1.Taking  



濃密な夜の空気が空を覆う時刻。

それでも眠ることを知らないラスベガスの一角、名の知れた会員制カジノのVIPルームにゆらりと紫煙が漂っている。

紫煙をくゆらすのは、肩幅のしっかりとした偉丈夫であり、彼のヘイゼルの瞳が見据える先には、ソファにゆったりと腰を下ろす一人の青年の姿があった。
青年は、日本出身というわりには全体的に色素が薄い印象を与えるが、華奢な骨格や幼さの目立つ顔立ちは確かにアジア系特有のものだった。

「はじめまして、かな、ドン・ボンゴレ。わざわざのご足労痛み入るよ。最近は老体にガタがきていてね」
「いえ、ミスター・ベルザー。こちらこそ、日程調整に手間取りご迷惑をおかけしました」
「構わんよ。ボンゴレは新体制がやっと軌道に乗ったところだ、しばらくは忙しかろうと思っておったよ。我が一族も、同盟を組む同志として新たなボンゴレファミリーに大きく期待しておる」
「ありがとうございます」

和やかな雰囲気で一通りの挨拶が終わり、部屋の中の空気が僅かに緊張を帯びる。

だがそれは、ベルザーの背後に控えた黒服の男達の変化であって、
ベルザー本人やボンゴレの穏やかな物腰に何ら変化は見られない。

「若い者は血の気が多くていかんの」

自分の部下達の様子にベルザーは肩をすくめ、ボンゴレもそれを見て微笑した。

「ウチにいる「悪童」よりは周囲への気配りに長けていますよ」
「はは、「スモーキン・ボム」の話は聞いているよ。他にもなかなかユニークなファミリーが居るそうじゃないか」
「ああ・・・ええ、まあ・・・」

つい最近イタリアの重要文化財を爆破しかけた部下の顔が浮かび、ボンゴレの穏やかな笑みにやや苦みが交じったが、ベルザーはそれを気にも留めず話を続ける。

「ああ、それにイタリアンマフィアにサムライがいるというのもなかなか面白いじゃないか。なんと言ったかな・・・そう、イアイだイアイ。サムライは毎朝早くに中庭で鍛錬して居るんだろう?」

そんなに規則正しい生活をしていたなら、彼は先月の健康診断で肝臓が弱っていると主治医に注意を受けることもなかっただろう。

一人歩きする噂を聞きながら、ボンゴレはユニークが過ぎる部下の面々を思い浮かべかけて、気疲れする予感を感じ、逸れかけた意識をベルザーへ戻した。

「アクの強い部下が多いのは良いことだよ、ボンゴレ十代目。それを統率するだけの能力が君にあればね」

冗談半分に値踏みするような視線を向けられ、若くしてイタリアの頂点に君臨したボンゴレも、そつのない姿勢を崩さないまま微笑を深いものに変えた。

「そうですね。手綱の引き加減を間違えると暴走してしまいますから。うちのじゃじゃ馬達は」
「おや君にかかればあの貴人でさえじゃじゃ馬かい」
「ああ、彼は彼のやり方があるとか。そもそも問題外ですね」

ボスの部屋に窓から出入りをして、ところ構わずトンファーを振り回す人間を一体誰が「部下」と呼ぼうか。


ふと、かすかな地響きが響いた。


ベルザーの部下はそれにピクリと身じろいだが、主人の端然とした様子に、それ以上取り乱すことはなかった。
それはボンゴレも同様で、穏やかな笑みは崩れる予兆さえない。

「それにしてもミスター・ベルザー。よほど我がファミリーに興味がお有りのようですね」
「それはどこのファミリーや財閥も同じだろう。ボンゴレは良くも悪くも帝国の主だからね」
「いえ、まだまだですよ」


また、かすかな地響きが響く。


「ところでミスター・ベルザー。あまり火遊びが過ぎると、火傷では済みませんよ」
「なあに、日本では何というのかな・・・ああ、火事と喧嘩は江戸の華、なんだろう?」
「そうですねえ、とても大輪の華になりそうですが」

カジノのざわめきがやや張り詰めた雰囲気を帯びる中、ボンゴレの笑みは些かの翳りもないまま年長のベルザーを見据えている。

「・・・あくまで、呑まれぬお積もりかね?」
「何のことでしょう?」
「ふむ、面白いな。ボンゴレ十代目はなかなかの胆力だ」
「いえいえ」

ボンゴレは自分の手に掛かった手錠をちらりと見て肩をすくめた。

「私には死神の加護があるんですよ」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、VIPルームの扉が僅かに開き、するりと夜の闇のような黒影が滑り込んできた。

「チャオ、ボス」
「やあ、リボーン」

漆黒のスーツを纏った少年は、片手を上げて上司に平常通りの挨拶を交わす。

だが明らかに非日常なのは、そんな挨拶の合間にパシュ、パシュ、という軽い音がして、ベルザーの後ろに控えた男達が倒れたことだ。
愛銃を黙り込んだベルザーの額に押しつけたまま、リボーンはやや呆れた顔で手錠から手を抜く綱吉を見遣る。

