前の話だろ・・・あ、でしょう?」 「別に、ここには君しかいないんだから、無理して敬語で話す必要は無いんじゃない?」 「・・・サンキュー恭弥。どういうことだ、“ヒトガタ”の稼働年数は、人工頭脳の寿命と同じなんだろ?今使われている最新の人工頭脳だって、50年が限度じゃねぇか」 まして、300年前に作られた人工頭脳の寿命など、たかが知れている。 「そう、だから、“arcobaleno”シリーズは伝説なんだ。“ブレイン”と同じように。ボンゴレの影で、ひっそりと、しっかりと存在している、ボンゴレの秘蔵っ子」 「・・・信じらんねぇー。300年も稼働し続ける人形なんて・・・」 「別に、300年の間ボンゴレを事実上管理している“ブレイン”だって、元々は300年間の人間の頭脳が基盤らしいから、不思議でもないでしょ」 頭を抱えて溜め息をついた従弟を前に、雲雀の当主は、その秀麗な貌を窓の外へと向けてポツリと呟く。 「むしろ、彼らは、本当に人形なのかな」 「え?」 「・・・いや、別に。・・・まぁ、“arcobaleno”シリーズは、言わばあのボンゴレファミリーの唯一と言っていい弱点だけど、同時に絶対の存在なわけ。それに守られているんだから、君の幼なじみもしばらくは無事でしょ。ボンゴレを襲名すれば、襲われる機会も減るし」 「・・・ボンゴレを、襲名・・・」 呆然としたような従弟の言葉に、雲雀の眉が軽く上げられた。 そして、庭に向けられていた顔が山本へと向き直る。 「なに驚いてるの。当たり前でしょ、“ブレイン”に選定された―――しかも、“ブレイン”と“arcobaleno”に守られてるほどの人間なんだから。彼が死なない限り、次の後継者は選定されない。それが、“はぐれ”で形成されるあのウィザードファミリーのしきたりだよ」 「そう、だよな・・・」 「君だって、いずれは君の家を継ぐんだから、不思議じゃないでしょ」 「ああ」 改めて、幼なじみが遠くへ行くのだと山本は実感した。 山本は知っていた。 ウィザードファミリーに名を連ねる者だからこそ、知っていた。 ボンゴレファミリーの特異な組織構成を。 血の繋がりでなく結ばれるファミリーが、どれだけ特殊なのかを。 「・・・ツナ・・・」 今度ばかりは、自分の手で助けてやれることなどたかが知れていた。 誰よりも力になってやりたいのに。 「武、もう下がって良いよ。用は済んだから」 「―――はい、失礼しました」 山本は、雲雀に言われるままに当主の部屋を辞して、庭へと出る。 胸に宿った無力感は、重い溜め息をついても晴れることはなかった。 その頃、そんな綱吉はどうしていたかと言えば。 「あー・・・獄寺くん、何でも良いけど、取り敢えずその物騒な爆発物を仕舞ってくれる?ディーノさんも、嬉々として鞭でいびらないでくださいよ。リボーンとコロネロは鉄製の飛び道具を触らない!」 最早何度目になるのか分からない襲撃に、悲しいことに慣れてきた綱吉は、明らかに決着がついたというのに殲滅(むしろいたぶり)を止めない4人を宥める。 その言葉に、今まさに最後の火花を上げようとしていた獄寺は、叱られた犬のような情けない表情になって、自分の背後に立つ華奢な主人を見る。 「じゅ、十代目ぇ・・・」 「そんな顔をしても駄目なものはダメ!」 自分よりも年上だとは思えない態度の獄寺に、一瞬躊躇したが、それでも、周囲を荒野にするわけにはいかない。 しっかりと、自分よりも上にある美しい灰白色の瞳を見据えて言い聞かせれば、すごすごとダイナマイトを仕舞い始めた。 ―――いつも思うのだが、いったいどこに収納されているのだろうか、あれらは。 ふと、そんな疑念が浮かんだが、今更あの歩く爆発物が常識の範疇に収まる行動をとるとも思えなかったので、深く気にしないことにする。 そして、周囲を見回してみれば、森林公園の遊歩道のあちらこちらが爆発によってえぐられ、ベンチは鞭によって粉砕され、電柱や電話ボックスは無残な銃創を負っていた。 ディーノが言うには、この森林公園はすでに閉鎖されているから構わないそうなのだが、さすがに良心が痛む。 