疑惑




ボンゴレの屋敷の地下へ、ボスの私室から直接やってきた獄寺は、眼前の簡素な鉄製の扉を無遠慮に開け放って、中へと入る。
そして、この部屋の主へと突っ慳貪な口調で声をかけた。

「おい、馬鹿女」
「あ、獄寺さん、もう帰ってきてたんですか。用事なら後にして下さい、今、ボスからの頼まれごとを調べてるんです」
「その件について頼み事があるから来たんだ」
「はひぃ?なんです」

エスプレッソの泡を口の周りにつけた間抜け面で、三浦ハルは自室のドアの前に立つ獄寺を見た。
5台のパソコンに囲まれた椅子に体操座りになって座っているハルの、天才ハッカーの名からはほど遠い姿にやや脱力しつつ、獄寺は要件を告げた。

「南ア近辺の麻薬の出所はもう調べたか?」
「今やってます。ユーロ機構諸国からアフリカ方面へのシンジケートを洗ってる最中ですよ」
「FBIとCIAのファイルから洗い直せ」
「?つまり、麻薬の出所が中南米あたりだということですか?」
「ああ、アメリカのギャングからの横流しの確率が高い」
「それだと、南ア内の港からじゃないとアフリカ大陸へは持ち込めませんよ。ギャングのアフリカ大陸へのシンジケートはそこ以外全部潰してますから」
「だから、南アの港が怪しいんだ」
「・・・正気ですか?獄寺さん。あそこは山本さんの管理テリトリーのど真ん中ですよ。山本さんが気付かないわけ・・・」
「いいからっさっさと調べろ」

尋常ではない獄寺の雰囲気に、ハルは押し黙ってキーを叩き始めた。
何重にもかけられたハッキング防止のトラップをかいくぐって、指定された捜査ファイルを弾き出す。
さらに空路、海路の情報を引き出すために、アメリカ軍のマザーコンピュータへもハッキングを開始した。

常人であれば一週間はかかるであろうその作業を、ハルはものの十分程度で全てのハッキングを終え、流れてきた情報を解析していく。

「・・・嘘・・・」

そして、情報解析を開始して七時間後、膨大なファイルの殆どの解析が終了したところで、ほんの僅かだけ不自然に消去されているファイルを発見し、修復を開始した。
消去された形跡が僅かだけ残っていたファイルを修復し開いてみれば、確かに、南米から数十種類の麻薬がメキシコ湾を経由して南アの港へ渡っていた事は明らかである。
巧妙に隠匿されたその情報を見つめ、獄寺は苦々しくため息をついた。




ギャングがマフィアのテリトリーに何かを流すときには、それ相応の挨拶が必要であるし、テリトリーを管理する者はボスへと流出の許可を求める義務がある。

もちろん、ファミリーの掟で禁じられている物は何であれテリトリーへ流出させてはならない。
万が一にも流出した場合は、速やかにそれをボスへ報告し、何らかの手を打って回収に努めなければ、管理不行き届きで制裁の対象にされても文句は言えぬ。

それがどうだ。
南アを管理する山本は、ボスへ報告するどころか、完全にテリトリー内でギャングを野放しにしている。
これは一体どういう事か。

山本がすでに死亡したためにこのような状況になっているのならば仕方がないが、ボンゴレファミリーの構成員はみなIDチップを持っており、そのチップが五分以上持ち主の脈拍を感知しなければ自動的にボンゴレファミリーのマザーコンピュータへ死亡の情報が送られてくる。
それがない以上、山本は生きている。

そして、管理テリトリーでの麻薬密売を黙認しているのだ。

それらが示すことは、一つしかなかった。
長年の同僚を信頼しきっていた自分の愚かさに、獄寺はギリっと歯を噛みならした。




この時間帯、イタリアでは朝を告げる教会の鐘の音が、朝焼けの街に響き渡っていることだろう。

山本武は、高価な革張りのソファに寝そべり、スーツのネクタイを緩めながらそんなことを思った。
まだ夜明けには時間のあるL.Aの空は、高層ビルや街の明かりでそれほど暗くはない。
そんな高層ビルの最上階、その一室で、山本は静かにタバコに火を付けた。



取引も、縄張り交渉も上手く行った。

そろそろ敏い山本のボスやその幹部達などは、水面下の動きを察知しているかも知れないが、そんなことは取り立てて問題ではなかった。

動き始めてしまえば、南米にそれほど多くのシンジケートを持たぬヨーロピアンマフィアなど取るに足らない。

世界規模でネットワークを持つ、マフィアの王たるドン・ボンゴレが本腰を入れれば話は違うが、恐らく彼自身が立ち上がることはあるまい。

そんな力すら、病に吸い取られ、彼には残されていないだろう。

その事実は、今の山本にとって好都合であるはずなのに、彼の口から漏れたのはやるせない苦み走ったため息であった。

左右の腕で顔を覆い、どこまでも理不尽な現実に歯噛みした途端、ヴヴヴ・・・っと豪奢な大理石の机に置かれた貧相な携帯が鳴った。

「Hello?」
『Buona sera. Mi chiamo HEVEN』
「・・・アンタか」
『クフフフ、そちらの首尾はどうですか』
「上々だな。アフリカまでの直結シンジケート三本。既存のシンジケートを含めれば五本、これだけあれば文句ねえだろ」
『そうですね、効率は上がるでしょう。まあ、ルートが多ければ嗅ぎ付けられる確率も上がるでしょうが』
「嗅ぎ付けられる?・・・向こうには三浦がいるんだ、嗅ぎ付けられないと思う方が馬鹿だぜ」
『それもそうですね。ドン・ボンゴレは病床にあっても、その明晰さを失っていないようですし。・・・ルートの一本が嗅ぎ付けられました。塞がれるのは時間の問題でしょう』
「メキシコ湾ルートか。まあ、アレはしょうがねえな。で?本題はそんな事じゃねぇんだろ。さっさと本題の方頼むぜ」

『おや、寝不足で気が短くなっているようですね。・・・それとも、長い間会っていないボスの体調が気になりますか』
「早く話せっつってるだろうが」

恐らく、電話をしている山本を誰かが見れば、その場で殺されるほどの鬼気に腰を抜かしていただろう。
それほどまでに、電話の相手に対する山本の物腰は殺気立っていた。

だが、通話相手も、一般人とはかけ離れた存在である。
そんな山本の殺気さえ楽しむかのように、電話口で笑う気配がし、やがて短くも威力のある言葉が返ってきた。


『“希望”の所在がつかめました』


「・・・なんだと?」

ソファから身を起こした山本の瞳には、すでに先ほどまでの陰鬱な光はなく、ただ、何かを追い求める狩人のごとき精悍な光だけがあった。


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