「何勝手に拉致られてんだ、ダメツナ」
「そう言うなよ、俺が前に出た方が早そうだったからさあ」

やや赤くなった手首をさすりながら立ち上がると、綱吉はベルザーの前へと歩み寄った。

「ミスター・ベルザー、せっかくお招き頂き恐縮なのですが、私の代のボンゴレはクスリに手を出す気はないんです。何度も申し上げてきましたが、取引のお話は無かったことに」

綱吉の言葉に、銃を額に突きつけられたままベルザーはおどけたように片目をつむった。

「残念ですなあ。せっかくボンゴレに此処まで来て頂いたというのに」
「いやーなかなかスリリングな空の旅をさせて頂きましたよ」
「ははは、なかなかボンゴレの日程が掴めなかったものでね。少々若いのが無茶をしたようだ」

あくまでも朗らかに続く会話に、漆黒の死神は軽く息をついた。

再び、今度は爆音を伴って地響きがする。

その音にベルザーが意外そうに眉を跳ね上げた。

「おや、こんどはウチの所の者じゃないね」
「・・・リボーン、まさか」
「ああ、獄寺が泣きじゃくりながらジェット機に同乗してたぞ。今頃叫びながら暴れてるだろうな」
「うわあ・・・今回の損害賠償いくらだろ・・・」
「そんなことはどうでもいいが・・・どうするんだ、ツナ?」

グリッと銃口をベルザーの額に押しつけて、死神はボスに指示を仰いだ。
命の灯火を消す鎌を振り下ろす許可を求めて。

「ミスター・ベルザー、あなたの一族はあまりにも我がファミリーや、他のファミリーにドラッグを流しすぎた。・・・それに、その死神は怒ると私の命令さえ無視することがあるんです。闇に紛れて死ぬよりは、一族の当主としての最期を迎えて下さい」
「ははは、やはり部下の手綱を引くには、まだボンゴレはお若いようだ。まあ、ボンゴレの胆力ならば、いつまでも部下に好き勝手されると言うことは無かろうよ。君は部下に愛されているしね」


パシュッ


最期まで朗らかなまま、アメリカの裏社会を統括する一族の一つ、ベルザー家当主ジョール・ベルザーは呼吸を止めた。



「悪い人じゃ、なかったんだけどね」
「ふん、ただの愉快犯だな」
「お飾りの当主をやめたかったんだよ、たぶん」
「ベルザー家、か。あそこは、当主が居ても居なくても機能する体勢が整っているからな」
「・・・」

安らかに目を閉じる老人の顔は、世界規模の詐欺や麻薬密売組織の長のそれではなく、悪戯をした子供の笑顔だった。
それを複雑な表情で眺めた綱吉は、溜め息をついて口を開く。

「ベルザー家は?」
「ボンゴレの十代目を拉致したんだ。ジョール・ベルザーを当主の座から解任したところで、どうしようもないぞ。ベルザー家との同盟は破棄。ヨーロッパのベルザー家の分家は雲雀と山本が制圧した。アメリカの本家も時間の問題だろうな」
「ミスター・ベルザーの目的は果たされたってことか」
「人騒がせなじじぃだぞ」
「本気でクスリの取引をするつもりは無かったんだろうなあ。あー同盟を破棄して一族を消したいって、言ってくれれば手伝ったのに」

ほんと、悪い人じゃなかったんだって。

何とも言えない顔でそう言ったボスを見上げ、世界最強のヒットマンは嫌そうに溜め息をつき、頭一つ高い上司の顔を引き寄せた。

「そんなこと、一度でも組織の頂点に立った人間が言うわけねぇだろ。だからお前はダメツナなんだぞ」


王座に座る人間には、義務がある。
決して膝を屈してはいけないという、義務が。


「わかってるよ、リボーン」

鼻先が触れあいそうな程近くにある黒曜石の瞳を見つめ、綱吉は苦笑する。

いつの頃からか、時折、リボーンは綱吉の感情に同調するようになった。
もちろん、ほとんどの人間はそんなことに気づくことはない。

綱吉だけが、リボーンの瞳の奥底が揺らぐことを知っている。
そしてそれは、綱吉の感情の揺らぎと同調していることも。

綱吉は、赤ん坊の頃から比べれば随分と大きくなった家庭教師の頬を両手で包み、柔らかく笑った。

「大丈夫、俺はボンゴレのボスだよ。俺は俺を支えてくれるファミリーのために、誰にも膝を屈しはしない。ボンゴレが滅びる時は、俺も一緒だ」

俺は、自分のファミリーを、同盟を破棄するように棄てることはできないのだから。

「さて、帰ろうか。獄寺君を止めないと、損害賠償の桁が冗談じゃなくなるから」
「ふん」

にっこりと笑う綱吉からぎこちなく顔を背けて、リボーンはVIPルームの扉を開けてさっさと出て行ってしまった。
それを見送って、綱吉はもう一度だけベルザーを振り返った。

「ミスター・ベルザー、虚ろな玉座の王の役目、お疲れ様でした。俺はあなたの望み通り、同盟を破棄し、ベルザー家を潰すでしょう。
この同盟破棄が、あなたの自由を約束することを願います」

静かに黙祷を捧げ、綱吉は部屋を後にした。

後には、穏やかに眠る偉丈夫の静かな骸が残されている。


王であることを止めた、一人の老人として。
                   


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