「なんで、こんなことになってるんだろ」 そんな呟きが綱吉の口から零れたのに気付いたのは、一番近くでそれぞれの獲物を磨いていたリボーンとコロネロだった。 「情けねぇこと言ってんじゃねぇぞ、ダメツナ」 「仕方ねぇだろコラ」 「いや、それはそうなんだけど・・・。一体いつになったら、こんな襲撃が無くなるのかなと思って」 子ども達の容赦ない言葉に、へらりと苦笑を返してそう言えば、黒曜石と青玉の瞳が微かに眇められる。 『いつになったら、みんなで静かに暮らせるんだろうね』 何も出来ないことが、歯がゆくて仕方がなかったのを覚えている。 「てめーがさっさとイタリアに来て、十代目を襲名しちまえば、すぐにでも収まるぞ」 「正式なボンゴレの当主を襲撃できるようなファミリーなんていねぇからなコラ」 「はは・・・結局話はそこにいくんだよねぇ」 ここ数日間で、いったい何度、同じような問答を繰り返したのだろう。 綱吉が自分の平凡な生活に縋り続ける限り、現状は遅々として進まず、むしろ悪化の一途を辿ることは明白だった。 他のファミリーからの襲撃の間隔も、そのファミリーの種類も、日を追う事に短く、多くなっている。 しかも、それを撃退するのは、当の綱吉ではなく、リボーンやコロネロや、ディーノや獄寺なのだ。 当主になることを拒みながら、命懸けの護衛をされている自分が、酷く都合の良い人間に思えて、最近の綱吉の内心は罪悪感と迷いに満ちていた。 ―――そもそもイタリア語なんて話せないしなぁ。 ディーノや獄寺から受けた説明を鵜呑みにするのなら、綱吉は、ボンゴレファミリーの当主を襲名さえすればいいらしい。 “ブレイン”が事実上の支配を行っているボンゴレファミリーの当主には、それほど仕事がないのだとか。 もちろん、住む場所はボンゴレの城(そんな時代錯誤なものに住む時点で、綱吉はカルチャーショックを受けた)らしいが。 だから尚のこと、自分がボンゴレに、その存亡をかけるような影響を及ぼすとは思えなかった。 そんな風に考え込んでいた綱吉に、獄寺の心配そうな声がかけられる。 「10代目?どこかお怪我でも?」 「ううん、大丈夫だよ、みんなのおかげで」 「良かった」 そんなに、心底嬉しそうな笑顔を向けられると、胸が痛い。 自分が彼らの望むとおりに生きていないことを、申し訳なく思ってしまう。 「ごめんね」 「10代目・・・」 思わず口をついて出た言葉に、獄寺の綺麗な顔が悲しそうに歪められた。 そして、綱吉の目線に合わせるように少しかがんで、まるで言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。 「俺は、あなたの側にいられることが、全ての幸いなんです。だから、どうか、そんなに自分を責めないで下さい。俺は・・・あなたに自由でいて欲しかっただけなんです」 「獄寺っ」 獄寺の言葉が、リボーンの発した小さな、けれどどこか慌てたような制止の声で止まる。 けれど、そんな子どもの声など耳に入らない綱吉は、まるで自分の内心を読んだかのような獄寺の言葉に、自分の脳内で違和感が生まれるのを知覚した。 昔、誰かに、同じようなことを言われた気がする。 それがいつだったかは全く思い出せないけれど。 ズキリ 「・・・っ」 「10代目!すみません、俺が余計なことを言ったからっ」 突然襲った目眩のするほど激しい頭痛に、かくりと綱吉の膝の力が抜けた。 それを慌てて支えながら、獄寺が申し訳なさそうに謝罪する。 「ぅ、ううん、大丈夫、なんでもないから」 しかし、そう応える綱吉の顔色は、言葉とは裏腹に血の気が引いていて。 「・・・早く、戻るぞ」 「大丈夫か、コラ?」 「おい、車を回した、早く・・・って、ツナ!?どうした!!」 しかしすぐに強い光を瞳に宿して、ディーノへと向き直った。 「いいから、早くツナを車に乗せろ」 「話は後だコラ」 「あ、ああ・・・」 綱吉は、そんなリボーン達の遣り取りを、遠のく意識の中で聞いていた。 痛い 痛い なんだろう、凄く、頭が痛い。 まるで、頭の中を誰かに掻き回されてるみたいだ。 “思い出せるはずなんてないのに” ごめん、ごめんね、と、誰かの何度も謝る声が聞こえた気がした―――。 Next Back |